ともちゃん あばうとみぃ
おかげさまで、芝山町民になって5年がたちました!
いつも支えてくださる皆さん、本当にありがとうございます。
この機会に、私の好きなものや生い立ち、将来の夢など、ぶっちゃけて語ります(^o^)
☆この記事は、2024年春時点のものです。
【基本プロフィールおしえて!】
呼称・ともちゃん、ともちゃんさん、など。便宜状姓名が必要なときは「芝山 とも」と表記
誕生日・3月10日
血液型・B
信仰・クリスチャン
性自認・女性
好きになる性・男性
出身地・東京都心のど真ん中
好きなもの
音楽…K-POP、古めの邦楽、童謡など幅広い
一番好きなブランド…リズリサ(その他、アクシーズファム、夢展望など)
食べ物…辛いもの、日本各地の郷土料理、世界各国の料理
【ともちゃんの性格・趣味は?】
明るい、元気とよく言ってもらえます。わくわくすることが大好きで、よく動き回る方です。思いきり出かけるのも好きだし、家などでゆっくりしたり何かを作ったりするのも好きです。一度決めたことは貫く、一般常識や周りの意見に流されない道を歩むという強みはありますが、先を見通せず慌てて物事を進めたり、空気が読めない言動をしてしまったりすることがあります。集団よりも一人や二人で行動する方が好きかもしれません。一方、かなり人懐こく甘えん坊だと思います。
趣味については、昔から空想したり何かを作ったりするのがとにかく好きでした。一番好きだったのはお絵かきで、物心つく頃には一日に何十枚も絵を描き、小学生の時は自由帳を1ヶ月に1冊つぶしていました。粘土も結構好きで、動物や食べ物、好きだったゲーム「どうぶつの森」に出てくるはにわを真似して作ったりもしていました。大きくなるにつれて絵を描くだけでなく、手芸やお話を書く、音楽や料理など、様々な創作活動に手をつけはじめました。創作活動以外の趣味は、鉄道、自然採集、お買い物などです。
【ともちゃんの生い立ち・学校編】
小学校高学年くらいまで放課後に友達と遊んだりしていましたが、グループができてくるとクラスにあまり馴染めなくなり、むりやりおとなしい子になろうとしたり、多くの女の子たちのような持ち物を買ったり雑誌を読んだりして、自分を無理矢理変えようとするようになりました。中学2年になった頃から部活や地域活動で演劇をやる機会が何回かあったのですが、地域活動(ジュニアリーダー養成講座)で演じた大役から本当の自分の姿を見いだして、元来の自分の性格である明るいところや何かを作り出すのが好きなところなどに自信を持つようになりました。
そのあと3.11や高校受験、そんな時期の望まない片思いなどで生きる目標や自分らしさがまた分からなくなってしまったのですが、高校で世間に流されず自分らしく生きるしっかりした先輩たちにたくさん出会い、自分にぴったりの大学にも出会って、再び生きる希望を見いだしました。
大学では前から関心があったジェンダーや心理学を専攻し、国際文化や被服学、保育実習、韓国語やドイツ語など、興味を持った授業には何でも手を出していました。また、大学の周りの地域は子育て世帯が多く様々な地域活動が活発で、その雰囲気がとても好きでした。授業の前後や休日にも、活動のお手伝いをしたり遊びに行ったりしていました。
【ともちゃんの生い立ち・家庭編】
小さめの教会の牧師家庭で、3人きょうだいの真ん中に生まれました(上下は兄、妹)。
貧しくもお金持ちでもなく、おもちゃや勉強道具を買ってもらえたりお出掛けに連れていってもらったりしていたのですが、とても残念なことに虐待を受けていました。
家父長制が根強く、父親から言われたりされたりすることに「やめて」と言うことができませんでした。母親に不満を訴えても相手にしてもらえず、傷ついても誰にも言えないでいました。高校2年生の頃から電話や対面での相談窓口で少しずつ被害経験や気持ちを話せるようになり、大学生になると同学年のクリスチャン仲間をはじめ、相談期間以外の人たちにも話せるようになりました。
その後SNSで「#MeToo」などのタグが生まれると、私もSNS(ともちゃんとは違うアカウント)で被害や自分の気持ち、大学で学んだことなどについて積極的に発信するようになりました。大学で子どもや家庭のことや、性役割に起因する問題などについて学んでいたことで、家父長制や虐待に負けずに自分の考えをしっかり持って生きていくことができたし、そもそもそうした辛い環境が大学での学びへとつながっていったと思います。
教会に来ていた人たちには虐待を気づいてもらえず、「牧師先生(親)もお子さん方も素晴らしいですね、優秀ですね」といったその人たちの何気ない言葉にとても苦しめられていました。勉強も比較的していた方だったので、「高学歴」「牧師のお嬢さん」という二重の優等生扱いを受け、それらをプライドとして自分の中に取り込んでいました。「いい子でいなきゃ」と無意識のうちに考えて、弱音が吐けなかったり、「真面目で優秀な子」のレッテルにそぐわないようなオシャレ・恋愛関連のことなどに興味を持つ自分にとまどいを覚えたりしていました。
親に好奇の目で見られたりひやかされたりするのが嫌で、自分が描いたものやかわいい服を着ているところなどを見られないようにし、のびのびとやりたいことをしたり、したい格好をしたり、しゃべりたい時にしゃべったりすることができませんでした。
「優等生扱いに苦しんでいた」「虐待を受けていた」「私の人生は私のもの」とはっきり気づき、親や教会とも決別した今は、一度きりの私だけの人生をとても大切にし、素直にやりたいと思うことをしてのびのびと生きています!
【田舎町に移住したいと思うまで】
大都会に生まれたわりには、自然の中で遊ぶのが大好きで、道端や公園でお花をつんだり植物の種をとって集めたりして遊んでいました。山にキャンプに行って帰ってきた時のけだるさがいつも嫌で、もっと自然豊かなところに住みたいと思っていました。
一方、人と関わることや何かを体験することが好きで、地域センターや公園でのお祭りなど、様々な地域活動に小学生の頃から積極的に出かけていました。
また、大学生になった頃からラジオ番組「ここはふるさと旅するラジオ」で、日本各地で愛する町のために頑張る人たちの声に耳を傾けて、町おこしへの憧れをつのらせていきました。
自然が大好きで田舎に住みたいという夢と、地域活動や町おこしへの関心の高まりにより、「私も田舎に愛する町を見つけて、そこで町のために暮らしたい!」という気持ちが芽生えてきたように思います。
【芝山町との出会い&移住を決めたきっかけは?】
大学2年生の終わり頃、鉄道仲間から千葉県の成田空港のところにある東成田駅の話を聞きました。東成田駅は、元は成田空港駅だったのが今ではがらんがらんになってしまい、うっそうとしたような不思議な雰囲気を醸し出しているところ。そんな奥ゆかしい場所が好きな私はさっそく探検に行くことにし、ついでに東成田駅から一駅だけ伸びている「芝山鉄道」というものに乗ってみたのです。終点の芝山千代田駅を降り立って目にしたのは、「芝山鉄道を延伸してほしい」という看板。そこで「芝山町を経由して九十九里方面へ」という言葉を目にしました。
当時空の湯もなく、工場や倉庫しかなかった芝山千代田駅でしたが、この先に頑張っている町があるのかなと思いつつ家に帰りました。
ネットで「芝山町」と検索してみると、芝山町のテーマソング「Wish 希望の足跡」が出てきました。そのビデオの中でとても楽しそうに踊る町民の皆さんや、町の人気者しばっこくんの姿を見て、なぜだかこの町にすごく興味を持ったのです。この曲もしばっこくんも大好きになり、町の様々なイベントに出かけるようになりました。
最初はただ「すごく興味があって遊びに行きたい」というだけでした。ある日、町のウォーキングイベントに参加した時に熱中症になってしまい、看病していただいたり差し入れをもらったりして、地元の方々の優しさにたくさん触れました。私が前日「楽しみすぎて眠れなかった」ということを聞いたその人たちが「芝山町にお嫁においで!」「引っ越しておいで!」と何回も言ってこられて、そこから「移住しようかな?」という気持ちが生まれはじめました。
芝山町を訪れる度に「この町が大好きなんです」と話すと、たくさんの人たちが歓迎してくださり、おいしいものをもらったりいろんな場所に連れていったりしていただきました。
おいしいものがたくさんあり、ユニークで温かい人たちがたくさんいる町。はにわと飛行機という、ここにしかない突拍子もない組み合わせ。こんな素晴らしい町の人口が減っているのは納得が行かないという思いをつのらせ、「この町の若者が東京に出て行ってしまうのなら、東京で生まれ育った私がこの町に来て町を活性化させる!」と意気込んで、芝山町への移住を決めました。
【ともちゃんは、どんな暮らしをしてるの?】
仕事についてはあまり話すことがないのですが、この町で稼いで、この町で買い物して暮らしたい、町のためになりたい!との思いから、町内の職場で働かせていただいています。
休日は家事や趣味活動を進める一方、お買い物に出かけたり、自然採集に行ったり、時には東京や埼玉の友達に会いに行ったりしています。
【ともちゃんは芝山町で、これから何をしていきたい?】
将来については、仕事も私生活も日々絶賛模索中です。「芝山町のために尽くす」と言っても、多種多様じゃないですか…!何かしら私の特技を生かして町のために尽くすことができたらいいなと思っています。
そうたたないうちに結婚して、子どもは3人くらいほしいなと思っています。お相手は、芝山町を気に入ってくれて、同じ地域のために生きるという思いを共有してくれる人だとうれしいなと思います。ちなみに、はにわ博物館かはにわ祭でプロポーズされることや、地元で披露宴をして夫婦で古代人に扮することを夢見てたりします。
創作活動は、絵やお話を書くこと、動画配信を中心にどんどん発展させていきたいです。今書いているキャラクターたちも、将来は私とともに年齢を重ねたり、子どもや孫が生まれたりするかもしれません。夫や子どもがYouTubeに一緒に出てくれたらうれしいな!なんて思っていたりもします。
芝山町の歴史がこれからもずっと続いていく中で、私のこれからの寿命は100年にも満たず、とるに足らないくらい短いかもしれません。でも、そんな短い命がたくさん集まり、これまでの町の歴史は築かれてきたのだと思います。よそから来た身ではあれ願わくば私もその一部となり、一日一日与えられた命に感謝して、みんなと一緒に生きていきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
こんな私ですが、皆さんこれからもどうぞよろしくお願いします☆