潜在意識の間違った思い込み
以前の記事にも書きましたが、潜在意識はとても真面目で、働き者。
私たちが、寝ぼけていても目覚ましを止め、酔っ払っていても家に帰れるのは、潜在意識が、日常のあらゆる動作を、いちいち考えなくてもいいように自動的に誘導してくれているおかげです。
思考についても同様で、赤ちゃんや、犬、ねこなどを見たらかわいいと思い、目つきの悪い人を見たら怖いと感じる。美味しそうな匂いには食欲が刺激され、軽快なリズムに身体が反応する。潜在意識は今までの経験を元に、あらゆることを判断し、生活の多くを担っています。
でもこの子(潜在意識)は、あまりにも純粋というか素直過ぎて、時々何かに騙されたり、勘違いや間違った思い込みから抜け出せなくなります。潜在意識は善悪の区別や、正誤を正したりはしないので、一度覚えてしまったことは、何の疑問も無く正しいと感じてしまうのです。
潜在意識は表在意識よりも先に働くように出来ていて、何も考えず、自然に任せた行動や思考なので、間違った方向に誘導されていても、自分ではそれに気付けないことがほとんどです。
ですから、なんか間違ってない?と感じた時には、自然に任せず、きちんと意識して、潜在意識ではなく、表在意識で思考を組み立てる必要があります。
そのためには、ちゃんと自分の頭で考えること。思い込みや、世間の常識などに縛られず、「自分はどうありたいか」に目を向けること。そこがポイントです。
潜在意識の間違った思い込みの代表的なものは、子供の頃に、親や周囲の人間から言われていた言葉です。
子供であれば、何をするにも不器用なのが当たり前。失敗もすれば、反抗もします。誰だって苦手なことはあるし、期待に応えられない事も沢山あります。
それらの言葉は、親や、周囲の人間の苛立ちから出た言葉で、真実ではない場合がほとんどです。「あんたはダメね」「あなたは本当に愚図ね」「ばかじゃないの」
とにかく、ネガティブな言葉を言われ続けていると、それが潜在意識に刻み込まれ、私はダメなんだ。愚図なんだ。ばかなんだと思い込んでしまうのです。
この呪縛は強烈で、大人になって人から褒められても、それを素直に受け取れなくなります。いやいや、私はダメなんだ。愚図なんだ。ばかなんだ。
逆に、「お前はいい子だね」「お前は本当にかわいい」「お前はやればできる子だ」などと言われて育てば、潜在意識はそれを信じるでしょう。
少し重い話をします。「死ぬ瞬間」という本をご存知でしょうか?
著者のエリザベス・キュプラー・ロス博士は、それまでタブー視されてきた死を、人生の一部としてちゃんと受け止めようとした、「死生学」の始祖といわれている方です。これについてはまた別の記事に書きますが、その一連の著書の中で、「子供の死」について書かれているものがあり、この中で紹介されていたエピソードは私の心を捉えました。
兄弟を幼くして亡くした子は、兄弟の死に罪悪感を持つというものです。
親が罪悪感を抱え込んでしまうのは想像が出来ます。どんな事情にせよ、その親御さんが子供の死に責任を感じてしまうのは、正しいことではありませんが仕方のない事でもあるかもしれません。でもその兄弟が罪悪感を持つというのは盲点でした。
それはなぜか。病気の兄弟があると、親は病気の子にかかりきりになってしまいます。どんなに仲が良く、いつもは心から元気になって欲しいと願っていても、子供なら一度くらいは「死んじゃえばいいのに」と思うこともあるでしょう。
あるいは、「神様、私はいい子になりますから、兄弟の病気を治してください」と祈り、その祈りが届かなかったら、自分の行いが悪かった。祈りが足りなかったと感じてしまうかもしれない。誰がどう見ても、絶対にこの子に罪はないけれど、潜在意識は自分に兄弟の死に対する責任があると、思い込んでしまうのです。
潜在意識は、自分の間違いを正当化しようと頑張ることもあります。
例えば自分のパートナーが暴力を振るう人間だった(DVですね)。とか、浮気ばかり繰り返す人で、自分を愛してくれない。それなのに、自分は5年も付き合ってしまった。
どう考えても、早く別れて他の人を探した方が、お互いにとって幸せなのに別れられない。なぜならば、別れてしまうと、今まで必死で耐えてきた5年間が無駄になってしまうから。
株などの含み損と一緒で、売らなければ損は実現しません。もう少し我慢して持っていれば値を戻すかもしれない。でも今売れば、損が確定してしまう。
冷静に見れば、その株を早く売り抜けて、将来性のある別の株を買ったほうが、損を取り戻せる可能性は高い。早く乗り換えた方が、損は小さいにもかかわらず、次の可能性よりも、自分の判断が正しかったと思いたい。