霊の書12
アランカーデックの霊の書。
フランスの科学者カーデックが友人の娘を霊媒として受信した霊示。
1856年の出版以来その発行部数は数知れない。
シルバーバーチの霊訓等と並び称される世界三大霊訓の一つ。
ここでは、霊の書(上)より貴重な霊的真理をいくつか記す。
Q「白痴の魂は普通人より劣っているという俗信には、何か根拠がありますか」
A『根拠はない。白痴の魂が諸君等の想像以上に知的なことがしばしばある。
彼等は魂との連絡がうまくつかないのである。丁度唖者がしゃべる上に障害があるのと同じである』
Q「生まれながらの白痴者を創り給う神の御心はいったい何ですか」
A『彼等は罰をうけている霊が宿ったものである。彼等は脳器官が未発達で正常でないから、経験を積むことが思うようにいかず、また自己を十分に表現することも出来なくさせられているのである』
Q「では、肉体器官には能力に及ぼす何の力もないというのは、正しくないのですか」
A『肉体器官に力がないなどと、吾々は言った覚えはない。
肉体は能力発現を左右する莫大な力をもっている。しかし能力源ではない。
たとえば、優れた音楽家でも楽器が悪ければ、良い音楽の演奏は出来ない。だからといって、彼が優れた音楽家でないということにはならない』
Q「白痴は善も悪も何も出来ないから進歩も出来ない、こういう人々の存在には何の価値があるのですか」
A『それは、霊が何か能力を濫用したための罪滅ぼしであって、これは彼の人生航路の一区切りである』
Q「では、前生で天才だった者の霊が、いま白痴の肉体に宿っていることもあるのですか」
A『ある。天才はこれが濫用されれば災厄となる』
Q「白痴者の霊は、自分の精神的状況を意識していますか」
A『殆んど意識している。彼等は自分を阻害している鎖が、試練であり罪滅ぼしであることを理解している』
Q「狂気の場合、その霊はどうなっていますか」
A『霊というものは、本来、直に物事の印象を受け取り、直接物事に働きかけるものである。しかし、ひとたび肉体に宿ってしまうと、事情は変わり、肉体の各々の器官を通じてのみ、初めて活動する状態となる。
もしその器官に故障が起これば、その器官を通ずる印象や活動は不都合なものとなる。
目を失えば盲人、聴力を失えば耳の障害者。いま、知性や意志の表現器官が、一部か全部、その働きが弱ったり変わったりしたとしよう。されば諸君は次の事が容易にお判りになろう。
即ち、不完全で調子の狂った器官しか使えない霊は、機能の混乱を経験せねばならぬ、霊の方ではその混乱に気付いているのだが、それをどう仕様も出来ないのであると』
Q「では調子を狂わしているのは、常に肉体であって、霊ではないのですか」
A『そのとおり、しかし次の事を忘れてはいけない。
霊が物質に作用するのと同じく、物質も霊に作用するということ。
それ故、霊は自分が狂った器官のため、狂った調子になっていることに気付くかもしれぬということ。
従って、このような変調が長期に渡れば、その狂った行為の繰返しで、霊の方に影響が及ぶことも起り得る。その影響は、霊が肉体から解放されるまで続くのである』
Q「狂人が自殺するのはどうしてですか」
A『この場合、霊の方は自分が束縛を受けている感じで、自由に表現できないことを苦にしている。そこで、この鎖を断ち切る方法として死を選ぶのである』
Q「狂人は死後も、生前と同じ精神錯乱状態が続きますか」
A『死後しばらくの間、物質のとらわれから完全に自由になるまで続くだろう。それは丁度、誰でも朝目が覚めた後、しばらくは、眠りから現実への混乱を感じるようなものだ』