感じること
人間は機械ではありません。
不正確さが特徴である人間にとって、 正確さを追求するということは、悲願なんだと思います。だから科学的と称してチャレンジする訳です。しかし、ある意味、この行為は感じることを放棄することになる可能性を含んでいます。
正確な情報と言いますが、情報が正確に伝わったことなど、人間社会ではほとんどないのではないでしょうか?
それは、人間が常に感じ、印象的に情報を掴み取っているからです。個々人のフィルターを通して情報を見ていると言えます。しかし、それは悪いことでしょうか?
正確な情報があったとしても受け取る側が不正確にしか情報を理解していないので次に伝わる時にはもっと不正確になります。
不正確な情報を笑っている人がいます。
しかし、そういうのを笑う人って、ホントの意味での正確さをわかっていないのではないかと最近よく思います。
患者さんに正確な情報を伝えようと思い、覚えた知識を一字一句間違えないように説明したとします。しかし、殆どの患者さんは、それを正確には受け取りません。
例えばこんな簡単なことでもです。
「親指の先に力を入れて膝を外側にするんですよ」
と伝えたいとします。もの凄く簡単なことだと思うのですが、実際にやってみるとそれが意外に難しい。
その時は正確にやってくれます。
情報がうまく伝わったとこちらが思うのもつかの間です。
ちょっと違う話をすると、「あれ~。これってどうでしったっけ?」
と言ってくれます。
特に身体を動かす時に少しでも難しいと感じると、頭が理解するのを拒否し、もの凄く単純なことでも覚えていられなくなるのです。頭だけでは理解できたとしても、それを実行できなければ豚に真珠です。
しかし、理解したことを実行にうつすためには、感じながら動かしつつ、理解しなければなりません。感じることと情報は同じ方向に働くという特長があるので、難しいと感じると理解したつもりのことが頭から抜けてしまうのです。
やったことのない動きをさせられると、頭で覚えたはずの情報が吹き飛ぶことは、新しいスポーツをやれば殆どの人に起こることです。だから言うのは簡単ですが、行うのは難しいのです。
できなければ情報だけあっても何の役にも立ちませんが、情報だけで役に立つと考えていること自体愚かなことだと思います。
ビデオを見て理解したつもりになっていても、実際にやってみると、な~んにもできなかった。
そんなことは沢山あります。
人間は難しいと感じると簡単なことであっても情報を正確には覚えていられないのです。本当に大事な情報は行動ができて得た情報です。
それが人間の情報の伝え方の特長です。ロボットはそれを難無くこなします。こなすのですが、それ以外のことができません。ルールを破るということができない。
これがロボットの欠点です。
そんな状態の患者さんには必ずいうことがあります。
「忘れてしまっていいんです」
「いっぱい忘れてください」
「ここでは頭で理解してもらったら困るんです。何度も何度もやって身体に覚え込ませて欲しいので、忘れてしまうことが必要なのです」
と言います。
しかし、これは御薗治療院にリピートさせる為に言っている訳ではありませんよ。
一回では覚えられないのが普通なので、何度も何度も言います。
何度も言っているうちに何とかできるようになってくると、今度は絶対に忘れないのです。
忘れたくても忘れられない。
自転車に乗れたら病気でもしない限り一生乗れます。乗り方を忘れたりはしません。
そういう身体の使い方を訓練するところです。
と説明します。
頭で理解したことなんて人間には必要ない。
と言えば極論になりますが、身体で理解しないと本当に覚えたことにはなりません。
だから私は基本をやります。
何度も何度も嫌という程基本をやります。
毎日やり続けます。
ロボットと人間は決定的に違うでしょ。
ロボットなら一度覚えたことは二度と忘れません。
できないことを楽しむ時間はロボットにはないんです。
可哀想だと思いませんか?
同情してしまいます。
できない時の悔しさや悲しさも経験できないんですよ。やりきれない気持ちにもなれない。
だから人間は感情が生まれるんですよね。
失敗から感情は生まれる。
成功からの感情は少なく、失敗からの感情は様々です。
それぞれが、それぞれの特長です。
正しいも間違っているもないのです。それぞれの役割です。
だからAIのような人間に近づく機械を作ったとしたら、今以上に人間は、しっかり感情を磨かないと駄目だし、無駄なことを必要としなければならないのです。