パリ組曲㉖ 帰国
2018.11.11 09:02

彼は、エッフェル塔近くのカフェに入り、テラス席に腰を下ろした。その傍らにはスーツケース。ホテルはすでにチェックアウトした。
交差点の角にあるカフェだったが、新年のためか車通りは少なく、落ち着ける雰囲気であった。赤い椅子が印象的であり、引き寄せられるように彼はそこに足を踏み入れた。

「ボンジュー、ムシュー」
ギャルソンがそこにオーダーを取りに来る。
「アン カフェ シィルブプレ」
コーヒーを一つお願いします、という唯一覚えたフランス語の文とジェスチャーで彼は注文をした。
「食事は何か?」
ギャルソンは谷川青年の発音からしてフランス語がまったくできないと思ったのだろう、今度は英語でそう聞いてくる。
「コーヒーだけでいいです。ありがとう。」
客席は数多くあったが座っているのは数人のみで、新聞を読んでいる老人や遅めの朝食なのか、早めの昼食なのか、年配夫婦が食事にありついている。
今頃きっと、ミヒャンは空港へ着いてチェックインを済ませ、搭乗口に着いた頃だろう。
彼にはもう目の前にはいない幻をそこに描くしか術がなかった。
ギャルソンがコーヒーを運んできた。
