言葉の種が芽吹くまで
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
3月がはじまりました。
学校等はいよいよ卒業式のシーズンですね。
今年ご卒業の皆さまには、心よりお祝いを申し上げます。
私自身の学生時代は日に日に遠くなるばかりですが、学生時代の数年と今とでは、時間の進む速度がずっと早くなったような気がしてしまいます。
私はどの学生時代にもあまり先生と仲良くなるタイプではなかったのですが、ここ最近ゼミの先生に言われた言葉をふと思い返したことがあります。
私は、大学院は外部の院に入学したので、学部と院で違う先生のゼミにいたのですが、どちらの先生からも一つずつ、私自身について気づきとなる印象的な言葉をいただいています。
学部の時のゼミの先生からは、卒論の初項提出直前にノロウイルスにかかって提出期限を過ぎてしまったため、個別に先生の研究室に提出しに行った際に、ストレスについて指摘されました。
細かい表現はうろ覚えですが、「お前ストレス溜めそうだもんな」ということを言われたのです。
当時の私は、あまりストレスを溜めない方だと思っていたため、ストレスはあまりないというようなことを返したのですが、「ストレスってそういうもんだから」というようなことを言われました。
院の時のゼミの先生からは、ゼミか何かで先生の研究室にお邪魔していた時に、何の流れかで幼少期の話になり、私が赤ちゃんの時、母は私をずっとおんぶしながら家事なんかをしていたそうだという話をしたら、「それが君の原体験なんだね」と言われました。
どちらの先生の言葉も、それを聞いた当時の自分にはあまりピンと来なかった言葉です。
どちらも、それなりの時間は必要でしたが、自己理解を進める大きな一助となってくれました。
自分がどれだけ無意識の領域にストレスを溜め続けていたか。
これまでの自分の行動や選択に、良くも悪くも赤ちゃんの頃の原体験から影響を受けていたか。
気づくまでにかかった時間を思うと悔しかったり、どうしてもっと早くにと思ってしまうこともありますが、どれほどの時間であっても、ただ過ぎたのではなく、時間の経過はこの身をもって体験した経験と表裏一体で切り離すことはできません。
学びや成長にもその人にとっての「時がある」と思いますが、必要なのは「体験(経験)が満ちるに足る時間」なのかもしれません。
いただいた言葉の種を種のまま忘れてしまわずに、種のある無意識の領域に光をあてて、自分のために芽吹かせることができただけ、ほんの少しでも先生方のご尽力に報いることができたんだといいなと思います。
成長の道のりは、人生の道のり。
全知全能ではない一人間には、学びに終点はありません。
成長の螺旋階段を一段一段登っていけるように。
きっと人生を終える時の景色は、どんな人も自分にしか見ることのできない、特別なものでしょう。
かしこ