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治療院アジアート

「人がどう思うか」を考え「自己中心的」になった その2 

2008.02.14 03:01

前回の続きです。

悲しい日々が何日か続いた後、私は徐々に立ち直り始め、冷静になると、新たな見方で現実を捉えられるようになりました。

「この年になっても、この程度のことで、こんなに落ち込むんだな、案外かわいいじゃん」

「自分が誰かを意図的に誘わなかった時、誘わなかった人を別に嫌ってはいなかったな」「一回誘われなかったからって、自分がそんなに嫌われ者だと思う必要もないか」

「相手の気持ちを知ることができてよかった。自分の現実を知ることもできたし」

「私はその程度の人間なんだから、好かれなくても仕方ない。将来は、もっと素敵な人になりたい」(「好かれる人になりたい」ではなくなった)

「自分がどんなに嫌な奴でも、一生付き合っていかなきゃならないんだから、現実を受け容れよう」

「自分の思いと、相手の思いの強さが違ったからって、そんなの当たり前じゃん」

「この経験を生かさない手はないな。何かをつかまなきゃ」

そんな気持ちになってきました。そこで私は決意します。(なぜかは聞かないでください。自分でもわからないので)

相手が自分のことを好きかどうかなんて、気にするのはよそう。

私が好かれないのは私に魅力がないからで、相手のせいではない。(当たり前)

私が誰かに好意を持つのは(恋愛感情ではありません。人として好きかどうかです)その人に何らかの魅力があるからで、相手の人物を見てのこと。

だから今後、私が相手に嫌われたにしても、自分の気持ちは、純粋に相手のことだけを見よう。その人がどんな人で、私がその人のことをどう思うのか?そこだけを見るようにしよう。

そう心に決めました。当たり前のことのようでも、決めないと、そう出来なかったんです。

これは「一方通行」を受け容れることでもありました。

私が誰かに対して一生懸命してあげる。何かを教えるなり、長時間相談に乗るなり、とにかく、何かしてあげたように見えること。それに対し、見返りは求めませんし、自分が苦労して身につけたことを、簡単に教えてしまうことにも抵抗はなくなりました。

考えてみたら、私が多くの人に、一方的にしてもらってきたことに気付いたからです。

親にしてもらったことはもちろん、例えばOL時代、周りの人たちにどれほど助けてもらったか。私は何一つお返ししてないような気がします。でも、それでいいのかなと思うんです。

私にくれた人たちは、私に返してもらう必要はない人たちです。私は別の人に返す。私があげた人からは返してもらう必要がありません。私はもう充分もらってきたから。

私がしてあげた人が、私のことを忘れてしまってもいいんです。私自身が、過去にとてもお世話になって大好きだった人たちのことを忘れることがあるから。