許すという最大の壁
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誰かと喧嘩をしてしまった時。
自分の感情に流されて、
後先考えずに自分の言いたいことを言ってしまった。
相手が傷つく事を予想せずに。
はたまた相手を傷つけたくて。
今までのイライラを抑圧していたから尚更止まらない。
何なら関係のないイライラもここに投げてしまおうと考える。
一回相手にぶつけたのに、蓋が取れた様に今までのものが溢れ出てくる。
自分でも制御がきかない。
相手の傷ついた顔を見る。
この顔が見たかった。
こちらの我慢を思い知らせるかの様に、
怒りをぶつける。
そして様々な感情が湧いてくる。
そこには後悔という取り返しのつかない影も混ざっている。
喧嘩は疲れる。
結局疲れる。、
心のどこかで軽く見積もっているのだろう。
ここまで言っても相手は理解してくれる、と。
相手が悪いのだから反省して謝ってくるだろう、と。
今までもこうやってきて、みんな許してくれてたし、と。
自分の怒りをどうにかしてほしいと甘え、相手を攻撃する。
言ってはいけない事も言える。
相手の泣く姿を見たいから。
相手が泣いたら自分が少し楽になるから。、
その場は楽になるだろう。
自分の怒りの原因を相手のせいだとすり替えて、終わらせる事ができたし、
内側を見ずに終わらす事ができるから。
しかしここからが始まりである。
怒りのせいで高く積み上がった"許す"という壁。
逃げるよりも大変な作業。
喧嘩するよりも大変な作業。
感情のクリアリングよりも大変な作業。
怒りに任せて自分の手で壊してしまったのに、、
その現実を理解し、許し、自分の手で直しに行かないといけない。
許すなんて到底できない。
そんな感情がある時は、まだまだ内側に何かしらの向き合う課題があるのです。
相手を変えるのではなく、
内側の自分をまず許してあげる。
なぜそんなにイライラしてしまうのか。
なぜそんなに悲しんでいるのか。
なぜそんなに恐れているのか。
理解してほしいのなら、まずはそんなちっぽけな自分を許してあげて。
傷つけられた方も一緒。
悲しくて、辛くて、悔しくて。
それでも相手を許せるか、
それともやはりまだ許せないのか。、、
怖くて話せない。
逃げたい。
関わりたくない。
それはそれでOK。
そんな自分をまずは許してあげる。、
そして感情をどんどんクリアリングしていったら次の何かが生まれてくるはず。
本当はどうなりたいのか。、、、
心の奥深くにある許せない感情の種はいつ生まれたものなのか。
もう一生話せない。
もう一生理解し合えない。
もう一生笑い合えない。
もう一生相談もできない。
もう一生逃げて生きないといけない。、
そんな人生で良いのか。
自分の人生を決めるのは自分。
自分の人生のキャパを決めるのも自分。
自分をより自由に、幸せに。
自己成長していきたい。
強くなりたい。
それならば、歯を食いしばってでも
"許す"という行為と向き合う時間が必要なのかもしれない。