”ダリウッド”から学ぶ日本とバングラデシュの深い仲
大阪アジアン映画祭の取り組みの一つとして、映画を”生きた教材”として活用しています。
開幕前には、映画の1シーンを実際に翻訳する映画字幕翻訳講座2024 in 大阪大学箕面キャンパスを実施。
さらに今年は、バングラデシュ映画『リキシャ・ガール』(2021)の字幕翻訳を神戸女学院大学文学部英文学科の学生が担当しました。
会期中には同学科の南出和余准教授が司会・通訳を務めたシンポジウム「リキシャ・ガールが映画(えが)く街」も実施。
オミタブ・レザ・チョウドゥリー監督とプロデューサーのムハンマド・アサドザマンさんが参加し、さらに深く映画の世界と、背景にあるバングラデシュ社会や文化を語りました。
オミタブ・レザ・チョウドゥリー監督(写真左)とアサドザマン・プロデューサー
日本で公開されたバングラデシュ映画と言えば、縫製工場に勤める女性たちが、劣悪な労働環境に立ち向かうべく労働組合を立ち上げることに尽力した実話を基にした『メイド・イン・バングラデシュ』(2019)が記憶に新しいところです。
しかし日本では、バングラデシュ映画が公開される機会は滅多にありません。
バングラデシュではかつて、年間100本以上が制作されていたそうです。
アメリカのハリウッド、インドのボリウッドに対抗して”ダリウッド”なる称号も。
それが近年では、ハリウッド大作やインド映画に押されて、自国の映画産業は厳しい局面を迎えているようです。
webメディア「Daily Sun」によると、2023年に製作本数は51本。
日本は映画製作本数世界4位(2017年の統計)で、2023年の邦画公開本数だけで676本なので(これはこれで多過ぎ!)、その差は歴然。
うち100スクリーン以上で公開されたのは、わずか8本だけとか。
⚫️「The year in films: A ‘cinematic’ 2023 for Dhallywood」(daily Sun 2023.12.31)
⚫️JETROによる「バングラデシュのコンテンツ産業市場調査」(2023年3月)
そんなダリウッドで気を吐くのが、長年テレビ界で活躍してきたチョウドゥリー監督です。
2016年に犯罪スリラー『Aynabaji』(英題『Mirror Game』)で映画監督デビューを果たすと、大ヒットを記録。
なんとインドで、『Gayatri』(2018)のタイトルでリメイクもされています。
続く、スリラー『Munshigiri』(2021)はバングラデシュの動画配信サービスChorkiで世界配信されました。
映像業界的にはベテランの域ですが、ダリウッド的にはまさに期待の星。
その証に、今回来日するにあたってダッカからエコノミークラスで来阪するはずが、
監督に気づいたキャセイパシフィック航空のスタッフがビジネスクラスにアップグレードしてくれたとか。
そして『リキシャ・ガール』の企画も、米国在住のプロデューサーから持ち込まれたそうです。
原作は、米国在住のベンガル人ミタリ・パーキンスの児童文学『リキシャ★ガール』(鈴木出版)です。
主人公ナイマは、バングラデシュ伝統の絵アルポナを描かせたら村一番という才能の持ち主。しかしアルポナでは、貧しい家庭を支えることは出来ません。
「自分が男なら」と悔しい思いを抱いていたアイナは、ある計画を思い付きます。
男装をして、リキシャの引き手であるお父さんの代わりに働けないか?と。
そこでこっそり運転の練習をしようとしたところ、コントロールが出来ず、大事な商売道具であるリキシャを壊してしまうことに……。
というのが、原作のあらすじです。
映画版は少し異なります。
お父さんが病で倒れ、家計を支えるためにナイマはダッカへ。
そこで手にした仕事が、お父さんと同じリキシャの引き手。
ナイマは性別を偽って働きに出るのですが、それがトラブルを招くという展開です。
家父長制が根強く残るバングラデシュで、女性が自立して働くことの困難さをテーマにしている点は同じ。
さらにそこに、実際に数人いるという女性のリキシャの引き手にチョウドゥリー監督が取材したエピソードが盛り込まれたり、ナイマが首都ダッカをリキシャで走る回るダイナミックな描写が加わりました。
主演は『メイド・イン・バングラデシュ』(2019)のノベラ・ラフマン。
海外から出資者を募り(米国・バングラデシュの合作)、劇中のセリフは全編英語と、米国公開を標準に制作が進められたそうです。
なのでYou tubeに上がっている予告編は、英語のセリフです。
米国では2022年12月10日に全米52都市で公開されましたが、興行成績は振いませんでした。
ただどうもチョウドゥリー監督は、米国のプロデューサーに「米国人は字幕を見ないから」と言われて全編英語セリフにしたことに、納得していなかったようです。
「観客が入らないのなら英語セリフにする意味ないじゃん!」
とばかりに、自らベンガル語吹替版を作成。
大阪アジアン映画祭では、このベンガル語版で上映されました。
チョウドゥリー監督がバングラデシュで映画を制作することの苦悩を語りました。
「バングラデシュで映画を作るのは、簡単なことではありません。
バングラデシュは英国、東パキスタンのポストコロニアル時代を経ており、独自の文化を発信する難しさがあります。
さらにバングラデシュの映画産業のマーケットは非常に小さく、人々の関心も薄い。(観客の興味を惹きつけるために、人気の)インド映画の文脈に沿った映画を作らなければなりません」
しかし時を経て、時代が本作を後押し。
リキシャ・ペインティング&リキシャが、2023年にユネスコ無形文化遺産に登録されたのです。
⚫️Rickshaws and rickshaw painting in Dhaka
日本では大阪アジアン映画祭が初お披露目となりましたが、海外ではApple TVやAmazon Primeなど大手動画サイトで配信中。
バングラデシュでも、リキシャ・ペイントそのものがポップアートとして若者が注目するようになり、ペイントが施されたTシャツや携帯ケースなどが販売されているそうです。
「リキシャのこの部分の絵が大事」と持参したお土産用リキシャで説明するアサドザマン・プロデューサー
「リキシャ・ペイントにも時代が反映されています。
まず色彩。白は白人からの支配を象徴する色なので、それに対抗する意味合いでカラフルに。
描かれるデザインも、1970年代後半の軍事政権化時代はイスラム色が強化され、偶像崇拝が禁じられていたので、代わりに動物が登場するなど、さまざまな表現フォームが築かれました。1980年代は再び映画の宣伝媒体として活用されるようになり、俳優の顔が登場。
現在はデジタル化によりデジタルプリントが普及していますが、そうすると手書き職人が仕事を失いかねません。
バングラデシュにとっては、リキシャ自体が走るギャラリーなのです。この文化を大切にしたいと思い映画を制作しました」(チョウドゥリー監督)
ところで、今やバングラデシュ名物となったリキシャですが、名前の通り、発祥は日本の人力車です。それがベトナムに渡って「シクロ」、マレーシアでは「トライショー」と名前を変えながらアジアを経由して遠くアフリカまで普及していったそうです。
「バングラデシュに普及したのは、植民地時代の影響です。
1930年代にインドのカルカッタあたりに入ってきました。当時バングラデシュは、インドの一部でしたからね。
1980年代は、もう日常の一部です。
小学校の通学に使用することもあって、渋滞に巻き込まれながら約1時間、友達と過ごす大切なひとときでもありました。
ただ最近はリキシャ立ち入り禁止地区も増えました」(チョウドゥリー監督)
ちなみに筆者は今年2月にベトナム・ニャチャンへ行ったのですが、
シクロが進化を遂げていました。
夜になると、カラフルなライトでピカピカ⭐️
日本の人力車が、時と国を超え、さらに地元の皆様に愛用されて、
バングラデシュではユネスコ無形文化遺産にまで。
まさに人力車が結ぶ世界の輪。
これまでアジアの人たち生活を変えた「スーパーカブ」の本田宗一郎氏を尊敬していたワケですが、その前に人力車があったじゃん!と気付かされた思い。
発明者は諸説あるようですが、平等に、和泉要助氏、鈴木徳次郎氏、高山幸助氏に拍手👏