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治療院アジアート

強迫性障害は依存症に似ている

2008.04.05 02:08

強迫性障害の強迫行為は、アルコール依存症の飲酒に似ています。

不安を解消するために行なうのに、それをしても、決して不安は解消されず、やればやるほど嵌まってしまい、自分でもやめるべきだという自覚があるのに止められない。何とか必死でこらえて止めていると、依存から抜けて楽になるけれど、一度再開したら、あっという間に元の状態の戻ってしまう。そんなところも似ています。

手を洗ったり、確認などの強迫行為を繰り返せば、確かに一瞬は安心でき、恐怖や不安から解放されます。でも根本的な解決にはならず、またすぐに不安になってしまうのです。

強迫行為を行なっている自分に対しても自己嫌悪を感じてしまい、自己評価も下がってしまいます。それがまた、次の不安を生み出し、強迫行為を呼び起こします。

これをいつも練習しているので、脳の回路は強固になり、抜け出すことは出来ません。

アルコール依存の人が、アルコールに人生を支配されているように、強迫神経症の人たちも、この病気に、脳の間違った回線に、人生を支配されてしまいます。

ここまで来ると、意志の強さだけでは対抗できません。脳の仕組みを良く理解したうえで、合理的な対応策を練り、症状を抑えながら、根本的な解決を図る必要があります。

まずは強迫行為に手を出さないこと。他に注意を向け、新たに建設的な行動をすることで、正しい回路を形成し直します。これは訓練なので、失敗してもあきらめず、日々繰り返して、脳の回路を修正しましょう。

さて、ここからが大事なところです。根本的な問題の解消のためには、

自分自身を肯定し、自信を持つことが、回復のための重要な要素です。自分に自信があれば、自分の行動にも自信が出るし、不安や恐怖は改善されます。

これは自分がいけているからではなく、いけてない自分のことも肯定できるようになることです。方法は今まで何度か書いてきました。

そして、几帳面すぎる性格を手放し、少しだけいい加減な人になりましょう。

強迫性障害にかかる人は、根本的に几帳面で、何事もきっちりしていないと気がすまないタイプが多いのではないでしょうか?悪く言えば融通が利かない。弦も張りすぎていれば、簡単に切れてしまいます。

ちょっとゆるめにしておいて、柔軟に対応することが、人生には必要なのだと思います。人に迷惑をかけるほど、いい加減になれとは誰も言いません。「良い加減」くらいが理想です。

今までどおりの几帳面過ぎる性格では、意志の強さで症状を押さえ込み、一時的に回復したとしても、再発は必至。

だから、最終目標は、ほどほどな人になることです。臨機応変な人とか、柔軟な人でもいい。そこを目標に、自分を変えることが必要なのではないでしょうか。