国富論(下)
1776年にイギリスで出版されたアダム・スミスの『国富論』(英: The Wealth of Nations)。この下巻では、重商主義や重農主義などの経済政策、主権者や国が負担すべき防衛や公共施設の経費、地代や家賃に関する税金、政府の債務(国の借入れ)などについて書かれています。この下巻で個人的に印象に残ったのは「重商主義」における輸出奨励政策や、保護貿易政策。それに当時新興国であったアメリカについての記述です。
まず「重商主義」。歴史や社会の本では、この時代のヨーロッパでは「重商主義」という商業主義政策が発達したことがよく書かれてあります。重商主義の基本は、「富とは金銀であり、鉱山を所有しない国は貿易収支の黒字によってしか(つまり、輸入総額よりも輸出総額を多くすることによってしか)金銀を入手できない、そして、それこそが国を豊かにする近道である、とする考え方です。そして、その結果として国内消費用の輸入をできる限り減らすと同時に、国内産業の生産物の輸出をできる限り増やすこと(輸入の規制と輸出の奨励の徹底)が目標とされました。
輸入規制には種類が二つあります。国内においては、生産可能な商品の消費財の輸入をできるだけ規制すること。対外においては、二国間貿易の貿易収支が自国に不利になっているとみられる外国からの輸入をほぼすべての商品にわたって規制する政策です。この二つの規制策の他、時には効率関税や完全な輸入禁止措置をが取られます。輸出奨励策には、戻し税、輸出奨励金、外国との結ぶ有利な通商条約、遠隔地で行う植民地建設などがあります。 「戻し税」というのは、国内商品に課税されている税が、輸出に当たり全部(もしくは、一部)を払い戻しにする、再輸出のために輸入した商品の輸入関税を再輸出の際に全部(もしくは一部)を払い戻す制度です。
でも、この「重商主義」。びっくりするのは、その政策の一つに「植民建設」があることです。第二次大戦とその後の世界各地での民族独立を経験した現代人にとっては「植民地建設」などという政策はとても受け入れられるものではありませんが、当時のヨーロッパの世界観では、まだまだ地球上には未開の土地があり、そのような土地やそこで生活する人々に対し(自分たちの)国富創造に資する経済活動を強いることはヨーロッパ人の道理にかなっていたことだったのでしょう。。そして、本書にも少し言及がありますが、この考えの延長に「帝国主義」という名の統治政策も許容されたのだと感じます。
この重商主義の最後の結びに、アダム・スミスが述べている批判があります。それは、(もちろん植民地政策ではありません)彼の考えでは、本来経済発展において一番大切なことは、消費者の消費行動であり、ゆえに本来は重商主義においても消費者優先の考えが必要なのに、為政者は、生産者・製造業者の利益を第一に考えている、と語っています。「消費こそがすべての生産の唯一の目的であり、生産者の利益は消費者の利益のために必要な範囲内でのみ配慮されるべき。だが実際は、生産者の利益のために消費者の利益が犠牲にされ、生産こそがすべての産業と商業の最終的な目的だと考えられているかのようである。」 そして重商主義における政策は、生産者が、自分たちの利益に配慮する政策を注意深く考えだしたと確信しています。なかでも、商人と製造業者が立案の中心メンバーとなり、特に国内製造業者、とりわけ大規模製造業者の利益がもっとも優先されていたようです。このような消費者(庶民)が虐げられる構造は資本主義においては今も昔も変わらないようです。。。
本書の別のところでアダム・スミスが別の言葉で述べていますが、一番大切なことは、海外や国内における重商主義の一番よくない点は、生産者(や消費者が)平等、自由、正義の原則に基づいて各人、自由に自分の利益を追求することを厳しく抑制・規制する点です。特定の個人や団体・産業にだけ並外れた特権を与え、別の部門の個人や団体、産業には並外れた制約を設ける、このような抑制・規制を設けることには、アダム・スミスは反対でした、このようにアダム・スミスは、個人の意思・意欲による商業活動・貿易活動こそが真の富をもたらす、と考えていたようですので、政府による規制・介入は必要最低限に留めることが、国富の拡大を支えると考えていたのではないでしょうか。。
例えば、現代では、国際機関(WHOなど)でよく問題にされる先進国から新興国への援助においては、大国の強制による貿易の自由化とか、自国生産品の保護とかいった問題が話題になりますが、このように今では当たり前に各国の政府が行う貿易政策の原点は、この時代のヨーロッパの「重商主義」にあったということが実感できました。現代の各国の貿易政策はこの時代の「重商主義」政策を現代用に改定し、発展させ、あるいは、細分化させたりして運用しているだと思いました。
個人的に、興味深かったのですが、この「重商主義」に対して当時「重農主義」という経済政策もありました。実は、当時フランスにおいて、ルイ十四世(治世1643~1715)の財政総監/ジャン・バティスト・コルベールは、重商主義政策を推し進め、製造業などの都市の産業と貿易を奨励し、その一方、農産物については、都市住民が安く買えるよう農産物の州間での移動を禁止したり、高額の税をかけたり、さらには穀物の輸出を全面的に禁止したりしたために、農業の抑制と沈滞が起こったのです。
「重農主義」はそのような商業偏重の政策の反動として当時のフランスの一部の識者によって唱えられたもので、この政策によれば、土地生産物のみが収入と富の唯一の源泉であると考え、さまざまな産業の中でも特に農業を優遇し、農業を振興するために製造業と貿易を抑制・規制します。そして、土地所有者と農民が生産者階級とされ、手工業や製造業・商業に従事する階級は非生産的階級とされました。土地や土地の改良、土地の耕作、家畜の育成に係る労働や経費だけが付加価値を生み、手工業や製造業に係るものはすべて価値の回収に留まり、新しい価値を意味出さない、としました。しかし、農産業によって生み出された付加価値が農業資本の拡大成長を促し、その農業がもたらす原材料がなければ手工業や製造業の成長は見込めない、というこの考え方は当時の社会でも受け入れ難かったのでしょう。アダム・スミスは、この政策を「独創的」と評価する一方、どの国でも経済政策として採用されたことがなく、今後もないだろう、と話しています。
最後に、興味深いのが当時の新興国アメリカについての記述です。この記述を読む範囲では、イギリスは長年、アメリカ大陸の植民・開発でスペインのように金・銀の鉱山開発を夢見ていたようです。の植民はあまりイギリスの利益にならなかったようです。「イギリスの支配者は一世紀以上にわたって、大西洋の対岸にある偉大な帝国を所有しているとの夢を国民に与えてきた。だがこの帝国はこれまで想像のなかにしかないものであった。金鉱ではなく、金鉱をみつける計画にすぎなかった。」とあります。そして、このアメリカを守るためイギリスは巨額の戦費を調達し、その結果巨大な債務を背負いこんだのです。アダム・スミスはこのため、今後はアメリカはそれ相応の税額を負担すべきである、と語っています。
今のアメリカの国力を考えれば、アダム・スミスのこの主張もちょっと信じられないのですが、当時のアメリカはまだまだ未開の土地だったのでしょうね。。そして、このアダム・スミスにしても金・銀の鉱山がないこのアメリカが、その後、想像もできないような国富をもたらす土地であったことはも、想像できなかったのでしょうね。。。さらにアダム・スミスは次のように嘆いています。「これまでと同じ方法で(アメリカで金脈を見つける)計画を進めていけば今後も巨額の経費がかかる一方、どのような利益も得られないことになるだろう。」(でも、歴史的にみると、1775年からアメリカの独立戦争が始まっているので、このアダム・スミスの語っている不満は、当時のイギリス国民全体がアメリカに対して抱いていた不満の代弁であったとも思えます。)
今回、この国富論を読んで思いましたが、古典と言われている書物も、今の時点で読むといろいろな新鮮な発見がある、ということです。まさにタイムマシーンで当時の思想や考えに触れることができるという、発見がありました。やはり古典は読んでみるものだと実感できました。