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Keita Matsumoto

3章・今の仕事にたどり着くまで

2016.02.25 09:15

整体院ボディーケア松本の

「整体」以外担当 松本圭太です。



僕の実家は島根県の田舎町で

130年以上続く呉服店です。

僕の父(写真左下)は

松源(まつげん)呉服店の5代目。



普通に考えれば

兄か僕が跡を継ぎそうなものです。



でも、兄も僕も大阪で暮らしています。

いま、松源呉服店はゆっくりと

その幕を降ろそうとしています・・・。



父は小さなころから

「跡継ぎ」として

育てられました。


父は双子の兄として

「長男だから」という理由で

双子の弟とは違う扱いを受けてきたそうです。


父の父(4代目)

つまり、ぼくのおじいちゃんは

婿養子として松本家に入り

教師から呉服屋の若旦那となりました。


おばあちゃんの父(3代目)

は商売の基本を知らない

おじいちゃん(4代目)

をそれはそれは厳しく

商売人に育てたそうです。


そしておじいちゃんは

「自分の代で松源の歴史を

 終わらせてはならない」


という使命感から

さらに厳しく父に接したそうです。


僕にとっては優しくて頼もしいおじいちゃん

僕はとくにおじいちゃんっこでした。

でも、父は

全く違う感情をおじいちゃんに持っていました。

(だいぶ大きくなってから気づきました)



子供のころから

「お前は跡を継がなければいけない」

と厳しく育てられ


やりたいことや

憧れを捨てて


父は呉服屋の5代目となりました。


無念さや恨みを抱いて・・・。



僕たちが小さいころから

父が一貫して言ってきたことがあります。


「跡は継がなくていい

 お前たちの好きな仕事をしろ」


自分が悔しい思いをしてきた道を

歩かせたくないんだというのが

子供心に分かりました。


自分の仕事に誇りをもってないのか

と、なんだか父の姿を

かっこ悪く感じる時期もありました。



学校では先生や同級生が

当たり前のように

「跡を継ぐんでしょ」

と言ってきました。


それでも

僕たち兄弟は

「呉服屋になる」

と言ったことはありません・・・。


そんな父の言葉を鵜呑みにした僕たちは


好きな仕事として「漫才師」

を選んだんです。


ま、さすがに父もびっくりしたと思いますが(笑)


なにも言いませんでした。



いつしか一番のファンになってくれました。



社会に出て初めて父の偉大さに気づきました。


やりたいことができるありがたさ。


父が呉服屋として働いていることに

「結局自分で決めた道だろ」

なんて言葉はとても言えません。



松源呉服店の歴史の幕は

自分が降ろす。


嫌な役は自分が引き受ける

という見えない優しさを感じたんです。


これにまったく気づかなかった僕は


自分を大バカだと思いました。



「お前たちの好きな仕事をしろ」

と言ってくれた父に胸を張って

今の仕事を報告できるか?


そんなことを考えるようになりました。


お笑いをやめ

クレーム対応の窓口で

自分の役割とやりがいを

感じてはいたのですが


それが、本当に

「好きな仕事」として報告できるか。


あらためて何がしたいんだろうと、


そんなとき、兄から久しぶりに連絡が入りました・・・。



【 お・ま・け 】


父の紹介をしたので、最近の父の写真探しました。


孫に珍しい南米の鳥の

エサやり体験をさせてやろうと




エサを購入した瞬間

鳥が腕に飛び乗ってきてパニック!!


「ひゃーーー」と

悲鳴をあげるかわいい父(笑)

「けいた、ほら、早く

 このエサ持て、早く受け取れ」


とぐいぐい渡してくる(笑)


そして、


鳥を追い払うように逃げる父・・・。


「あ~怖かった」という

心の声が聞こえてきそうな顔とポーズ(笑)


このあと、

『もう一回持ってみたら?』

とエサ渡そうとしたら・・・(笑)


60代とは思えぬ速さで逃げました(笑)