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全線乗車(小海線→飯山線→只見線) 2024年 冬

2024.03.13 12:19

JR小海線(山梨県~長野県)を利用した後に長野県入りし、「善光寺参り」をした。帰路は、JR飯山線(長野県~新潟県)経由で、小出から会津若松までJR只見線全線に乗車した。

 

私は、1971(昭和46)年8月29日の国鉄只見線全線開業を知らせる地元紙に『善光寺参りも楽に行ける』との地元の方の声が掲載されているのを知り、機会があれば只見線から列車を乗り継いで長野県に向かい「善光寺参り」をしたいと思っていた。*下掲記事:福島民報 1971年8月30日付け一面と社会面

 

今回は東京で用があったため、関東経由で善光寺に立ち寄ってみようと考えた。只見線から列車を乗り継ぎ「善光寺参り」は次の機会にし、「善光寺参り」をしてから只見線に乗る列車旅の計画を立てた。

旅の経路
1日目:郡山~東京~甲府~小淵沢~(JR小海線)~小諸~長野~「善光寺参り」
2日目:長野~(豊野)~(JR飯山線)~越後川口~小出~(JR只見線)~会津若松~郡山


JR小海線は国内屈指の山岳鉄道で、小淵沢駅(山梨県北杜市)と小諸駅(長野県小諸市)を結ぶ全長78.9kmの路線。特徴は国内最高標高点を通過し、野辺山駅は国内で最も高い場所にある駅となっている。また、沿線に田園は少なく、広大な葉野菜畑が広がっていることでも有名だ。*下掲地図:国土交通省 国土地理院「地理院地図」色別標高図 URL: https://maps.gsi.go.jp/


JR飯山線は、豊野駅(長野県長野市)と越後川口駅(新潟県長岡市)を結ぶ、全長96.7kmの路線。特徴は国内最大の流域面積を誇る信濃川(長野県側では千曲川)に沿ってレールが延び、日本最高積雪7.85m(1945(昭和20)年2月12日)を記録した森宮野原駅があるように豪雪地帯を通る鉄路になっている。*下掲地図:国土交通省 国土地理院「地理院地図」色別標高図 URL: https://maps.gsi.go.jp/

 

私は小海線、飯山線ともに過去に1度、夏に利用している。今回、車窓から見られる冬景色を楽しみ、“遠くても一度は参れ”・“一生に一度は参れ”と言われる善光寺を訪れ、只見線を利用し自宅に帰る旅に臨んだ。

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の冬-

 

 


 

 

昨日、郡山から列車に乗って東京を経由して、小海線の起点である小淵沢に到着。甲府でみぞれ混じりの雪が降っていたが、ホームには3㎝ほどの積雪があり、しっとりとした大粒の雪が激しく舞っていた。


小淵沢駅を訪れるのは3度目。前回は駅舎建替えが終わり、駅に接続する道路の改良工事が行われていた。

この駅は、JR東日本が進める“エコステ”で、豊富な日照時間を利用した太陽光発電で駅で使用する電力の大半を賄っている。 *参考:東日本旅客鉄道㈱ 「エコステ


跨線橋を渡り、既に列車が待機している小海線のホームに向かった。車両はJR東日本が開発したハイブリット車両・キハE200形だった。

キハE200形は“発電用ディーゼルエンジンで発電した電気と蓄電池に充電した電気を効果的に利用して走行する、世界初の営業運転を行うハイブリット車両”(引用:JR東日本「JR東日本の列車たち」)だという。ちなみに、只見線でも臨時列車として運行されたGV-E400系は電気式気動車だが、蓄電池は搭載していない。

小海線の全線運行列車は上下9本あり、只見線の3本に比べ各段に多い。小淵沢駅が首都圏と甲信地方を結ぶ幹線鉄路・中央本線にあり、長野県側には県下第4位の約9万7千人の人口を有し新幹線駅(佐久平)がある佐久市を通るなど、相応の列車本数だと思った。 

車内は比較的混雑していたが、先頭の1×1BOX席が空いていて座ることができた。

15:01、小海線、小諸行きの列車が小淵沢を出発。

 

外の雪は、激しさを増した。全国的に雪の少ない今冬に、『これだけ降るとは...』と唖然としながら車窓を眺め続けた。

前述した通り、小海線は国内最高地を通過する路線で、最高標高駅・野辺山までは登坂となるため、車内には豪快なディーゼルエンジンの音が響き続けた。

 

最初の停車駅・甲斐小泉で甲斐の地酒を呑む事にした。選んだのは定番の山梨銘醸㈱の「七賢」。 

「七賢」を呑む。

辛い。ラベルに“甘酸辛苦渋”と書かれているが、“辛”と“渋”が際立つ印象的な味わいだった。個人的には熱燗で呑みたいと思う酒だった。

   

甲斐大泉清里の各駅付近はペンションなど洒落た建物が目立ったが、他は沿線周囲に森林が広がった。雪の勢いはおさまらず、木々は綺麗に雪を纏っていた。

 

 

15:30、県境を越え、北杜市(山梨県)から南牧村(長野県)に入ってまもなく、「JR鉄道最高地点」(1,375m)を示すモニュメント(標杭と石碑)に挟まれた位置にある第3甲州街道踏切を通過。

この踏切の両側には、最高点を示す木製の大型標杭(北側)と石碑(南側)が置かれているが、写真に収める事ができなかった。

 

この付近からは、晴れていれば高原らしい風景が見られるが、今日は雪に閉ざされ、地形さえも定かには見えなかった。


15:33、JR線内の駅で、最も高い標高(1,346m)に位置する野辺山に停車。*参考:東日本旅客鉄道㈱「信州の駅を訪ねる 駅の小さな物語」小海線 野辺山駅

 

野辺山を出ると、南牧村から、一旦川上村に入り、“レタス街道”と呼ばれる農道に沿って列車は進んだ。雪は止む事無く、視界は悪くなる一方だった。

前回の乗車は9月だったこともあり、沿線には広大な葉野菜畑が車窓から見えた。

  

信濃川上に停車すると、駅舎にはレタス畑と千曲川源流と思われる清流の写真が使われた大きな看板が掲げられていた。

信濃川上を出た列車は、再び南牧村に入った直後に 初めて千曲川を渡河した。

  

15:59、列車は、佐久広瀬に停車。周囲に民家は見えず、只見線の会津大塩駅と似た雰囲気を持っていると思った。

  

佐久海ノ口を経て、海尻手前では千曲川を5回目となる渡河をした。川上村と南牧村との境で姿を現した千曲川は、新潟県に入り信濃川と名を変え日本海に注いでいる。*参考:国土交通省 北陸地方整備局 信濃川下流河川事務所「信濃川について

   

16:21、松原湖から小海町に入った列車は、線名の由来となる小海に停車。

小海線には“海”が付く駅名が多いが、これは1,000年以上前に発生した八ヶ岳の水蒸気爆発(大地震とも)で千曲川が堰き止められ、大きな天然ダム湖が出没したことに由来するという。小海とは近くに流れる相木川が同時期に堰き止められ、そこにできた天然ダム湖が小さかったため名付けられたと言われている。*参考:読売新聞「「海」と名乗るのに「日本一海から遠い駅」…720m差で長野に新名所誕生」(2021年7月1日) URL: https://www.yomiuri.co.jp/national/20210701-OYT1T50114/

  

17:09、佐久穂町を駆け抜けた列車は佐久市に入り、中込などを経て佐久平に停車。北陸新幹線(当時は長野(行)新幹線)の開業に合わせ、小海線が高架化され請願駅として開業した珍しい駅だ。眼下には新幹線のホームが見えた。

  

 

17:34、美里手前で小諸市に入り、三岡乙女東小諸を経て、列車は終点・小諸に到着。佐久市に入ってから乗車した高校生を中心に、多くの客が降りた。

 

先頭車両を見てみる。只見線を走る降雪期の列車で見慣れた雪が貼り付いた前面だったが、まさか小雪の今冬に小海線でも見られるとは思わなかった。

あいにくの雪模様で、期待した高原の冬の風景は見られなかったが、無事に山梨県から長野県までの小海線全線を乗り通すことができた。

この小海線には、専用の観光列車「HIGH RAIL 1375」が、2017(平成29)年7月から運行されている。“1375”とは、「JR鉄道最高地点」(1,375m)に由来している。*参考:東日本旅客鉄道㈱「のってたのしい列車」HIGH RAIL 1375 / 下掲出処:東日本旅客鉄道㈱長野支社「小海線「のってたのしい列車」の車両愛称が決まりました!」(2017年2月2日) URL: https://www.jreast.co.jp/nagano/pdf/170220.pdf

(上掲より、引用)
1 車両愛称 「HIGH RAIL 1375(ハイレール イチサンナナゴ)」
野辺山駅をはじめとした標高が高い駅を有する線区の特徴(高さを示 す)「HIGH(ハイ)」、線路の「RAIL(レール)」、JR線標高最高地点1,375m(小海線:野辺山駅~清里駅間)を組み合わせた造語です。標高の高い小海線から見上げる、「天空」「星空」を楽しんでいただきたいとの想いを込めて命名しました。


観光列車「HIGH RAIL 1375」は、キハ100とキハ110を改良した2両編成で、車内W-iFiを利用し「空」「宇宙」や車載カメラの前方・後方映像をスマホに表示させたり、「オリジナルブランチ」や「スイーツ」の提供を行っている。また、野辺山駅で1時間程度停車し「星空観察会」などのイベントも開催しているという。*下掲出処:東日本旅客鉄道㈱長野支社「小海線「HIGH RAIL 1375」~7月1日いよいよ運転開始~」(2017年5月19日) URL: https://www.jreast.co.jp/nagano/pdf/170519-2.pdf

小諸からは、信越本線が北陸新幹線の開業により経営分離されたしなの鉄道に乗り換えた。長野行きの列車は、雪の影響で15分ほど遅れて出発した。

  

18:51、定刻から10分ほど遅れて、長野に到着。

駅からは、雪が降り続く繁華街を通り、善光寺に向かった。

 

駅から歩く事約20分で善光寺に到着。本堂は驚くほど大きく、そして周囲に高い建物が見えないことから、その巨大さが際立ち、圧倒された。

本堂に進み、蹴上が高く、しっかりとした設えの階段を上り参拝した。そして、只見線の全線開業の後、どれほどの方が「善光寺参り」をしたのだろうと思いを馳せ、善光寺を後にした。*参考:「善光寺」 URL: https://www.zenkoji.jp/

  

 

今朝、宿を出て未明の長野駅に向かった。今日は飯山線の始発列車に乗って全線に乗車し、上越線を経由して小出駅から会津若松駅まで只見線の列車に乗る予定だ。

改札を通り、北東端にある飯山線のホームに行き待っていると、列車が入線してきた。

只見線でも見慣れたキハ110を先頭にやってきた列車の3両目に、えんじ色の車両が連結されていて、『まさかっ!』と思った。

なんと、飯田線を走る観光列車「おいこっと」の2号車として使われているキハ110-236だった。

*下掲出処:東日本旅客鉄道㈱ 長野支社「飯山線に新しいコンセプトの列車が誕生します」(2014年7月18日) URL: https://www.jreast.co.jp/nagano/pdf/140718-2.pdf

*下掲出処:東日本旅客鉄道㈱ 長野支社「飯山線観光列車「おいこっと」でさまざまなおもてなし等を実施いたします」(2015年2月26日) URL: https://www.jreast.co.jp/nagano/pdf/150226.pdf

えんじ色ベースに、五線譜をイメージしたというアイボリー色の格子線が描かれていて、味のある外観だった。

 

車内に入ると、床から天井まで茶色系の落ち着いた内装で、“古民家風”との意図が納得できた。吊革は観光列車では不要だが、今回定期運行の列車にも運用されている事を知り、やむを得ないと思った。

BOX席のテーブルは鍵付きの保管庫に収納されていたが、座席は肉厚で改造元のキハ110より座り心地は良かった。

ロングシートは、2人分に分割されていた。肘掛けにはテーブルが収納されているが、BOX席同様使えないようになっていた。テーブルは「おいとっこ」で走行する時の設備として区別されているようだった。

5:10、越後川口行きの直通列車が長野を出発。私は1×1BOX席に座った。

   

まもなく車内検札があり、しなの鉄道の乗車区間(長野~豊野)の切符を購入した。

 

列車が豊野から飯山線に乗り入れ、信濃浅野立ヶ花を経て長野市から中野市に入り、上今井から替佐と進むと、徐々に外が明るくなってきた。

そして、千曲川が近付いた。

千曲川はS字に蛇行していて、蛇行部は幅広く、淵も見られた。

 

5:52、飯山市に入った列車は、に停車。

  

5:58、北陸新幹線の高架線が見え、新幹線駅を併設する飯山に停車。飯山市の中心駅で、線名の由来となっている。

 

飯山を出て北飯山信濃平を経ると、3kmほど田園の間を進んだ。会津平野の田園を思わせる広さで、終点までこの田園がもっとも広かった。

  

6:11、列車は、戸狩野沢温泉に停車。

ここで、後ろ2両の切り離しが行われた。当駅始発の長野行きは10本もあり、切り離された列車は6時27分発の長野行きのなるようだった。

飯山線には、乗り換えなしの全線走行列車は、下り(越後川口行き)が4本あるが、上り(長野行き)は無い。上り列車は、この戸狩野沢温泉駅かこの先の十日町駅での乗り換えが必要になっている。

 

6:18、戸狩野沢温泉を出てまもなく千曲川が近付き、35km先にある信濃川橋梁で渡河するまで左岸を進んだ。


ここで、信濃の地酒を呑む事にした。選んだのは大雪渓酒造㈱の「大雪渓」。

千曲川を眺めながら「大雪渓」を呑んだ。

期待通りの純米酒。雑味の無いすっきりとした味わいながら、旨味と風味が感じられる旨い酒だった。キリっと冷やして呑みたい純米酒だと思った。

  

上境を出て逆S字に蛇行した千曲川が、上桑名川手前で川幅を広げ直線になった。下流側にある東京電力リニューアブルパワー㈱西大滝ダムのダム湖だった。

 

桑名川を経て西大滝を過ぎると、千曲川に架かる国道117号線バイパスの東大滝橋(530m)が見え、飯山市から栄村に入った。

 

信濃白鳥を経て平滝に向かうなかで、車両から家々を見下ろした。この付近の飯山線は、千曲川が作った谷底平野の斜面中腹に敷設されているため、平野の田畑や家々を見下ろすことになるようだった。

 

横倉を出て第二横倉トンネルを抜けると、千曲川が川床に大きな石が目立つ場所になった。右岸には崖崩れ跡のような土肌を見られた。

 

6:59、森宮野原に停車、長野行きとの交換を行った。

森宮野原駅は、1945(昭和20)年2月12日に国内の駅での最高積雪7.85mを記録した。駅の駐車場と上り線の間には、“日本最高積雪地点”と記された積雪高より少し高い標杭が立っていた。

 


列車は長野県から新潟県(津南町)に入り、足滝を過ぎると千曲川から名を変えた信濃川が眼下に見えた。

 

7:11、越後田中に停車。

只見線には越後須原と越後広瀬の間に魚沼田中駅があるが、この駅が路線内で唯一“魚沼”を冠している。飯山線の“越後”田中駅が先行開業(1927(昭和2)年)していたため、1951(昭和26)年に新設される際に“魚沼”を冠したようだった。

 

津南手前では、信濃川に注ぎ込む中津川の大きな合流点が見られた。

  

7:27、越後鹿渡越後田沢間に架かる、信濃川橋梁を渡り十日町市に入った。下流には、西大滝ダムを取水堰とする東京電力リニューアブルパワー㈱信濃川発電所の送電設備があり、無数の空中架線が見えた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

飯山線(96.7km)は千曲川ー信濃川沿いに敷かれているが、驚くことに渡河はこの信濃川橋梁の1箇所となっている。列車は信濃川橋梁より南は左岸を、北は右岸を走り続けることになる。福島県側で只見川を7回、新潟県側で末沢川を16回、破間川を8回、それぞれ渡河する只見線とは大きく異なっている。

 

越後水沢から土市を過ぎると住宅が続くようになり、車内放送が『次の停車駅は、十日町』と告げ、列車がスピードを落とし市街地中に入ってゆき振り返ると、地下から北越急行㈱ほくほく線が現れた。その後、ほくほく線は高架となり、しばらく飯山線と並行した。

  

7:45、十日町に到着。乗車客の半分ほどが降りた。

十日町駅は始発着の列車が多いが、北陸新幹線の金沢延伸まで首都圏から北陸方面への短絡・高速鉄路として敷設された、北越急行㈱ほくほく線の列車の本数は倍以上で、並べられた時刻表を見ると一目瞭然だった。


十日町駅では、停車時間が40分(!?)もあるため、駅構内や駅頭を見て回った。跨線橋から北に目を向けると、ほくほく線のホームが高架線上にあることもあり新幹線駅のように見えた。

駅頭に出て、東口から両側にアーケードを持つ駅前通りを眺めた。平日の8時台ではあったが、人通りは無く閑散としていた。車社会となった地方の、駅や駅前“一等地”のこれからの役割を考えさせられた。

 

散策を終え列車に戻ると、長岡発・戸狩野沢温泉行きの上り列車が入線してきた。後部車両は、観光列車「おいこっと」の1号車(キハ110-235)だった。私が乗っている2号車の外観カラーが反転され、アイボリーをベースにえんじ色が配されていた。

  

8:25、列車が十日町を出発。まもなく、ほくほく線が分かれ、高架線が起点となる六日町(JR上越線)方面に延びていた。

 

魚沼中条の次に停車したのが、下条。“しもじょう”と読むかと思いきや、“げじょう”だった。

 

小千谷市に入り越後岩沢を出てまもなく、信濃川が近付いた。結局、ここが最後の信濃川眺望ポイントだった。

 

内ヶ巻を出て長岡市に入った列車は、“まもなく終点”を告げる車内放送が流れる中、列車は魚野川橋梁を渡った。

只見線にも同名の橋梁があるが、こちらは直線で、鋼鈑桁が20も連なる橋になっている。下流側には県道197(向山越後川口停車場)線の川口橋が見えた。

   

 

8:53、列車は終点の越後川口に到着。飯山線全線乗車を終えた。

越後川口駅は、魚野川が信濃川に注ぐ河口に面する、旧川口町役場(現 長岡市川口支所)のある市街地にあるが、只見線の会津川口駅と違いホームから川は見えなかった。

 

飯山線の列車から降りた客の多くは、上越線のホームに向かい、長岡行きの列車に乗り換えていた。

私も上越線のホームに移動し、やってきた越後湯沢行きの列車に乗り換えた。

  

 

9:11、3つ先の、只見線の発着駅・小出に到着。

駅舎に向かい、待合室で少し休憩してから魚野川橋梁を渡る只見線の列車を撮影しようと小出駅を出た。

 

県道371(堀之内小出)線の小出橋を渡り、魚野川右岸の堤防を進み、魚野川橋梁が見えて安心したのもつかの間、会津若松発・小出行きのキハ110単行(1両編成)が静かな音をたてながら渡河してしまった。

2分後に、列車を撮影しようとした場所に到着。小出橋からここまで700mだったが、歩ききる時間の見積もりが間違っていたようだった。

  

 

周辺を歩き回り時間を調整し、早めの昼食を摂ろうと11時の開店時間に合わせて「そば処 富永」に向かった。

引き戸を開けて店内に入ると、女将が出迎えてくれ、熱い緑茶を出していただいた。「そば処 富永」は夜も営業している地域の人気店で、座ったカウンターの正面には、名札がかけられたボトルがずらりと並んでいた。

メニューも見ても、一品料理や地酒が充実していて、夜に訪れたいと思えた。

 

注文したランチは、10分ほどで運ばれてきた。今日は、豚生姜焼きが副菜として添えられていて、想像していた蕎麦屋のランチとは違い、華やかな見た目で、ボリュームもあった。

白飯は、もちろん魚沼産コシヒカリ。私好みの硬めの炊き加減で、ツヤと香り、そして味は申し分なく、そのままでも美味しく食べられた。

 

蕎麦は太めの田舎そばの、冷やしたぬきだった。

豚生姜焼きと白飯から食べ始め、〆を蕎麦にした。

全てが申し分ない旨さで、白飯はおかわりをしてしまった。蕎麦は風味と滋味が感じられ、コシも適度で秀逸だった。次の機会、酒を呑んだ後に〆でざる蕎麦を食べてみたくなった。

  

「そば処 富永」を後にして小出橋を渡り、上流側を眺めた。「越後駒ヶ岳」(2,002.7m、新潟百名山52座)を含む「越後三山」は、雲に隠れてまったく見えなかった。

上越線の線路を跨ぐ際に只見線のホームを見ると、列車は2本並んでいた。左のキハ110東北本部色が先頭の列車はこれから私が乗る13時12分発、右のキハ110の単行(1両編成)は16時12分発は会津若松行きの最終列車のようだった。

 

小出駅に到着し、駅前の「富士屋」で日本酒を購入してから駅舎に入った。

開放された改札口を通り、只見線の4-5番線ホームに向かった。跨線橋に上り進むと、突き当りの壁に来たる3月16日に行われるダイヤ改正で小出~只見間が含まれ、只見線全線でワンマン運転される事にともない変化する乗降車の案内が掲げられていた。

只見線の4-5番線ホームに下りると、会津若松行きの2番列車(キハ110の2両編成)の前には6人の客が待っていた。

列車の扉は、12時30分過ぎに開いた。 

 

席を確保し、只見線全線乗車恒例の“会越の酒呑み比べ”を始めた。越後の酒は朝日山酒造㈱の「朝日山」百寿盃(普通酒)を選んだ。

「朝日山」を呑む

口に含んだ瞬間は辛味が先行したが、その後はまろやかで、吞み下すと甘味が抜けた。冷や・常温でも、十分いける酒だった。

 

つまみは、亀田製菓の新潟県限定「サラダホープ」。新潟の地酒を呑むときの定番のアテになっている。

 

 

13:12、会津若松行きの列車が小出を出発し、右に大きく曲がり「魚野川橋梁」を渡った。

橋上から、魚野川上流側を眺めた。「越後三山」は雪雲に隠れていたが、小出市街地を囲む里山が見られた。

市街地を抜け周囲が田園を覆う雪原になると、前方に“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m))がよく見えた。*参考:拙著「魚沼市「権現堂山」登山 2020年 盛夏」(2020年8月13日)

 

車内の様子。2両とも混雑していて、立客も見られた。地元の方も乗っていたが、ほとんどが旅行客のようで、この状態は終点まで続いた。「青春18きっぷ」の使用期間ということでの混雑だと思たが、“只見線の旅の入口”として、首都圏を中心に多くの方が春・夏・冬の各シーズンで「青春18きっぷ」を使った旅をし続けて欲しいと願った。

   

藪神を出ると、「第一破間川橋梁」を渡った。濃紺の川面だった。

 

列車は、建物が点在する破間川沿いに細長く伸びる田園を進み、越後広瀬魚沼田中を経て越後須原に停車。乗降ドアが開くと、正面には、南東裾が須原スキー場になっている、四等三角点「西村山」を持つ山が見えた。*参考:拙著「魚沼市「鳥屋ガ峰」ー 四等三角点「西村山」トレッキング 2023年 初冬」(2023年12月9日)

 

上条を出ると、列車は「鷹待山」(339m)を巻くように半円の大カーブを駆けて入広瀬に向かった。


柿ノ木駅跡を通過してまもなく、「第一平石川橋梁」を渡った。上流の取水堰は越水していなかった。

(注)破間川は、源流から旧大栃山村と旧穴沢村の境界(黒又川合流点付近)までを平石川と呼んでいたため、橋梁名にその名残がある。

   

「第四平石川橋梁」を渡ると、下流側の水墨画のような景色の中で、柿ノ木スノーシェッドの真っ赤な鋼材が際立って見えた。


一ツ橋トンネルを抜け、鉄道風景写真の撮影ポイントにもなっている、国道252号線の跨線橋・一ツ橋を潜ると、右下に破間川の渓谷が見えた。

  

13:56、目の前に破間川の清流が見える大白川に停車。

 

大白川を出ると、「第五平石川橋梁」を渡った。右前方に延び、只見線が16回渡河する破間川の支流・末沢川を沿うように右に大きく曲がりながら渡河した。

渡河後、向平トンネルを抜け国道252線と400mほど並行する区間を進んだ。先月、大白川駅から国道252号線を1.5kmほど進んだ場所で列車の撮影をしたが、その際に作った雪だるまは、その後に降り積もった雪に埋もれてしまっていた。*参考:拙著「沿線冬景色(全線乗車 会津若松⇒小出) 2024年 冬」(2024年2月10日)

 

「第六末沢川橋梁」を渡り、上流側に並行する国道252号線の茂尻橋を見た。国道252号線は降雪期に大白川~只見間が通行止めになり除雪されないため、欄干を越える雪が積もっていた。

 

「第八末沢川橋梁」を渡り、末沢川の渓谷を眺めた。福島県側のダム湖が続く奥会津地域の沿線とは大きく違う険しい風景に、見入った。

山の斜面が列車に迫り、落葉した幼木が立ち並ぶ風景も福島県側とは違い、この区間をスピードを落として運行されるならば、只見線の風景の多様性が知れ渡り、“観光鉄道「山の只見線」”の定着に寄与するのではないかと改めて思った。

  

「第十四末沢川橋梁」を渡り上流側に目を向けると、電源開発㈱の末沢第2取水ダムの洪水吐ゲートが見えた。

この後、短い「第十五末沢川橋梁」(18.5m)、「第四毛猛トンネル」(72.0m)、「第十六末沢川橋梁」(21.6m)を通り抜け、“会越国境”の「六十里越トンネル」(6,359m)に入った。 

 

 

「六十里越トンネル」を8分ほどで潜り抜け、福島県只見町に入った。只見沢の流れは細かった。

春の雪融け水に備えてか、田子倉ダム湖の貯水量は少なく、“只見沢入江”は干上がり、中心部の湖面は、遠くに小さく見えた。*田子倉ダム湖は電源開発㈱田子倉発電所の調整池

 

「田子倉トンネル」、「第一赤沢トンネル」、「第二赤沢トンネル」と抜け、右の車窓から振り返ると電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐と、その後方に田子倉ダム巨大な堤が見えた。

  

市街地に入り、只見スキー場が左に見えると、列車は減速し停車駅を伝える車内放送が流れた。

そして駅舎が見えると、引き込み線に除雪車が停車していた。

14:25、只見に停車。長野から9時間15分かかった。小出で約2時間の乗り換え時間があったので、乗車時間は実質7時間だった。

   

停車時間が30分あるため下車し、国道252号線沿いの松屋で買い物をしようと駅頭に出た。只見線の全線運転再開のカウントボードは529(日)を表示していた。

  

 

買い物を終え駅に戻り、只見四名山「要害山」(705m、会津百名山91座)を背景に列車を眺めた。*参考:拙著「只見町「要害山」登山 2016年 初夏」(2016年7月20日)

駅舎を抜けホームに着くと、写真などを撮っていた客は席に戻ったようで、静まり返っていた。

14:35、列車は只見を出発し、「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で不通となり、2022年10月1日に約11年振りに復旧された区間を走行した。この区間(只見~会津川口間、27.6km)は、上下分離方式で福島県が保有・管理している。

 

市街地から離れ、叶津地区に入ると、只見四名山「蒲生岳」(828m、同83座)が、“会津のマッターホルン”らしい山容を見せていた。*参考:拙著「只見町「蒲生岳」登山 2016年 初秋」(2016年10月11日)

そして、只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。

渡河後、豪雨で大きな被害を受けた八木沢地区の背後を抜けると、国道252号線の八木沢スノーシェッド上部の見晴らし区間を駆けた。

 

会津蒲生に停車。駅名標は復旧後に福島県によって一新され、「蒲生岳登山口」という副駅名が記される事になった。

  

会津蒲生を出てしばらく走ると、「第八只見川橋梁」を渡った。只見川の左岸の縁に渡されているため、不渡橋となっている。*只見川は、電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

“渡河”後まもなく、会津塩沢に停車。ここにも「河井継之助終えんの地」という副駅名が付けられている。

長岡藩の家老で軍督の河井継之助は、戊辰役・北越戦争で左膝に重傷を負い、奥羽越列藩同盟の盟主である会津藩の鶴ヶ城下を目指したが、この塩沢地区の村医宅で傷の悪化(破傷風)により亡くなってしまった。駅から北東に10分ほど歩くと「河井継之助記念館」がある。

 

会津塩沢を出て、“会越の酒 呑み比べ”。会津の酒は、南会津町の「開当男山酒造」純米生貯蔵酒を選んだ。

只見川を眺めながら「開当 男山」を呑む。

口のながで吟醸酒のような芳醇さと香りを感じたのち、純米酒の爽やかさとスッキリ感を味い呑み下せた旨いさけだった。店の冷蔵庫から出して間もないので、しっかりと冷えていることも旨さに輪をかけていた。

 

滝トンネルを抜けて金山町に入った列車は、会津大塩を経て復旧工事で上路式から下路式に一新された「第七只見川橋梁」を渡った。

  

会津横田会津越川を経て、民宿「橋立」の駐車場に立つ只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過。

 

本名トンネルを抜けると、「第七」同様に一新された「第六只見川橋梁」を渡った。上流側に建つ東北電力㈱本名発電所・ダムはゲート1門を開けて放流してた。発電所側の落水の様子も水の色で分かった。

 

本名を出てしばらくすると、「第五只見川橋梁」を渡った。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

 

 

15:25、会津川口に停車。小出行きの列車と交換を行った。

  

会津川口を出た列車は、会津中川を経て「第四只見川橋梁」を渡った。

   

会津水沼を出ると、細越拱橋を渡り三島町に入った。

 

早戸の手前では、国道252号線三島大橋の下で大型トラックが行き来し、バッグホウが動いていた。只見川に注ぐ逆瀬川河口の堆積土除去のようだった。

 

「早戸トンネル」と経て「滝原トンネル」を抜けると「第三只見川橋梁」を渡った。上流側には、金山町と三島町の境界となる界の沢が滝となって只見川に落ちていた。*只見川は東北電力㈱宮下発電所の宮下ダムのダム湖

  

宮下ダムの脇、宮下発電所の背後を駆けた列車が会津宮下を出ると、「みやしたアーチ3橋(兄)弟」の長男・大谷川橋梁を渡った。下流側には県道237号線の次男・宮下橋が見えた。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

渡河後、左に田園を見ながら少し進むと、「第二只見川橋梁」を渡った。上流側の「三坂山」(831.9m、同82座)は霞み、稜線だけが見えた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

 

会津西方を出て名入トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。*只見川は柳津ダムのダム湖

上流側、右岸の駒啼瀬上方の送電鉄塔下の「第一只見川橋梁ビューポイント」の中段・Cポイントには数人の“撮る人”の姿があった。

  

会津桧原を出た列車は、「滝谷川橋梁」を渡り柳津町に入った。

  

滝谷を経て郷戸を出ると、“Myビューポイント”を通った。「飯谷山」(783m、同86座)は少し霞んでいたが、山肌まで見えた。

  

会津柳津を出発した列車は、会津坂下町に入った直後に会津坂本に停車。貨車駅舎(待合室)に描かれた「キハちゃん」は満面の笑顔で出迎え、そして見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg

  

列車は、会津坂本を出ると七折峠に入り登坂を始め、下り途上の塔寺を出ると、木々の間から会津平野を見渡すことができた。

  

“七折越え”を終えた列車は、会津平野に入り、ディーゼルエンジンを軽く蒸かしながら終点まで快調に進んだ。

 

会津坂下若宮を経て会津美里町に入り、新鶴根岸と進むと、“高田 大カーブ”の手前で霞む「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)が見えた。*参考:拙著「会津美里町「明神ヶ岳」登山 2020年 初夏」(2020年6月7日)

 

会津高田を出て、会津本郷手前で会津若松市に入った列車は、大川(阿賀川)を渡った。「大戸岳」(1,415.9m、同36座)山塊は、霞んではいたが複雑な山襞が見えた。*参考:拙著「会津若松市「大戸岳」登山 2022年 春」(2022年5月4日) 

   

 

17:24、市街地の中の西若松七日町を経た列車は、終点の会津若松に到着。跨線橋に向かう多くの客の後方について私は磐越西線・郡山行きの列車に乗り換えた。

  

 

磐越西線の列車に乗り、猪苗代手前で“会津の象徴”「磐梯山」」(1,816.2m、同18座)を見てみるが、中腹から上が鼠色の雲に覆われて、全容は見えなかった。

   

18:36、郡山に到着し、無事に1泊2日の旅が終わった。

今回は、「善光寺参り」をしてから飯山線経由で只見線を利用したが、次に機会があれば、只見線開業当時の只見町町民の声にならい、只見線~飯山線~「善光寺参り」という経路で旅をしたいと思った。その際は、飯山線で観光列車「おいとっこ」号に乗り、キハ110を改造した観光列車の乗り心地を検証してみたい。

 

 

(了)

 

 

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*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書(PDF)(令和2年3月) 「復興事業に係る事務の執行について」 p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

 [寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。