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理不尽な社会と向き合う作法

2024.03.14 12:17

こんにちは。

高野直人(こうのなおと)です。


ナイーブな心を持っている人ほど、

「この社会は理不尽だ」

ということをよく言います。


実際に起こっていることが、

現実なのに、


その現実を受け止めきれず、

頭の中の理想や期待と比べて、

現実に不満を抱き、

それを否定しようとするのです。


こういう人たちにとっては、

自分にとって理想的な状態や、

期待した通りに収まる状態こそが、

デフォルトで、


そうじゃないことは、

例外であり、異常である、

という認識なのでしょう。


つまりは、

社会や他者への信頼や、

期待が大きすぎるから、


悲しみや憤りを感じたり、

ガッカリすることが多いんですね。



人間とはそれほど、

完璧な存在ではありませんし、

社会とは常に道理が通るほど、

シンプルなものでもありません。


もちろん、

理不尽なことは、

なければない方が良いし、


正せることは、

どんどん正していけば、

良いと思いますが、


大人になるにつれ、

人間のどうしようもなさとか、

社会の複雑さを深く理解するにつけ、


「どうにもならないことがある」

ということが腑に落ち、

その現実を徐々に受け入れていきます。


そして、

力の及ぶ範囲で、

道理が通るように、

ベストを尽くし、


どうにもならない現実とは、

折り合いをつけて、

バランスをとった生き方が、

できるようになります。


ところが、

潔癖すぎたり、

完璧主義になってしまうと、


ちょっとした人間の過ちや、

物事のしそこないを、

許せなくなります。


そういう人たちにとって、

この社会は悲しみと憤りに、

満ちたものになります。


そうすると、

だんだんと社会に対して、

恨みを抱くようになり、

生きづらさを感じ始めます。



社会の理不尽さに直面すると、

人は力を失います。


その時に、

ただ絶望し、脱力して、


「何も信じられない」

「社会は生きるに足るものではない」


といった極端な結論や、

ニヒリズムに堕してしまう人もいれば、


仲間を探し、

試行錯誤しながら、


自分が力を得られる、

源泉のようなものを、

探し続ける人もいます。


この辺りの違いは、

メンタルが健全であるかどうかが、

分かれ目になるのかもしれません。


理不尽な出来事に直面した時に、

ただ、それに不満を抱き、

それを否定して憤慨するだけなのか、


それとも、

それをキッカケに、


社会や人間の業を見つめ、

自分の物事の認識のクセや、

反応パターンを見つめ直すのか?


自身のメンタルと、

向き合っている人にとっては、

あらゆることが学びと気づきの

材料になりますね。


高野直人