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言葉の壁

2016.02.09 00:54

昨年、仕事でフィンランドに行った時

ロシア生まれでフィンランド人と結婚した女の子と一緒に過ごした。


名前はジュリア。

黒い髪が美しいかわいい女の子。


7日間、あちこちを巡り多くの時間を共に過ごしたのだけど、私には「英語が喋れない」という大きなハンデがあった。


すこし脱線するが私が若いころ、日本語ができないカナダ人と付き合っていた時があった。今みたいにスマートフォンはない。私はいつも電子辞書を片手にデートしていた。

一つの会話をするのに長い時間をかけたけどお互いそれが楽しかった。だから怖くはなかった。


日本に来る外国人観光客のほとんどが日本語はしゃべれない。中にはたどたどしい日本語をしゃべる人もいるがその人の話を聞く側の私たちが「聞こう(理解しよう)」とすれば大体のことは通じる。


実際にあった例だが

「シンジュク エキ イク ワタシ」

と言われたら、ああ、新宿駅に行きたいんだなってわかる。


それと同じで、相手が私の文法めちゃくちゃ、過去形も現在進行形もごちゃごちゃで下手な英語を「聞いてあげよう」という耳で聞いてくれたらなんとかなる、と思っている。


実際のところ、20歳から海外旅行には何度も行っているし、英語ができないくせに日本人のツアーが嫌いで現地の英語だけのツアーに申し込んで日本人は私だけという観光もしたことがある。

それでも毎回なんとかなるもんだ。


ここまで書くと

「え、できない、とか言って本当は英語少しできるんでしょう?」

と思われるかもしれない。

ところがどっこい。

私は英語と数学の授業は95%寝て過ごし赤点だった。

補習補習でなんとか卒業できたほど。


I have a pen. ならわかる、書ける。

でも

"私は今日お昼にお寿司を食べた"を英文にしなさいと言われたら…


I eat SUSHI in lunch.

あれ?inじゃなくてat?

いやいやof?

え、on?


もうパニックである。

そもそも過去形になってないからinだのatだの考える前に、すでにおかしいのはわかるのだが、何が正しいのかはわからない。


つまりこの程度の英語力。


でも。

I eat SUSHI in lunch.

ワタシ タベル スシ オヒル。

と外国人に言われたら、ああ、お昼にお寿司食べたんだね、か、お昼にお寿司を食べたいのかな?ってわかるのと同じで、相手さえ聞こうとしてくれたら、本当になんとかなるものなのだ。


話を元に戻そう。


ジュリアはフィンランドに住むロシア人。

ロシアの教育はよくわからないが、ジュリアも英語よりはロシア語の方が得意だった。

もちろん私の100倍は英語がうまかった。

ただ、もともとは喋れずご主人と出会ってから英語を猛勉強したと言っていた。


彼女は27年間、日本人と関わったことがなかった。

だから日本人は一体どんな人種なのかがわからず、この仕事がスタートしてとても不安に思っていた。


きっと「サムライ、チョンマゲ、セップク」みたいなイメージだったのかもしれない。鎖国して閉鎖的に暮らす頑固で堅物な日本人。そんなイメージだったかもしれない。


それが蓋を開けてみたらなんてことはない。

おちゃらけて、ゲラゲラ笑い、ちょっとしたことですぐ泣いて、ノリでなんでもやってしまう私を見てジュリアの中の日本人のイメージがガラリと変わってしまった。


 


フィンランドでの仕事が一旦、終わる日の朝

朝食をとるために部屋を出るとジュリアが歩いていた。

「ジュリアーーー!グッモーニン(⚪︎´◡`⚪︎)!」

と走りながら声をかけた。

ジュリアも微笑んで、「ヘイ、ケイコ!グッモーニン」と言ってくれた。そしてそのままこう続けた。


「今日が最後の日だね。私は、この仕事をする前、日本人を知らなくてとても不安に思っていた。でもケイコと一緒に過ごしてほんとにほんとに楽しかったし、日本人がユニークでハートフルでエモーショナルでとっても素敵だと知った。あなたに出会えて本当に嬉しいよ!」


私のヒアリング力は非常に低いがジュリアは私の英語力を知っているので、ゆっくりと丁寧に聞き取りやすいように単語を並べてくれた。

私は嬉しくて涙が溢れた。

世界共通語である英語が全くできず、ジェスチャーと辞書でなんとか会話してるレベルの日本人に、「日本人はとても素敵だ!」と言ってくれる外国人がどこにいるだろうか。


私はこう言いたかった。

「ジュリアが、英語ができない私のことを受け入れて理解しようとしてくれた。だから、私は臆することなく私らしくのびのびと楽しくこの7日間を過ごせたんだよ。日本人が素敵でいられたのはジュリアのおかげだよ!」と。


しかし、私の微々たる英語力は

ヒアリング>スピーキング

なので、聞き取りはあまり困らないが話すことがダメダメだった。

おかげで、涙を流しながら「サンキュー!サンキュー!ミートゥー!」という全く伝わらない英語しか返せずそのまま朝食をとるはめになった。

この時ほど英語ができなくて悔しくて悲しかった時はない。





最終日、ほんとにほんとに日本へ帰国する日の朝、

ジュリアはフィンランド人のご主人と一緒に車でドライブに連れてってくれた。

そして最後にエアポートバス乗り場まで送ってくれた。


ジュリアも私も大泣きだった。

言葉はいらなかった。(言葉はもともと通じないし)


言いたいことは山ほどあった。

ありがとうだけじゃなくて、忘れないよとか、また会いにくるねとか、あなたのおかげで楽しく過ごせたことを感謝してるとか、日本にも遊びに来てねとか。

それをちゃんと英語で伝えられたらどれだけ良かっただろう、と思う。


でも私が英語で気持ちを言えないことも、言えないけどちゃんと思ってることも、ジュリアには伝わっていたように感じる。



この記事を読むだけで

私の英語が全くダメな感じは伝わったと思うけど、私は英語ができないことを理由に外国人と接することを怖いとは思っていない。

もちろんビジネスは通用しないだろう。

でも、こうして意思の疎通や、コミュニケーションは取ろうと思えばなんとかなる。



新年が明けて、ジュリアにメールをした。

ずっとずっと、私が撮影した写真集を彼女に送りたいと思っていたのだ。


「親愛なるジュリアへ

フィンランドに行ったあの日から半年が過ぎました。フィンランドの冬はとても素晴らしいことでしょう。

ジュリアとご主人は元気ですか?

私はあなたに贈り物をしたいので住所を教えてください。

私はあなたに必ず再会できると信じています。


ケイコ」




するとジュリアからの返事には

フィンランドの冬が美しいこと

自分と夫はとても元気なこと

贈り物を楽しみにしていること

と住所が書かれたメッセージが届きその最後に


「Miss you very very very much!❤️😭」


と書かれていた。

 


私が英語が喋れないから、それを怖がって

コミュニケーションをとることを拒んでいたら

きっとジュリアとの関係はこうならなかっただろう。


言葉の壁はとても大きい。

けれど、それ以上に心が大きければなんとかなるものだ。

と思っている。





p.s.

それでも英語が喋りたいので今年の夏に留学します(⚪︎´◡`⚪︎)