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治療院アジアート

全部自分に返ってくる

2008.10.29 22:22

自分のしたことは、全部自分に返ってくる。

いいことも、悪いことも、他者に対してしたことも、自分に向かってしたこともみんな、いつかは自分に戻ってくる。そう思います。

時期が離れていたり、相手が違っていたとしても、やっぱりいつかは返ってくるし、順番が逆で、先にもらって、後から返すこともあるけれど、それでも原因と結果の法則は常に働いていて、そこから逃れることはできない、そう思うんです。

そこに気がついてから、私はいろんなことが、ずいぶん楽になったような気がします。

なぜか?

まず、自己嫌悪になって、自分で自分を責める必要がなくなりました。

自分のやらかしたことは、自分でフォローするしかないし、自分でその責任を負うしかない。だから、わざわざ自分で自分を責めなくても、ちゃんと報いを受けるから心配ない。そう考えています。

患者さんなんかをみていると、自分は何にもやらかしてないことまで、大変なことをしてしまったと思い込んでいたり、相手が解決べき問題なのに、自分で背負おうとしたりしするんですよね。

どんなに親しい相手でも、他の人間が代わって罰を受ける事はできません。

だから私は、自分の背負うべき分だけを背負います。自分のしたことは自分で責任を取らざるを得ないことを知っている。そこからは決して逃げない。そう思うからこそ、必要以上に自分を責めたりしません。

他人に迷惑をかけたとしても、自分の分は返ってきて、相手の分はその人が背負うことになります。それは自分の役割を肩代わりさせているわけではなくて、迷惑を受けた人も、そこで何かを得るに違いないからです。

人の世話をすることも、魂の成長から見れば損ではないし、それはその人の役割であって、人がいろんな意味で影響しあうことは必然で、お互い様です。

以前にも書きましたが、ネガティブな出来事であっても、それは人間が成長するためのチャンスにもなり得ます。無駄なことなど、人生にはありません。

そして、そんな原因と結果の法則に思い至ってから、他者に対していらついたり、思い知らせてやりたいとか、相手の考えを変えさせたいとか、そんな気持ちもなくなりました。

それは神様のすることであって、私にはそんな権利も義務もないことに気付いたからです。

本人が自覚しようがしなかろうが、もし、その相手が本当に何かやらかしたのなら、ちゃーんと本人の人生に反映されますから心配いりません。

「あの人は本当はこんなにひどい人なのに、他の人は騙されていて、良い人だと誤解してる。それが許せない」そんな風に感じることもあるでしょう。

そこでもう一度考えます。本当に誤解してるのはどちらでしょうか?その人に悪いところがあるのも事実かもしれない。でも、他の人が良い人だと思うのなら、そう感じさせる理由も必ずあります。

自分も、相手の良いところをちゃんと見ないで、自分との関係の悪さから、相手を嫌な奴だと決め付けているだけかもしれませんよね。

人が人を正当に評価するのは、とても難しいことです。評価する側の事情や、二人の関係性、その時の状況や本人の立場などが、評価に大きく影響するからです。

例を挙げれば、私が病院に勤めている頃、その態度は許せないと感じさせるドクターがいました。でももし彼女が普通のOLさんなら、私は全然許せる。でも医者だから、患者さんに対するその態度は許せない。私に対する態度はどうでも良い。でも患者さんにはダメなんです。

自分がその人を許せない、あの人のことが嫌い。それはそれで良いと思います。でも、人がどう感じるかは自由で、ヘンな人のことが好きでも、それを他人が正す必要はありません。

だって、誰とでも仲の良い人より、自分だけに心を許してくれるような人のほうが、大切な友人だったりするじゃないですか。性格が悪かろうが、他の人には冷淡だろうが、自分が心地よい相手ならいい。それが人情というものです。

話を戻せば、自分が人によくしてもらえば、自然と人にも返すことができるでしょうし、他者を攻撃すれば、自分も攻撃される可能性が高くなります。

こちらが心を開けば、相手も心を開いてくれるし、人を疑えば、自分も警戒されます。

人より沢山仕事をすれば、その分スキルが身に着くし、人に親切にすれば感謝されます。

嫌いな人を傷つければスッキリすると思っている人もいるかもしれませんが、そんなことを続けていれば、まず幸せにはなれません。

攻撃的な人や意地悪な人が、大きな顔をして世に蔓延っている様に見えたとしても、私には彼らが幸せを感じているとは思えません。

幸せで充実している人、本当に自分に自信のある人は、わざわざ人を攻撃しないし、必要以上に自分を誇示することもないはずです。

人を差別すれば、自分が差別された時にも、文句が言えません。

どんな理由であれ、人を差別するなんておかしいと感じている人は、自分が差別されても相手に問題があると思うので傷つく必要がありません。

ダメな人間を許せない人は、自分がイケテイナイ状態になったとき、自分を許すことができません。

誰が正しいとか間違っているとかではなくて、そんな風に、人が異なる価値観を持つに至るには、お互いの置かれた環境や、経験の違いなど、相応の理由が必ず存在します。

人から見れば、それは違うんじゃないのと感じられるような価値観をもって生きている人は、その中で生きざるを得なかったのか、その方が自分が生きるのに都合が良かったのか、とにかく事情があるはずです。

人は、変わる理由がなければ変わらないし、変わらざるを得ないような出来事が起これば、いくつになっても変わります。

人はみんな、自分の価値観の中で生きることになります。どんな価値観の中で生きるかは、自分が選択することです。

自分の身に起こる出来事は、自分のせいではないこともあるでしょう。でも、それにどう対処するか、その出来事をどう捉えるかは自分の責任です。

日々の判断、行動の積み重ねが、その人を作ります。

もし人から誤解を受けたとしても、それは相手側に返るべきもので、自分がやらかしていないなら、その分の責任は持たなくていい。でも、誤解を解くための努力をすれば、やっただけのものを得られるはずだし、努力しなければ、それが得られないだけです。