杉並区 08 (04/04/24) 旧井荻町 (井荻村) 旧上井草村 (5) 渡戸
旧井荻町 (井荻村) 旧上井草村 渡戸 [小字 善福寺/北原、善福寺町、現 善福寺一/二/三/四丁目]
- 善福寺
- 地蔵菩薩立像 (96番、97番、未登録)
- 双体道祖神、六地蔵等
- 六面地蔵 (98番)
- 将軍地蔵 (100番)、勢至菩薩立像 (99番)
- 大和市神社 (おおわしじんじゃ)
- 稲荷神社、卵塔場
- 善福寺公園
- 善福寺城跡
- 善福寺池上池
- 遅の井の滝
- 市杵嶋 (いちきしま) 神社
- 杉並浄水所
- 内田秀五郎像
- 渡戸橋、橋供養塔 (92番)
- 稲荷社
- 善福寺池下池
- 美濃山橋、善福寺川
旧井荻町 (井荻村) 旧上井草村 渡戸 [小字 善福寺/北原、善福寺町、現 善福寺三/四丁目、善福寺一/ニ丁目の一部]
渡戸の民家の分布を時代毎に見ると、明治時代から戦前迄は民家はそれほど増えていないのだが、昭和初期に着手し1935年 (昭和10年) に完了した土地区画整理事業で道路が建設され、碁盤目状の整然とした町並みが形成されている。戦後は次第に住宅地が広がっていき、現在ではほぼ全域が住宅街となっている。
旧小名渡戸内の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り。
- 仏教寺院: 善福寺
- 神社:大和市神社、稲荷神社、稲荷社、市杵嶋神社
- 庚申塔: なし
- 馬頭観音: なし
- 地蔵菩薩: 地蔵菩薩立像、六地蔵、六面地蔵、将軍地蔵
- その他: 双体道祖神、勢至菩薩立像、橋供養塔、遅の井の滝
善福寺
地蔵菩薩立像 (96番、97番、未登録)
本堂に向かって左側と右側に石仏群がある。左側には丸彫地蔵菩薩立像が4体並んでいる。向かって左側の地蔵菩薩像 (96番) は1727年 (享保12年) に上荻久保村の小張吉兵衛が施主となり念佛之講中村々により造立されたもので、千日念佛供養佛と刻まれている。その隣にも丸彫の地蔵菩薩立像 (97番) があり、1788年 (天明8年) の造立され、「善福寺 新町 向原 念仏講中 遅野井村」「近郷村々 志衆中」と刻まれている。複数の村の地蔵講が共同で作ったものだろう。更にその隣には比較的新しく、1986年 (昭和61年) に造立された錫杖と宝珠を持ち、幼児を抱えた丸彫の地蔵菩薩立像が置かれている。幼児を抱いているので子育て地蔵菩薩だろうか?右端には小さな合掌をした地蔵菩薩立像があるが、詳細は不明。
双体道祖神、六地蔵等
本堂の右手の植え込みの中に、東京では珍しい双体道祖神が置かれている。その他にも六地蔵なども置かれている。
境内には変わった形の燈籠や十三層の石塔などがある。
六面地蔵 (98番)
善福寺の墓地には珍しい灯篭型の六面地蔵もある。これは造立時期は不明だが、新町から移設されたもの。
将軍地蔵 (100番)、勢至菩薩立像 (99番)
善福寺の西側の塀沿いに堂宇があり、将軍地蔵堂と呼ばれている。そこに石仏が二基祀られている。善福寺地蔵とも呼ばれている。
笠付角柱型の立派な石仏が2基並んでいる。
大和市神社 (おおわしじんじゃ)
善福寺のすぐ西に大和市神社があると資料にあったのだが、探すと取り壊されていた。建て替えなのか、移設されたのだろうか?インターネットに取り壊される前の写真があったので、それも載せておく。大和市神社は「おおわしじんじゃ」と読み、剥製の大鷲を御神体としていたそうだ。この大鷲は、1925年 (大正14年) に仕留められたもので、あまりの大きさであったことから、剥製として保存されていた。翌年の1926に村で話し合い、この鷲を祀った社を建てて大和市神社としまた。地域や近郷の人々は、大和市神社の講をつくり、現在も、毎年11月の酉の日に、井草八幡宮の神主を招いて祭礼が行われている。昔は祭礼時には屋台が出て、芝居や神楽なども行なわれ賑わっていたそうだ。下井草1丁目にも鷲を祀った大鷲神社があり、訪れている。
稲荷神社、卵塔場
稲荷神社は小高い丘を階段を登った所に鎮座している。1709年 (宝永6年) に再建されたとあるので、創建はそれ以前でかなり古くからあるようだ。1937年 (昭和12年) に井草八幡宮に合祀されたが、現在でも善福寺講中で祭祀を行っている。
稲荷神社の左側一帯は、小美濃一族の墓地で、俗に卵塔場 (卵塔婆 らんとうば) と呼ばれていた。区画整理で福寿院 (現善福寺) 裏の共同墓地へ移されている。廃寺となった善福寺 (現在の善福寺とは異なる) の住職墓地があった所とも推測されている。
善福寺公園
この地域はかつては交通の便にめぐまれなかったので自然の景観が昔のままだったが、住宅地開発や施設建設などで風致が失われつつあった。そこで、1930年 (昭和5年) の都市計画法によって洗足、石神井、江戸川と共に善福寺も風致地区に指定され、建築物や工作物の築造、土地の形質変更、樹木等・土石の採取など風致維持に影響ある行為が制限される事となった。当初は、隣接する石神井関町に跨がる60.4㌶にも及ぶ広範囲だったが、1963年の大規模な見直しによって29.2㌶に半減している。1961年 (昭和36年) には善福寺公園として開園している。善福寺公園には北と南に上池と下池があり、この池を中心に、遊具場や遊歩道が整備され、公園には武蔵野の雑木林を思わせる木々も多くあり、野鳥や草花も豊富で、都内でも数少ない自然豊かな公園になっている。
善福寺城跡
善福寺公園の上池の東側の少し高台になっているところは、中世には善福寺城があったのではと考えられている。善福寺城については記載された古文書はなく、伝承のみが伝わっている。善福寺城が置かれた場所については3ヶ所考えられており、一つは道灌橋公園付近に太田道灌が布陣した幕陣あたり、二つ目は荻窪八幡神社の南側の丘陵地、そして三つ目がこの場所で、善福寺公園の下の池から東側に豊島氏配下の豪族が城を築いていたという。北条氏綱が扇谷上杉氏の拠点である河越城と深大寺城との連携を分断の目的で善福寺城を置いたという説もある。また、1477年 (文明9年) に太田道灌が、豊島泰経の石神井城を攻めるためにこの善福寺城に布陣したという説もある。善福寺城と比定された場所は野草保存地区になっており、遊歩道が整備されている。
善福寺池上池
遅の井の滝
市杵嶋 (いちきしま) 神社
創始年代は不確かだが、別に伝承では1189年 (文治5年) に源頼朝が奥州征伐の途次に、当地に於て霊験を得て創建したとも言われている。別の説では神田上水確保のため、家康が大久保藤五郎に池をさらわせた時、守護神として弁天を勧請し元弁天島に祀ったとも伝わっている。寛永年間 (1624-1644年)に、現在の小さい方の島に遷祀されている。1645年 (正保2年) には、今川義元の曾孫範英が徳川家康の霊に東照宮の神号を受ける使者として、京都に上った際、後光明天皇よりとぐろを巻いた白蛇のミイラが下賜され、御神体として弁天に祀っていた。1840年 (天保11年) には上下荻窪、成宗、田端、和田、堀ノ内の各村から費用が奉納され、お堂が再建されている。明治初年の神仏分離の際に、御神体の白蛇のミイラは観泉寺に移され、境内の小祠に祀っているそうだ。また、この時に、弁天は市杵島姫命と名を改められて市杵島神社と変わり、元の御神体の女神座像を井草八幡宮に移し管理することになった。
1949年 (昭和24年) まで干魃の際には多くの人々が雨乞い祈願を行っていた。大正の末頃までは干魃の際には近くの農家の人々が井草八幡宮に集り、社叢の竹を伐って小さな手桶を一対つくり、市杵島神社に行き池の水を汲んで社前に供え雨乞の祈願をし、その桶を竹棒でかついで、笠をかぶって、「ホーホイナンボエ」ととなえながら、太鼓を先頭に村中を廻り、終ると井草八幡宮の社前に来て拝殿前に竹四本を二間四角ぐらいに立てて、その根本に四斗樽を壱個づつ置き、これに水を満たし、その水を「ザンゲーザンゲー」ととなえながら四方にまいて降雨を祈願していた。
現在では島には渡れないのだが、橋の基台があり、以前は1889年 (明治22年) に寄進された石の太鼓橋が架かっていた。かつての橋は井草八幡宮に移設保管されているそうだ。
杉並浄水所
内田秀五郎像
内田のもと、1925年 (大正14年) から1935年 (昭和10年) まで10年の歳月をかけて総面積8.4km2の区画整理事業 (写真右上) をが行われ、碁盤目状の整然とした町並みが形成された。また、内田秀五郎は私財を投じて風致地区の整備に尽力している。この功績を讃えて銅像が立てられた。また、井草八幡宮境内に土地区画整理碑が建てられている。写真左上は内田の生家。
渡戸橋、橋供養塔 (92番)
水路は暗渠になっており、この橋跡の脇には、1745年 (延享2年) に蓮台の上に角塔が建てられている。上部には阿弥陀如来像が浮き彫りされ、その下に千日念佛橋供養佛と刻まれているので、この渡戸橋の供養塔と思われる。
稲荷社
善福寺下池
善福寺池を中心とした善福寺公園のこの下池は鬱蒼とした樹々に囲まれ、池の半分近くが葦や水蓮に覆われており、湿原の雰囲気が漂っている。
美濃山橋、善福寺川
善福寺川の河川沿いには両岸に緑道が整備され、途中には福寺川緑地と和田堀公園も整備されている。善福寺川を下流に向かって善福寺川緑地公園迄走ってみた。まだ桜が咲き誇っている。写真上、左中は関根文化公園辺り、右中、下は善福寺川緑地公園辺りで、お花見スポット。
小名渡戸巡りから南の小名寺分に移動してスポット巡りを続ける。訪問記は別途。
小名 渡戸 訪問ログ
参考文献
- すぎなみの地域史 3 井荻 令和元年度企画展 (2019 杉並区立郷土博物館)
- すぎなみの散歩道 62年度版 (1988杉並区教育委員会)
- 文化財シリーズ 19 杉並の地名(1978 杉並区教育委員会)
- 文化財シリーズ 36 杉並の石仏と石塔(1991 杉並区教育委員会)
- 文化財シリーズ 37 杉並の通称地名 (1992 杉並区教育委員会)
- 杉並区の歴史 東京ふる里文庫 12 (1978 杉並郷土史会)
- 杉並 まちの形成史 (1992 寺下浩二)
- 東京史跡ガイド 15 杉並区史跡散歩 (1992 大谷光男嗣永芳照)
- 杉並区石物シリーズ 1 杉並区の庚申塔
- 杉並区石物シリーズ 2 杉並区の地蔵菩薩
- 杉並区石物シリーズ 3 杉並区の如来・菩薩等
- 杉並郷土史叢書 1 杉並区史探訪 (1977 森 泰樹)
- 杉並郷土史叢書 2 杉並歴史探訪 (1977 森泰樹)
- 杉並郷土史叢書 3 杉並風土記 上巻 (1977 森泰樹)
- 杉並郷土史叢書 4 杉並の伝説と方言(1980 森泰樹)