園の創造
11月11日は誕生日でした。
誕生日の前の晩は、アナスタシア式に星空を見ながら外で寝ました。屋外で寝袋だけで寝るのはいくらでも体験してきたことですが、その晩は新しい体験でした。
僕の最新の近況としては、詳細はまだ内緒ですが、そしてこれはエイプリルフールネタとかじゃなくて、通称「第一祖国」と呼んでいる土地の建設を始めました。写真はそこの木のお手入れをしているところ。
まだ1ヘクタールの土地達からなる祖国コミュニティはすぐにできないんだけれど、アナスタシアの7巻を読んで、園の創造をせずにはいられなくなってしまった。
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一族の土地・祖国のコミュニティをロシアに訪れたのも含めてここまで取り組んできて、一族とか家族ってなんなのだろうというのをこの数ヶ月あらためて考えているんですよね。
そして考えるほどに、僕の感覚でほんとうの家族と言えるものは今の社会にはないんだ、という痛みを感じます。
それはかつて僕が、大地と切り離されて生きてきたことに気づいたときの衝撃にも似ています。インディアンの生活術を学び初めて、大地の草や木やすべてが、元々こんなに豊かに与えられているということ、その豊かさに気づくこともなく、もちろん感謝すらせずに生きてきてしまったことを心の底から感じたことがあって、その時自分が(そして文明社会の人々が)どれほど本来の在り方から外れてしまっているのかを思い知ったの。自分がどれほど不完全な存在になり果てているかを思い知り、野草のサラダを食べながら泣きました。
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話を戻して家族のことを考えると、理想的には(そして典型的には)、一組の男女が愛と真実に基づくユニットを創造しよう、と純粋に意図することからはじまるものなんだと今の僕は思うのでした。その時に愛と真実と意図の純粋性が少ししかなかったら、そのあとも当然少ししか無い。そんなことを無自覚に感じ取っていた僕は若い頃は結婚する気もなかったし、子どもを持つ気もなかった。でも今はそういう家族なら持ちたいとこころから思うのでした。
地球とも愛と真実に基づくつながりを創っているような、そういう家族。
このトピックにはたくさん愛があるし、だからたくさん痛みがある。
今の自分ならばっちりできるってわけでもないけれど、どこを目指して選び続けたらいいかは知ってる。
そんなこんなで、ますますこの道を行くのだ、と確認する誕生日でした。
今後ともどうぞよろしくお願いします。