日本の道徳①他人を叱れること
人のために叱ること
言い争いや舌打ちなど、人と人との小競り合いを見かけることはそう珍しくありませんが、相手のことを思って叱っている方はどれくらいいるのでしょうか。
みなさん、自分の不満や不機嫌を相手にぶつけているのはよく分かるのですが、相手の不道徳をたしなめるつもりで口を出す、いわゆる日本独特の「おせっかい」を今でも行える方はどれくらいいるのでしょうか。
他人に叱られることの意味
電車内で注意したお年寄りが逆上した若者に殴り殺された事件は他の記事で述べましたが、元来、日本には誤った行動をする相手に(優しく)声をかけてあげる文化がありました。
一番分かりやすい例が、無作法な他人の子供を叱ることですね。(激しい例ですが)近所の怖いおじさんが悪ガキに拳骨を食らわせる、もしくは厳しく叱責する場面は珍しいことではありませんでした。
今、そんなことをしたら叱られた側の親が黙っていないでしょうね。
(手をあげることが絶対悪だと思いませんが話がそれるので置いておいて、)他人に叱られるという経験を通して、①悪いことをすれば誰にでも怒られる(お天道様が見ている) ②大人は子供を正してくれる ③親以外の大人の価値観に触れる、これらを悟れるメリットが子供側にも生まれます。
現代の日本
では現代はどうかと言えば、触らぬ神に祟りなしとばかりに誰もが見てみぬふりをします。
私は東京、神奈川と人が集うところに頻繁に出入りしますし、週に数千人の他人と行き交う中で、見習いたいと思える方がいかに少ないことか。
例を挙げましょう。スマホを見ながらさも気づかない言い訳を作りながら電車の列に横入りをする方、隣の車線の車両に急ブレーキをかけさせて割込む運転者、注意されなければ構わないとばかりに道に座り込む方、法律に違反しなければいいと夜中に騒ぐ方、数え上げればキリがありませんが、皆さんも一度は目にしたことがあるでしょう。
注意しない方ばかりなのが非常に不思議でなりませんし、注意された時に自分を戒めることではなく相手への憤りに気持ちを動かす馬鹿者がもっと不思議でなりません。
また、平日の社会=ストレスの場、スマホ・PCの中=自分をさらけだせる場、と考える方が多々います。
辛いお勤めから一刻も早く帰宅して、自分の大好きなアニメやSNSに自分だけの空間で没頭したい。
まばらな電車内で皆が一様にスマホと向き合う様は異様を通り越して滑稽です。
プライベートの名の下に、閉鎖的な空間や自分だけの時間を奨励する雰囲気になったことも一因かもしれません。
これからの日本
利害が対立する個人同士、例えるなら電車内で足を踏んだ側と踏まない側の喧嘩等、の言い争いは解決しにくいものです。
そういう時に解決への近道となるのは、利害関係を持たない第三者の仲裁です。
これを応用して、人に注意を促す時も偉そうな態度で対立するのではなく、自分は他人だけれどもそれはよくないと思うよと、婉曲に促してあげることで相手への思いやりが伝わりやすいものです。
自分が何かされた時に相手を注意するのは言わずもがな、他人同士の諍いにまぁまぁ二人とも落ち着いてと、水をかけてあげられる人が増えれば、これだけギスギスした日本の社会もスムーズに流れていけるのではないでしょうか。
余計なことするな!と反発する方もいるでしょうが、そういう輩を野放しにするよりも、あなた自身が小さな我慢をしながら、争いを鎮めていけるならそれもまた良しとは思えないでしょうか。