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真宗大谷派 霊苔山 金相寺

掲示伝道(4月no1)

2024.04.01 02:13

「自分に自信をもっている自分の心に迷うのです」宮城顗師


 私たちは、生まれてこの方、様々なことを学び、経験して、自己形成をしてきています。その自己というものをいよいよ大きなもの、確かなものとするために、私たちは学んでいるのでしょう。しかし、そこで得た知識や経験に執着するあまり、私たちは真実を曇らせているのではないでしょうか。自己を立てることによって、その自己の思いや考えをモノサシに、自他を裁いているのが私たちです。

 一方、親鸞聖人は教えより知らされた我が身を

無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず(『一念多念文意』)

とおっしゃっておられます。「無明煩悩」、つまり真実に暗い在り方をしているのが私たちであり、それゆえにその心に雁字搦めになって迷い苦しんでいるのが私たちであるということです。宮城先生のお言葉に返せば、どこにも確かなものなどない我が身であるということです。

 そのような私たちに、我が身を知らせ、その我が身を引き受けて生きていける道を、仏教は指し示してくださっているのではないでしょうか。仏教の教えを聞いて、何か優れたものになって救われていくのではないのです。いよいよ無明煩悩の我が身を知らされるほかないのです。確かだと思っていた我が身、我が思いこそ、頼りにならないものはないということを教えによって知らされることこそが大事であるということではないでしょうか。