柳津町「日向倉山」登山 2024年 春
私選“只見線百山”の検証登山。今日は、JR只見線「第一只見川橋梁」を渡る列車から下流側に見える、柳津町の三等三角点峰「日向倉山」(605.4m)に登った。
「日向倉山」(ひゅうがくらやま)は、只見線内屈指の観光コンテンツである「第一只見川橋梁」を渡る列車の中から、下流側の正面右側に見える山だ。
また、台湾を中心に海外でも有名な鉄道写真撮影スポットになっている「第一只見川橋梁ビューポイント」からは、三島町の町花である桐の花の色に染められた紫色の上路式アーチ橋の背後正面に映り込む、名は知られていなくとも広く見知られた山でもある。
「日向倉山」は、「日本山名事典 」に次のように記載されている。
ひゅうがくらやま 日向倉山 (高)605m
福島県河沼郡柳津町。只見線会津西方駅の北3km。
*出処:「日本山名事典 <改訂版>」(三省堂、p882)
ちなみに、「日向倉山」と表記される山は、同事典(p873とp882)によると、福島(2峰)・新潟・栃木3県に計4峰あり、福島県の2峰は“ひゅうがくらやま”、新潟県の峰は“ひなたぐらやま”、栃木県の峰はその両方の読み方になっている。ちなみに、「日向倉山」の最高峰は、只見川最上流地点のダムである奥只見ダム(電源開発㈱奥只見発電所)湖の西に聳える山(新潟県魚沼市)で、標高は1,431mとなっている。
今回の旅程は、次の通り。
・郡山駅から磐越西線の始発列車に乗って会津若松に移動
・会津若松駅から只見線の会津川口行きの列車に乗って、会津西方駅で下車
・会津西方駅から、輪行した自転車で「日向倉山」の取付き点と決めた国道400号線の杉峠入口(県道343(飯谷大巻)線との分岐)に向かう
・取付き点から「日向倉山」登山を開始
・「第一只見川橋梁」が見える“ビューポイント”があったら、そこで橋梁を通過する列車を撮影
・「日向倉山」登頂後に取付き点に戻り、柳津町市街地に向かい、「甘味処 赤べこ堂」に立ち寄った後に会津柳津駅に向かい、リノベーション工事を終えオープンした駅舎を見学する
・会津柳津駅から只見線の会津若松行きの列車に乗って帰途に就く
今日の天気予報は晴れ。「日向倉山」から見られる只見線の景色に期待し、現地に向かった。
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 *2008年放送
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の春-
今朝、磐越西線の始発列車に乗るため郡山駅に向かった。福島県内で最も高い複合ビル「ビッグアイ」(132.6m)の上層階は霧に覆われていた。
駅頭で自転車を収納し切符を購入した後、輪行バッグを抱え改札を通り、1番線ホームに停車中の列車に乗り込んだ。
5:55、会津若松行きの列車が郡山を出発。
沿線が市街地から田園に変わる喜久田~安子ヶ島間付近で陽光が注ぎ始め、上空には青空が広がった。
沼上トンネルで中山峠を越えて会津地方に入っても青空は続き、猪苗代を出ると「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)の全容が見えた。
7:11、会津若松に到着。改札脇には桜の造花が飾られ、幕末に京都守護・会津藩預かりとなった新選組にまつわる顔抜きパネルなどが置かれていた。
改札を抜け駅頭に出ると、上空には綺麗な青空が広がっていた。
「日向倉山」で摂る予定の昼食を構内の売店で調達し改札に向かうと、その脇のスペースに全国交通安全運動実施中と記されたパネルが掲げられ、踏切の模型が置かれ踏切事故防止を訴えていた。そして端には、会津若松駅に欠かせない、JR東日本 会津若松エリアプロジェクト オリジナルキャラクター「ぽぽべぇ」の袴姿のパネルが置かれていた。
その「ぽぽべぇ」の右手には、「SATONO」のステッカーが貼ってあり...、
「ぽぽべぇ」の前には、この先週の土曜日(6日)に初運行した「あいづ SATONO」号の塗り絵コーナーが置かれていた。
「SATONO」号は福島・宮城・山形の南東北3県での運行を予定して導入された観光列車で、東北新幹線延伸(八戸~新青森間の開業(2010年12月))に合わせて、津軽半島や下北半島への観光列車として導入された観光列車「リゾートあすなろ」(HB-E300系)2編成が改造された。*下掲出処:(左)福島民報 2022年11月25日付け紙面 / (右)東日本旅客鉄道㈱「東北の文化・自然・人に出会う旅へ「SATONO」がデビューします」(2022年11月24日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221124_s01.pdf
ちなみに、もう一方の編成は、岩手・青森両県に運行される「ひなび」号となり、一足先に昨年12月23日に「ひなび 釜石」号(盛岡~釜石間)としてデビューした。*参考:拙著「【参考】観光列車「ひなび」乗車記 2024年 冬」(2024年1月6日)
この「SATONO」が先週の土曜日(4月6日)に「あいづSATONO」号として運行され、翌日の地元紙でその様子が報じられていた。*下図出処:JR東日本 東北本部「「あいづSATONO」の運行を開始します」(2024年2月15日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2023/sendai/20240215_s01.pdf / 福島民報 2024年4月7日付紙面
改札を通り、只見線のホームにむかうため跨線橋を渡ると、壁に「磐梯山」を背景に駆ける「SATONO」号のポスターが掲げられていた。
跨線橋の北側の窓から外に目を向けると、只見線・会津川口行きのキハE120形と、「磐梯山」が稜線がはっきりと見えた。
只見線の4-5番線ホームに下りると、会津川口行きの列車はキハE120形の2両編成だった。
列車に乗り込むと、天気の良い土曜日の列車だったが、会津川口止まりということからか乗客は少なかった。この列車は平日は沿線の県立の会津西陵高校や会津農林高校の生徒が利用し会津坂下までは混雑するが、土日休日は利用者が激減する。土日休日は只見まで延伸させ観光需要を誘発・取り込む取り組みが、復旧区間(会津川口~只見)を保有した福島県には必要だと思った。
今回の切符は、土曜日ということで「小さな旅ホリデー・パス」を利用した。郡山を起点に、只見線の日帰り旅をするには欠かせない切符だ。
7:41、会津川口行きの只見線下り列車が、会津若松を出発。
七日町、西若松と市街地の駅で数人の高校生を乗せ、列車は阿賀川(大川)を渡った。上流側には「大戸岳」(1,415.9m、同36座)の山塊の稜線がはっきりと見えた。
下流側の車窓からは、「大日山」(2,128m)を最高峰とする、「飯豊山」(2,105.2m、同3座)を擁する「飯豊連峰」がうっすらと見えた。*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山 https://tif.ne.jp/yamafuku/mt30/18.html
会津本郷を出発直後に会津若松市から会津美里町に入り、少し進むと菅原天満宮の小さな社を包む桜越しに、会津鎮守府・伊佐須美神社の遷座地である「博士山」(1,481.9m、同33座)と「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)が根雪を残した山肌を見せていた。
阿賀川の支流・宮川を渡ると、左岸堰堤の宮川千本桜は満開だった。そして、その桜にカメラを向け、背後を駆けるこの列車を“撮る人”がたくさん居た。
会津高田を出発直後に、“高田 大カーブ”に入ると、前方に「飯豊連峰」が見えてきた。
そして、“高田 大カーブ”を越えて直線区間に入ると、右(東)側に霞んだ空に「磐梯山」の稜線が見えた。
宮川の千本桜から、桜や菜の花を背景に列車を撮影しようしている“撮る人”が目立っていたが、根岸を経て新鶴を出た直後にも、土手に三脚を置いて列車にカメラを向ける方も居た。
会津坂下町に入り若宮手前では、冬期間の役目を終えた防風雪ネットの骨組みが田んぼに残されていた。
市街地が近付くと、「飯豊連峰」が良く見えた。新潟県側の小出付近で見られる「越後三山」の豊かな稜線は存在感があるが、「飯豊連峰」の連山のどっしりとした山容も負けず劣らずで、特に冠雪期はその存在が際立ち、“観光鉄道「山の只見線」”の福島県と新潟県の双璧の車窓からの眺めだ、と実感した。
8:19、列車は会津坂下に停車し、上り2番列車との交換を行った。
先に出発した会津若松行きの列車は、原街道踏切の先にある満開の桜の下を通っていった。
会津坂下を出た列車は、右カーブの手前でディーゼルエンジンの出力を上げて、七折峠の登坂を開始した。
登坂途中、木々の切れ間から会津平野を見下ろした。
塔寺を出て、登坂を終えた列車は第一花笠-第二花笠-元屋敷-大沢と続く四連トンネルを抜け、“坂本の眺め”を通過。「飯豊連峰」が、山容を変えて見えた。
会津坂本を出発直後に柳津町に入った列車は、細長く続く田園の間を駆け抜け会津柳津に停車した。駅頭の満開の桜の下、テントが並んでいた。
リノベーションを終えた駅舎の白い壁が、陽光を浴び際立って見えた。「日向倉山」登山後にこの駅舎を訪れるが、期待が膨らんだ。
会津柳津を出て、福満虚空蔵尊圓蔵寺の背後を駆けた列車は、月光寺境内上を進んだ。桜には一部咲ききってないものも見られたが、今日の好天・高温で一気に満開になるのではと思った。
郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)は、山容までもはっきりと見えた。
滝谷を出た直後に、滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋検索」
車内には、雲一つない青空が続いていることもあり、この時期とは思えないほど強い陽光が降り注ぎ続けた。このお陰で、空席ばかりの車内を見ても悲壮感は感じなかったが、『こんな天気の良い日に只見線の乗らないとは、もったいない』とは思った。
会津桧原を出てまもなく車内放送が流れ、『この先、トンネルを抜けますと有名な第一只見川橋梁を渡ります。速度を落として走行しますので雄大な車窓からの景色をお楽しみください』と告げられた。
桧の原トンネル内で速度を緩め始めた列車は、徐行して「第一只見川橋梁」を渡り始めた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖
カメラをズームにして、上流側右岸上方にある「第一只見川橋梁ビューポイント」を見ると中段のCポイントに4人の人影があった。
そして、下流側を見ると、これから登る「日向倉山」がくっきりと見えた。
ありがたいことに、列車がかなり速度を落としていたため、再びカメラをズームにして「日向倉山」の頂上を見る事ができた。落葉樹に覆われた頂上の稜線が見え、どのような眺望が得られるか楽しみになった。
9:03、列車は会津西方に停車。輪行バッグを抱えて下車し、列車を見送った。
そして、さっそく自転車を組み立て、私の乗ってきた列車が次駅・会津宮下で交換を行う上り3番列車(小出発)を撮影しようと、駅を出た。今回は移動距離が短い事から、久しぶりにDahon社の折り畳み自転車を使った。
駅前を通る国道400号線を西に向かって自転車を進めると、昨春に登った私選“只見線百山”候補の「洞厳山」(1,012.9m)を含む山塊が見えた。*参考:拙著「三島町「洞厳山」登山 2023年 早春」(2023年3月20日)
只見川沿いに出て少し坂を下ると、第二野沢街道踏切の警報音が聞こえたため、自転車を停車させ、「第二只見川橋梁」にカメラを向けた。すると、まもなくキハE120形2両編成が現れ、ゆっくりと橋を渡った。
列車の撮影を終え、国道400号線を引き返した。会津西方駅が近付き、その後方の「丸山」(465m)の鞍部にある「名入鉄橋ビューポイント」を眺めた。
カメラをズームにするが、人影は無かった。「三坂山」(831.9m、同82座)を背景に「第二只見川橋梁」を渡る列車の、雄大な景色が見られる場所で、午前中が順光ということで“撮る人”が居るのでは?、と思ったが見当たらなかった。まだ、広く知られていないのかと思った。*参考:拙著「三島町「名入鉄橋ビューポイント」/四等三角点「桧原」登山 2024年 冬」(2024年2月24日)
会津西方駅の前を通り過ぎ、ヘアピンカーブを抜けて坂を上ると「風坂の桜」が見えてきた。
膨れたつぼみが多く、この陽気で一気に咲くのではという状態だった。*参考:福島県 会津若松建設事務所「さくら回廊あいづ <風坂の桜>」
さらに坂を上ってゆくと大林ふるさとの山のカタクリ群生地で開催されている「カタクリさくらまつり」の幟が立っていた。*参考:拙著「三島町「カタクリ群生地」2017年 春」(2017年4月24日)
国道400号線をさらに進むと、前方に「日向倉山」が見え始め、名入地区から西方地区に入った。
国道のバイパス区間から左に上り進み西方集落に入ると、正面に「日向倉山」を見ながら密集した家々の間を進んだ。
集落が終わり左に曲がり坂を下ると、まもなく柿平橋となり三島町から柳津町に入った。
そして、緩やかな坂を上ると、右に進む国道400号線と直進する県道343号(飯谷大巻)線との分岐が見えた。
9:45、この分岐を左折し国道400号線を少し進み、「日向倉山」登山の取付き点としていたゲート前に到着。この先西会津町下谷地区までの杉峠区間は、冬季通行止め区間になっているためゲートが設けられている。
「日向倉山」は登山道(登山口)無しの山だったので、国土地理院の地理院地図を見て、等高線の状態などから判断し、ここを取付き点としていた。
自転車をゲートそばに立つ一時停止標識に立てかけた後、熊除けの笛を首から下げ、熊鈴を身に付けるなど登山の準備をした。福島県では県内全域に「ツキノワグマ出没注意報」を出し、山中でクマに出会わないよう注意を呼び掛けていたこともあって、気を引き締めた。*下掲出処:福島県自然保護課「ツキノワグマ出没注意報を発令しました(令和6年4月1日)」 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16035b/kumahaturei.html
10:05、準備を終え、「日向倉山」登山を開始。
取付き点から、まばらなササや薄い籔が生える坂を登った。無葉期ということも重なり視界が良くクマの出没は無いだろうと一瞬思ってしまったが、県の出没注意報を思い起こし『油断大敵‼』と自分に言い聞かせ、時折笛を大きく吹いて進んだ。
少し登り進むと、尾根に乗った。密集とまではゆかないが、アカマツが増え始めた。
尾根はほぼ平らで、踏み跡も無いことから、前方に見えるアカマツ群に向かって登り進んだ。藪の密集度は高かったが、幹は細く弾力も弱いことから、直登することができた。
今回、登山道未整備の「日向倉山」を登るにあたり、アカマツ帯を登り進むルートを採った。アカマツは尾根に繁ることが多く、ルートが分かり易いと考えたからだ。
目についた植物の状況。
陽光が強い事もあり、灌木や幼木の新緑は鮮やかに見えた。
ヤマザクラも綺麗に咲き、この先しばらく目を楽しませてくれた。
柳の芽も見られたが、桜色の粉をまぶしたような姿は美しかった。
平尾根の急坂は続いた。
登り始めた直後に続く急坂直登は、身体が慣れておらず、強い陽射し気温がどんどんと上がる中、少しきつかった。
また、落ち葉が堆積した足元は、好天高温続きで乾燥していて滑ることは無かったが、身体を支えるために掴んだ藪が脆弱で折れることがあり、慎重に登り進んだ。
急坂をしばらく登ると、背中に強い陽射しを感じた。振り返ると、木枝が薄くなり西方集落が見えた。
このあとも、急坂は続いた。
アカマツが目立つようになり、平尾根ながら進むべき方向は見失わなかったが、この急坂はやっかいだった。葉が繁り、灌木が生気を得て弾力が増すならば、相当大変な登山になるだろと思った。
急坂で立ち止まり振り返ると、只見川の一部が見え始め、この先登り進めるとどんな景色が見えるか楽しみになった。ただ、登ってきた急坂を見下ろすと想像以上の平尾根で、アカマツは見えるものの目印にはならないことが分かり、下山時は“ルートロス”する可能性があるなと心配にもなった。
途中、尾根の肩があり一息付けたが、急坂は続いた。斜面には、岩から突き出たアカマツもあった。
陽射しは強く、急坂直登で息切れもしてきた。ルート上で咲くヤマザクラに元気をもらいながら、足を進めた。
10:38、上方にアカマツが幅広く茂るのが見え、広い肩があるのだろうかと思った。
先に進むと、前方の傾斜が緩くなった。肩といえるほど平たくはなかったが、急坂は終わったようだった。
ここで足元を見ると、薄い紫の小さい花があった。タチツボスミレのようだった。
タチツボスミレを少し眺めてから横に目を向けると、開けた場所があった。一部の灌木が切られたり折られたりしているようだった。
そこに移動し、南に目を向けると、蛇行する只見川の先に「第一只見川橋梁」が見えた。
そして、振り返って斜面の上を見ると、同じように灌木の一部が“伐採”された場所があり、10mほど登って再び南側を見た。
すると、ここからは「第一只見川橋梁」が良く見えた。標高は420mだった。
只見川が狭まる駒啼瀬の渓谷に架かる、桐の花色(紫)の上路式アーチ橋が良く見えた。
先に進む。
斜面の灌木の密集は続いたが、幹は細く無葉なため、難なく掻き分け直登できた。
逆木もあったが、ここは十直登せずに脇を通り抜けた。
10:49、前方の傾斜が緩くなり、尾根の肩になった。
この肩を進むと、右が開け、広く陽光が差していた。
近付くと、灌木に複数の鉈目が見られた。
そして、開けた場所に立つと、また「第一只見川橋梁」が見えた。先ほどの“ビューポイント”よりは広がりのある眺望が得られたが、斜面の幼木や灌木が視界に入り、見晴らしは良くなかった。標高は、463mだった。
登山を再開。
肩より先は、傾斜が緩くなった。
途中、折れたアカマツがあった。折れて表出した幹に虫食いは無く、雪重で倒れたようだった。
10:57、少し藪が濃くなった場所の手前で、右側が開けた場所になった。
少し、右側の斜面が切れ落ちる手前に行くと、「第一只見川橋梁」を中心とする景色が良く見えた。アカマツの枝葉が張り出してはいたが、なかなかの眺望だった。
先に進む。
尾根は平たく、全体的に藪の密度は変わらなかったので、眺望が得られる可能性が高い右側の尾根がが切れ落ちる縁を登り進んだ。
まもなく前方に、再び折れたアカマツが現れた。雪重か虫食い、どちらが原因かは分からなかった。
藪が密集する場所もあったが、幹は細く弾力もなく、難無く越えられた。
ナラやブナが程よく根曲りし、歩行空間を創っているような場所もあった。
11:07、右側が開けている場所があり、また“ビューポイントか!”と斜面の右側の縁に移動した。
すると、見事な眺望が得られた。標高を確認すると559mだった。499mの眺望点と比べると只見川の下流部が隠れたが、「第一只見川橋梁」の最背部の山(博士山)がよく見えるようになっていた。
ここは、かなりの数の灌木が伐採され、鉈目が目立っていた。
張り出した枝も切られていて、かなり大がかりに“ビューポイント”が“整備”されていた。この地の所有者の許可を得て行われた“整備”である事を願った。
この“ビューポイント”と反対側、左側の木々の切れ間からは、「黒男山」(980.4m、同67座)が見えた。
11:11、“559mビューポイント”を後にして、アカマツが立ち並ぶ尾根の縁を登り進んだ。
11:13、前方の上半分に青空が見えた。山頂には早く、肩か山頂手前の緩やかな尾根だと思った。斜面の終盤には窪みが見られ、踏み跡のような地面の形状だった。
斜面を登りきると、アカマツは途切れ、前方はナラを中心とする無葉の幼木が密集していた。傾斜は一気に緩やかになり、それが先に続いているため、肩ではなく山頂手前の緩やかな尾根(“山頂平”)だった。
そして、“山頂平”の序盤は、雪重で斜面側に根曲りした、歩き易い空間を進んだ。
尾根の縁が藪で密集してきたため、左側に入り、裸木越しにうっすらと見える高い場所を目指して進んだ。
途中、目の高さに白い花が見えた。タムシバだった。
11:21、右側の木々の間から、蛇行する只見川と「第一只見川橋梁」を見下ろした。幼木や灌木の密度が薄く、地理地図を見るとここが山頂尾根の南端だった(標高は599m)。
只見川を背に、山頂のある北側に向かった。
小高い場所を目指し、ナラやブナが不規則に立ち並ぶ平坦に近い斜面を進んで行くと、一番高い場所に一本に束ねられたように見えるナラの塊があった。
近づくと、その先は平らになっていて...、
“束ねナラ”の間に目を凝らすと白い角石が見えた。カメラをズームにすると、“三等”という文字が確認できた。
11:27、“束ねナラ”を背に、少し窪んだ場所に進むとその角石は三角点標石だった。「日向倉山」山頂に到着したようで、国道400号線の取付き点から、1時間22分での登頂だった。
三角点標石のそばに近づき、屈んで覗き込むと“三等 三・・・”と刻まれた文字がはっきりと見えた。
標石の北北東側に立つナラには、ピンクテープが巻かれていた。
また、北北西に立つナラの幹には、赤ペンキで印が描かれていた。
三角点標石に触れて、「日向倉山」登頂を祝った。
スマホを取り出し、国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」(URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)で検索すると、画面の中心に「日向倉山」が表示された。
*「日向倉山」:三等三角点「日向倉」
基準点コード:TR35639250301
北緯 37°30′18″.7516
東経 139°39′59″.1308
標高(m) 605.39
造標 明治41年5月6日 *「点の記」より
*出処:国土地理院地理院地図「基準点成果等閲覧サービス」URL:https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)
山頂からの眺望。
三角点標石の周りは、草木が生えておらず広場といえるような空間だったが、山頂からの眺望は木々に遮られ裸木を通しても山々の稜線が見えるだけだった。
西側の様子。
東側の様子。
山頂は山頂尾根の奥まった場所にあるということも重なり、只見川や「第一只見川橋梁」がある南側も、全く眺望は得られなかった。
ただ北側には、木枝の間から冠雪した「飯豊連峰」がうっすらと見えた。
「日向倉山」山頂は、三角点標石周辺以外は落葉広葉樹に覆われた場所だった。眺望は得られないと分かったが、山頂の平場は葉が繁れば緑に包まれ、紅葉期は暖色の空間になる居心地がよい場所だと思った。
11:54、下山を開始。
途中、“山頂平”の南端に行き、眺望を再確認した。結果、この場所が“山頂平”で一番眺めが良い場所だった。しかし、葉が繁る季節となれば視界が塞がれることになり、“ビューポイント”とは言えないと思った。
“山頂平”を下り、一番見晴らしが良かった“559mビューポイント”に向かった。
12:06、“599mビューポイント”に到着。
斜面の上に立つと、改めて良い眺めだと思い、「日向倉山」ビューポイントに相応しい場所だった。
「第一只見川橋梁」を会津若松行きの列車が渡るまで約1時間。ここで椅子を組み立て、待つことにした。
今回は、時間があることからカップラーメンとおにぎりの昼食を摂った。クマが居る山での食事は緊張するが、無葉期で周囲は見通しがきき、音楽をかけ音を出し続ければ、彼等は近づいてこないだろうと思った。
カップラーメンをすすりながら、景色をゆっくりと眺めた。同じく「第一只見川橋梁」を中心とした眺望だったが、「第一只見川橋梁ビューポイント」とは趣が異なる、良い構図だった。
何より、会津総鎮守・伊佐須美神社の“遷座第二峰”「博士山」の山塊が、まだらながらに冠雪し背後に堂々と聳えていて、秀逸だった。また、「博士山」と只見線を走る車を一枚の写真に収められる、という発見があったことは「日向倉」登山の大きな収穫だった。
この構図は、冠雪した「博士山」を背景に、「湯の岳」、四等三角点「桧原」、「丸山」と標高が低くなり、山の層を背後に只見線を走る列車見られるもので、“観光鉄道「山の只見線」”を代表するビューポイントの一つになるのではないかと思った。さらに、沼田街道→川井新道(旧国道)→国道252号線(バイパス)の位置が分かり、難所・駒啼瀬を越える歴史の変遷を感じられるものだった。*参考:拙著「三島町「第7回 沼田街道トレッキング」 2022年 紅葉」(2022年11月5日)
13:00、列車の通過時間が迫り、「第一只見川橋梁」の上流側にある「第一只見川橋梁ビューポイント」にカメラを向けた。
そして、カメラをズームにすると、送電鉄塔の根元のDポイントに1人、その下のCポイントに6人の人影が確認できた。
13:03、耳を澄ますと、車輪が鉄橋に乗った音がし始めて、名入トンネルを抜けた列車が姿を現した。
列車は、“観光徐行”しているようで、ゆっくりと「第一只見川橋梁」を渡った。
車両は、キハE120形の2両編成だった。今回の「日向倉山」登山で、『列車を撮影できれば...』と期待していたが、好天の下で期待以上の景色を背景に、メイン車両のキハE120形の同一色編成が走る姿を撮る事ができ、大満足の山行になったと感じ入った。
13:06、列車の撮影を終え、椅子などを片付けて下山を再開。登ってきた場所を、記憶をたどりながら下った。
尾根は平たく、しばらくはアカマツを頼りに下ったが、アカマツが無い場所では左下に見える只見川の位置を確認しながら下った。
急坂では、積もった枯葉が滑りやすく、灌木などに掴まりながら慎重に下った。時折、熊除けの笛を吹き鳴らす事も忘れなかった。
急坂を下りきると平場になったが、アカマツも無く只見川も見えないため、一瞬進む方向に迷ったが、『国道400号線の脇にははスギがあった』と思い出し、前方に見えるスギ木立を目指して歩いた。
すると、青い道路看板が姿を現し、まもなく国道400号線と県道343号線の分岐が見えた。
自転車が見え、取付き点に戻ってきた。
13:29、国道400号線に乗り、「日向倉山」登山が終わった。
「日向倉山」は山頂からの眺望は無かったが、標高559m地点の“「日向倉山」ビューポイント”で良い風景が見られ、「第一只見川橋梁」を渡る列車の写真を撮る事ができた。高い山に根雪が残るこの時期に、好天の下という最高の条件で眺められたとはいえ、“「日向倉山」ビューポイント”は只見線屈指の景観・撮影点だった。このような場所が山頂寄りにある、「日向倉山」は“只見線百山”に当然入るべき山だと思った。
「日向倉山」登山については、踏み跡無しで、尾根は籔に覆われ、低山ながら藪漕ぎで難易度は低くないが、無葉期や残雪期を選択するれば初心者でも適度な負荷で済むだろうという感想を持った。
この山は、まずは“観光鉄道「山の只見線」”屈指の景観・撮影場所として、“「日向倉山」ビューポイント”を整備することだと思う。当地は柳津町だが、既存の三島町に位置する「第一只見川橋梁ビューポイント」と一対の観光スポットとして、両町が協力し、「只見線利活用計画」を進める福島県が調整役を担い整備を進めれば、誘客や沿線の滞在時間の増大につながるだろうと、今回の登山を終えて思った。
この後は、県道343号線を只見川沿いに進み国道252号線を経て市街地に入り、「つきみが丘町民センター」の日帰り温泉に浸かり登山の汗を流した。
入浴後は、「甘味処 赤べこ堂」で団子などを食べ、
リノベーションされ、オープニングイベントが行われていた会津柳津駅に向かい、
「キハちゃん」の見送りを受けて、16時27分発の列車で柳津町を後にした。
西若松駅に降り、桜が見頃を迎えている鶴ヶ城に向かった。「日向倉山」登頂を祝いビールを呑みながら、花見をした。そして、夕刻、ライトアップされた城壁の下に広がる淡いピンク海原を見て旅を締めくくった。
(了)
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*参考
・福島県:只見線ポータルサイト
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書(PDF)(令和2年3月) 「復興事業に係る事務の執行について」 p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法
*現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。