よろこびの解放
2024年3月吉日、実家に預けっぱなしだった雛人形を箱から出しました。
やっと飾ってあげることが出来ました。
最後に飾って片付けた後、箱に仕舞ったのはアルツハイマー型認知症に罹患する前の母。
有ちゃんが還って逝った3年後に母も老衰で彼の世へ逝きましたから、なんと12年間は箱詰めにされて押し入れの奥に仕舞われていたわけです。
防腐剤やカビ・着物の虫よけ剤に記入された日付は、2012年3月となっていました。
保存状態、バッチリンコでしょう?
おっかなびっくり開封した私の気持ちが揺らぎました。
よくテレビ等で特集されていた『仕舞いっぱなしの雛人形の有様』には、顔等までカビが張り付いて恐ろしい形相になっていたのを観たり聞いたりしていたので…、びくびくしながら箱を開けたのですね。
雪洞に明かりをともした瞬間、こころが歓びに震えました。
一体一体を実に丁寧に梱包して保管してくれた母には感謝しかありません。
2012年以降…認知症が徐々に進行。
2017年に、目に入れても痛くないほどかわいがっていた孫の一人が、自死で他界したなんて知る由も無し。
(とはいえ四十九日にさいたま宅に来てくれたときには、散々私は話して聞かせたのですけどね)
聞いた先から忘れていくのですから、認知症というのも恐ろしい病ですよね。
けれども考え方によっては、母にとってそれで良かったと、今では思っています。
彼女は本当に有ちゃんもお姉ちゃんも可愛がっていましたから、事実を知ったら気が狂っていたでしょう。
私が事後、気が狂わずに済んだのも、認知症罹患の母に何回も繰り返し有ちゃんの死について話して(放して)聞かせられたからだとも思っています。
一番思い出したくないけれど忘れられない悲惨な場面…悲嘆の苦しみを、誰かに何度も話す(放す)こと。
それを「うん、うん」と何度でも聴いてくれる人が居ることは、とても重要なのだと身を持って知ったように思います。
我が子を亡くして、雛人形や五月人形を飾れる心境ではなくなったご遺族は多いと思います。
爆弾を抱えているような思いというのか、私もそうでした。
早々に解き放って、一緒に彼の世に贈るのも一つの考え方ですけれど。
まさか自分が生きて居るうちに、出して飾ろうという気持ちが湧いてくるなんて想像もできませんでしたが、もしかすると乳がんに罹患したことも心境の変化に至った出来事の一つなのかな。
嗚呼、でも正直くたびれました<(_ _)>………。
我が子たちとの歓びに満ちた日々が詰め込まれた雛人形を飾るのに、尋常ではないパワーを要したことは間違いないです。
反して母の遺品整理、着物の数は半端なかったにしろプロの方もお呼びしてスムーズにサクサク進みました。
桐ダンス二つが空っぽで、清々しいのです。
(我が子のモノは、まだまだ保管してるのにね(^_^;))
断捨離大成功で気持ちに余裕ができたのでしょうか。
実は、最後に飾ってあげて、解き放ちの儀式後に人形供養に出そうと考えていたのですが、こんなに大切に保管してくれていた母の想いへの感謝を込めて、この雛人形は私が光の世に持参することに決めました。
(家族の了承済みです)
ただし、実家で飾ること。さいたま宅には持ち帰らないこと。
※ニャンズというさいたま宅在住の、お内裏様とお雛様が檀上トップを狙いますから。
母に習って丁寧に仕舞い、実家の私の部屋に保管し、生きて居る限りは毎年宴を開催しようという気持ちが再開したようです。
THE よろこびの解放。
実家を出発する際に父が言うには、
「お雛様たちも風呂に入れてもらってスッキリしてる気分だべ~」
ですと。
(;´・ω・)…風呂ですか。
(相変わらず面白い表現だな)
まあ確かに。
雪に埋もれた八戸をあとに、新幹線に乗った途端に涙と鼻水が雪崩のように流れ出し、変なオバサンになってしまいました。
やはり自分で感じる以上に、こころが大きく揺れ動いていたのだなと。
(異様な目でチラ見していた隣座席の方、ごめんなさい)
さいたま宅に戻ってから、気持に喝!を入れようとYouTube優里チャンネルを見ると👀! 結婚式サプライズ登場動画がアップされていました。
サプライズで涙ぐむ花嫁さん、名前が「ゆうき(有紀)」ですって!
漢字は少し違うけど、一気に↑ハイテンション↑<(_ _)>
サインで喝入れ、ありがとうね、有ちゃん🌟🌟
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