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Sapporo Catholic Mass Community

2024年3月10日(四旬節第四主日)

2024.03.13 00:43

ケン神父のメッセージ:

こんばんは。今日の福音で、イエス様はご自分の十字架をモーゼが作った十字架と比べています。モーゼは砂漠で、青銅の蛇の像が描かれた十字架を作り、蛇に噛まれた者はそれを見て癒されたそうです。(民数記21章)。その時、それを見ているユダヤ人たちが、ヘビの毒から生き残りました。

ヘビは聖書の中で50回登場します。普通は悪いイメージですね。最初の箇所は、創世記3章1節で、悪魔がヘビとして現れます。そして、最後の箇所は、ヨハネの黙示録20章2節で、また悪魔がヘビとして現れます。しかし、今日のモーゼの青銅のヘビは、悪魔とは関係がないそうです。神様がモーゼを通して、ヘビを捕まえたユダヤ人たちのために、その造られた道具を見ることを勧めました。それは私たち現代の人には、理解しづらいことです。しかし、神様にとって、それは信頼のあかしであること示しています。また、ヘビを見ることによって、自分のおかした罪を再び思い出したでしょう。どうして神様はヘビのシンボルをつかわれたのでしょうか?なぜなら、当時の医療の治療者たちは、治療にヘビも使いました。ですから、当時の人々が、ヘビも病を癒す源であると信じていました。例えば、ヘビの脱皮は命の復活という意味もありました。考古学者たちは、昔の食べ物を保存するビンにヘビの絵を描いていました。その目的は、中の物が悪くならないように、悪い霊を追い出すという意味がありました。また、当時のユダヤ人たちは、モーゼとファラオとヘビの出来事を思い出しました。神様の助けを通して、モーゼのヘビがファラオのヘビを食べたという出来事がありました(出エジプト7章8-13)。その出来事を通して、ファラオではなく、神様が自然の世界で一番力があると示されました。やはり、モーゼと旅をするユダヤ人たちは、その物語を思い出しました。

イエス様は、仲間のニコデモに、モーゼの砂漠の出来事を使って、自分の人間を救う役割を説明しました。この会話を通して、どのくらいイエス様が、自分を救い主としての役割を理解しているかがわかります。また、イエス様が預言します。彼は、おそらく十字架の上で亡くなると自分から言いました。イエス様は私たちの罪のために、十字架上でモーゼのヘビのようにはりつけられることを言われました。

モーゼの国民を癒す方法は、毒ヘビを見ることだけでした。偶然ですが、私たちカトリック信者たちも、イエス様の十字架を見ると、癒しの力をいただきます。旧約聖書の中で、罪から解放するために、信者たちはささげる動物に触れて、自分の罪が動物に移動するようにしました。しかし、この時、神様の命令で「ヘビにかまれた者がそれを見上げれば、命を得る」(民数記21章8節)。私はこの神様の命令を聞いて、私たち現代のカトリック信者たちのスピリチュアリティーの習慣を思い出します。私たちは、力が無くなる時に、教会のお御堂に行き、触れて、十字架を見て、新しい力を頂きますね。また、御聖体を頂く前に、神父が御聖体を頭上にかかげてから、「世の罪を取り除く神の小羊。神の小羊の食卓に招かれた人は幸い。」と祈ります。

偶然ですが、モーゼが造った青銅のヘビのシンボルは、今でも大切にされています。この癒しのシンボルは、世界中で医学のシンボルの中に使われています。薬局でも使われたり、救急車にも飾られています。そして、医療専門職の制服の中にもこのシンボルが使われています。2つあり、カドゥケウスとアスクレピオスの杖です。モーゼが最初紀元前1400年に作りましたが、その1000年後に、ギリシャでアスクレピオスの神話のために、使われたシンボルも出て来きます。このシンボルはWHOで使われたり、世界医師会で使われたり、日本の自衛隊のユニフォームに使われ、そして防衛大学の医学部のシンボルです。そして、救急車にも使用されています。このシンボルが多く使われていることに、私たち現代の人間は、モーゼとイエス様の模範を見習って、現代の人々の命を救う努力をしているしるしです。

皆さん、今日のイエス様の話を通して、どのくらい彼が、私たちを愛していたかを感じます。これはカトリック教会の一番大切な神様と息子イエス様についての基本的な教えです。カトリックの十字架を見て、イエス様の身体の傷と苦しみを見ると、私たちのための犠牲を感じることができます。イエス様は十字架の苦しみを通して、「既に世に勝った(ヨハネ16章33節)」というメッセージです。それはイエス様から私たちのために、喜びのニュースですね。四旬節の中で、私たち一人一人が、自分の心の傷を振り返ります。人によってその傷は違いますね。ある人にとっては、モーゼと同じように病気の状態です。他の人にとって、悪い習慣かもしれません。また、依存症の苦しみもあります。どんなことであっても、イエス様の十字架は、癒しのちからがあります。

どうぞ皆さん、今週の中で、お御堂の十字架か家の十字架を見て、自分のためのイエス様の愛を感じましょう。ありがとうございます。