フェルナンデス総長と若者のQ&A!
11月10日(土)に開催した「第19回 SYMの集いスペシャル~総長と若者の集い~」では、フェルナンデス総長への質問タイムに、若者たちから5つの質問がありました。当日の臨場感をお伝えすべく、録音をもとに、なるべく総長の発言(翻訳)に忠実にまとめたものを、ここで分かち合いたいと思います。
Q 日本に来て、何かやりたいことはありますか?
A 質問ありがとう。ここに来たのは、皆さんを知るためです。昨日宮崎で会った若者も今日ここに来てくれています。昨日の写真は全世界に回りました。
私がここに来たのは、皆さんに出会い、同伴するためです。サレジオ会員、サレジアン・シスターズ、イエスのカリタス修道女会のシスターたちに感謝するため、日本のサレジオ会の使命についてもっと知るために来ました。
私と私たちにとってはすべてが新しいことです。この出会いを通して皆さんの近くにいることを感じられるのはとてもうれしいことです。日本を離れた後、いろいろな思い出と一緒にすてきな感情をもって帰れそうです。日本はもはや自分にとって遠い国ではありません。ありがとう。
Q 総長様とサレジオ会との出会いについて教えていただけませんか?
A どこに行っても同じ質問をされます(笑)。なぜサレジオ会員になったのか。私にとっても1つの神秘なのです。なぜ神秘なのか。それは、神様が何かをしてくださったと思うからです。
ここにいてすばらしいと感じるのは、ここにいる何人もの人が召命の道を歩んでいることです。もちろんSYMの若者に会うこともすごくうれしいことです。すべての人に場所があります。ある人は修道会に入るという召命がある。ある人は職業への道がある。私は夕食のときに、将来の女医と食事を共にしました。カトリックの若者たち、キリスト者でない若者たちが一緒にここにいられるのはすばらしいことです。「あの人は私たちではない」ということはないですね。私たちは皆、神様の子どもです。皆さんのビジョンに感謝します。すばらしいことです。これを決して失わないようにしてください。
それでは、私の歴史を短くお話ししましょう。私の秘書のロペス神父は150回ぐらい聞いているのでこの話に飽き飽きしていますが(笑)、興味深い何かがそこにあります。私はスペインの海の近くにある小さな村で生まれました。皆さん、魚が好きでしょ?私も魚が大好きです。私の父は50年間漁師をしています。私が10歳のとき、漁に出るため父が網の準備をしていました。すると、ある他の街のおばあちゃんが来て、海で休んでいたのです。父が網を広げると、おばあちゃんは海に散歩に行けたらいいと言いました。父は「いつか行きましょう」と行ったのです。数日後、一緒に散歩に行きました。こうして私の両親とおばあちゃんの友情が生まれたのです。
2年後、そのおばあちゃんが両親に言いました。「あなたたちの息子は、将来何をするんでしょうね?」「彼は小学校を出れば私と一緒に漁に出るでしょう」「ああ、残念ですね。息子さんはもっと勉強できたらよいと思いますよ。私は若者たちと働いている人を知っています。サレジオ会員と言うのです」。私たちは、サレジオ会員について何も知りませんでした。母が私に聞きました。「お前、どうしたい?」私は「はい」とは言いませんでした。しかし、数か月後、サレジオ会の学校に行くことになり、5年間そこで勉強しました。しかし、サレジオ会員に飽き飽きしてしまい、これは本当ですよ。その学校を出てしまいました。私は医学の勉強をしに、大学に行きたかったのです。大学に入る準備を全部しました。
でも、心の中に人生で明らかにしたい何かがあると感じていました。私は両親に言いました。「自分がサレジオ会員になるべきか知りたい」と。私たちのためにサレジオ会員がしてくれたことが好きでした。しかし、サレジオ会員に飽き飽きしていたことも事実です。ただ、心の中に何かが残っていました。両親は貧しく、父は夏に漁に出かけるために私を必要としていました。しかし、両親は「もしお前のためにそれがいいなら、行ってきなさい」と言ってくれました。それで、私はサレジオ会での自分の歩みを始めたのです。
振り返ってみるとき、自分にとって謎があります。まず、サレジオ会員を知らなかったのに、おばあちゃんが現れて彼らのことを教えてくれた。そして両親は私を必要としていました。もし父が「一緒に漁に行ってほしい」と言っていたなら、私の識別はそこで終わっていました。両親は私に対してとても寛大だったのです。こういうわけで自分の歩みに謎を感じます。振り返ると、神様が私に同伴してくれていたと感じます。これが私のストーリーです。ありがとう。
Q 日本のサレジアン・ファミリーに会って、どのようなことを感じていますか?
A まだ家族のすべてを見たわけではありません。明日はサレジアン・ファミリーの日となっています。私はサレジアニ・コオペラトーリの人たちと会いました。今日も台所で活躍されていましたね。とても気に入りました。イエスのカリタス会、サレジアン・シスターズ2つの会のシスターたちが一緒にいることもすばらしいことです。そして、もちろんサレジオ会員が一緒にいることもすばらしい。
SYMの若者たちに会えることもすごくうれしいです。皆さんの多くは学生でしょう。すでに働いている人もいると思います。私は日本のサレジオ家族のことを考えると、とてもうれしいです。私は皆さんの多くが将来修道者になったり、あるいは働いたりして、サレジオ家族のお父さん・お母さんになってくれることを願っています。ありがとう。
Q 言語的にみると、ローマと最も遠いのが東アジアの国々だと思います。ローマから発表される大切なメッセージをどうしても後から聞くことが多くなってしまいます。でも、今日は総長様がここにいらっしゃいます。先日若者をテーマとしたシノドス(世界代表司教会議)が行われ、総長様も参加されましたが、これから私たちが歩むべき旅路について、一言いただけますか。
A まず、日本は遠くありませんよ。私はローマやヨーロッパが中心とは思っていません。日本は日本、アルゼンチンはアルゼンチン、ナイジェリアはナイジェリアです。私としては文化が違うということは感じます。アメリカはスペインに近いと感じます。日本の文化は独特ですね。しかし、決して遠くはない。「すべては遠く、すべては近い」。分かります?この意味(笑)
バチカンで行われた今回のシノドスには260人の司教たちが参加し、25名の若者も参加しました。その若者たちが、教会が若者に近いものとなるために何が必要かということを考えました。いろいろと話し合い、若者の声を聴きました。全世界から20万人の若者の意見が集められました。彼らが何を思っているか教えてほしい、教会に若者たちが何を求めているのか知りたいと。
私は、このシノドスで最後に発表された宣言が気に入っています。「若者たちは誰にも自分たちの人生を指揮してほしくない。教会に自分たちの人生をコントロールされることを望んでいない」ということです。若者はルールばかりの教会を求めていません。でも、必ず「存在」を求めています。そばにいてほしい、人生の歩みをするときに同伴してほしいと。ですから、私が皆さんとこのように出会っていることはすばらしいことです。若者が誰かに自分の考えを分かち合いたいということ、誰かに自分のもっている心配や、人生をどう歩んでいるかを聴いてほしいということ、自分たちのために祈ってほしいということはすばらしいことです。これが一緒に歩んでいく、若者と同伴していくということで、今回のシノドスの最もすばらしかった点です。ありがとう。
Q 世界的に見て、SYMはどういう運動ですか?
A サレジオ家族がもっているすばらしいものが、このSYMです。世界のすべての若者たちがSYMにいることで家にいるように感じられる。サレジオ家族のさまざまなグループでそう感じられること、これはすばらしいことです。教会、学校、他のグループの若者たち。私たちには共通の何かがあるということですよね。それは、サレジオのスタイルが好きだ、ということです。若者らしいやり方でサレジオのスタイルを進めていく。サレジオの霊性も分かち合っています。喜び、友情のすばらしさ、他の人たちのすべてを受け入れる精神、こうしたことすべてがSYMの運動です。これが、世界のサレジオのすべてで起こっていることです。
現在140の国にサレジオがあります。私がどこの国に行っても、文化は違うけれども、皆さんのような若者がいて、同じように感じることができます。これは大きな贈り物ですばらしいことです。これが続くように望んでいます。まだ幼いけれども後から私たちについてくる人たちには、皆さんが今体験していることを同じように体験する権利があります。これは決して当たり前のことではありません。ぜひ将来の若者たちのことを考えましょう。ありがとう。