アメとアメなし
「アメとムチ」という言葉があります。
辞書には「しつけなどにおいて、甘やかす面と厳しくする面を併用するたとえ。また、一方でおだてと脅しを併用し、人を支配すること」「支配や指導方法で、甘い吸いをして譲歩する一方で厳しく締め付けることのたとえ」などとあります。
ある一家のある一日のひと時。お兄ちゃんがおもちゃを妹から取り上げ、お父さんが注意し、言い合いになり、お父さんは怒鳴り、お兄ちゃんは泣きまくります。
結局、お兄ちゃんはお母さんのところに行き、お母さんは「あー悪かったわねー。お父さんが悪いよね~」と、丁度おやつの時間で、シュークリームを出します。そして、シュークリームを食べ、子どもは泣き止み、お母さんと談笑し、一件落着。
お父さんは叱り役、お母さんは甘えさせてくれる人のような構図です。つまり、しばしば考えられるアメとムチです。
お母さんがアメ、お父さんがムチとなっています。
よく、父母で役割を決めなさいといいますが、本当に役割を決めてしまっていいのでしょうか?
しつけにおいて、全ての場合に役割を決めてしまうと子どもに社会のルールが伝わらないこともあります。
上述したケースでも、お兄ちゃんにとっては「お父さんはダメって言ったけど、お母さんは言ってないし、まいっか」と考えるようになります。
よくあるのが、「お父さんはテレビをみていいっていったじゃん!」「お母さんは食べていいって言ったよ」「おばあちゃんが買っていいっていったもん」などという発言です。
大人の中でルールが一致していないことで、このような事態が起こります。
発達障害、特に自閉傾向の強い子には、ルールが違うと理解困難となり、パニックになる子ともあります。
例えば、家庭では要求行動として手でのパチパチ練習していた子どもが、ある施設では要求したものがかんしゃくを起こしただけで出てきます。
家庭では厳しいムチでいき、施設では自主性を尊重し楽しくアメでいくということでは、子どもがパニックです。
施設や家庭での役割は大切です。
しかし、子どもへの対応、ルール基準の設定はどこでも同じにしておく必要があります。
アメを使う場合、アメなしの場合なども基準は可能な限り一定がよいです。