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kojinkai

タッチタイピングとピアノの思考と学問。

2018.11.15 15:38

パソコンで初めてタッチタイピングが

できるようになったのは、私が中1の時まで

さかのぼります。


情報の授業でタッチタイピングという

言葉を習い、ソフトで練習をさせられ、

それを自宅でもやりたいと親にせがんで

同じソフトで自宅で何度も練習をしました。


”特打”というソフトで、当時の人たちは

知っている人も多かったのではないかと思います。

この時以来、私のタイピングスピードは一気に

ワープロ検定1級レベルにまで到達しました。

(ワープロ検定なんていうのはもう死語でしょうか?)



現在、私はピアノにおいても”タッチタイピング”に

挑んでいるわけでありますが、この思考はかなり

当時タッチタイピングに挑んだ時の感覚に似ています。


つまり、”そういう風にしようと思って練習しないと

永遠にできるようにはならないであろう”ということです。

当然ホームポジションなどなく、いや、あったとしても

楽譜によってはずれまくるため、難易度ははるかに

高いものとなっていますが。


例えば、スマホの入力も、従来の連打型の方式から

フリック入力の方式へ移行した人がいたと思います。

ハナから”フリック入力のみ”設定の縛りプレーを試みた人は

かなり早期にその技術を習得したのではないでしょうか。

最初は必ず苦労を強いられますが、しかし、

思考をそうやって制限して目的を明確にすることによって

それは早期に習得されたものと考えられるでしょう。



ピアノの先生は、譜読み、初見演奏に

わりかし力を入れている先生で、楽譜にドレミを

書くなんていうことはもってのほか、音は距離で

基本的には掴むものである、ということを

常々おっしゃっています。


私も、いつもそうでありたいというように思い、

人前での演奏という大仕事を終えてしまってからというもの、

初見演奏、タッチタイピング、そういったことに

とても興味を持って日々意識的に練習をおこなっています。

あるタイミングから、かなり楽譜の読み方も変わりました。



何かができるようになりたいという時には、

根本的に発想から変えていく必要に迫られることが多いです。

そしてそのためには、自ら思考に制限をかけて、このツールにおいて

考えようという発想の転換を試みてみる必要があります。

これは、学問においても同様のことが言えるでしょう。


一生懸命、というのにも色々な種類がありますが、

少なくとも「考えない”努力”」」というのは

はっきりやっても効果の薄いものとなります。


思考の方向性がいつもクリアーになっているということが、

あらゆる習得を効率化させ、次元を上げていくための

手立てになっていると考えられます。



新しい技術に対して積極的にそれを取り入れようとし、

自分のものとしていく子どもははっきり、強いです。

決まったやり方、従来のやり方に縛られていては

次元を超えられないのです。