東京を川は流れて桜餅
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◆桜餅の葉、食べてます?◆
「桜餅を包んでいる葉、あれは取るんですか? 食べるんですか?」
当店へのお問合せで一番多いのが、この質問です。
逆に、「どうなさっておられますか?」とお尋ねしますと、「葉は取る」というかたもあれば、「葉も一緒に食べるのが江戸っ子」というかたもおられ、なかには「1枚だけつけて食べる」折衷派も。もちろん、正解はありません。食べ物は、やはりそれぞれのお好みで召し上がるのが何よりだと思いますので。
この桜餅を包んでいる葉は、オオシマザクラの葉を塩漬けにしたもので、全国で使用される桜餅の葉の約7割が伊豆の松崎町で生産されています。独特の香りは塩漬けにしている過程で葉が発酵してクマリンという芳香物質が出てくるためで、生の葉にあの香りはありません。見た目の楽しさ、美しさだけではなく、香りも利用する――昔の人は偉いものですね。
そういえば、いまは亡き小沢昭一さんがお見えになったときに、こんな小噺を教えてくださいました。
ある人、桜餅を皮(葉)ごと食べるを見て、隣の人、「旦那、皮をむいて食べた方がいいですよ」。
「あ、そうですか」と そのまま川の方を向いて食べた。
川を向いて座れば、大川のゆったりとした流れと桜並木。どうぞ、そのまま春の日永をのんびりとお過ごしください。きっと、それが、桜餅の一番おいしい食べ方でしょう。
https://ameblo.jp/yu-jin0803/entry-12445380615.html 【江戸・東京和菓子紀行その1 山本や長命寺桜もち #1928】より
―どこかへあの時間は流れて行ってしもうたんじゃな……。*
“ノボさん”こと正岡子規は、この桜もち屋で回想する。明治三十一年のことである。
その十年ほど前の夏、子規はこの山本やに三月ほど滞在している。ここで「七草集」の執筆を始めたのだった。当時の子規は希望に溢れていた。子規は借りた二階の間を「月香楼」と称し、自らの文集を七草にたとえ、漢文、漢詩、美文、短歌、俳句、今様、都々逸のかたちで認めていった。子規二十二歳の夏。子規の詠んだものにこんなものがある。
向じま花さくころに来る人の ひまなく物を思ひける哉
花の香を若葉にこめて もちひ かぐはしき桜の餅家づとにせよ
葉桜や昔の人と立咄 葉隠れに小さし夏の桜餅
子規はこの店の娘おろくに淡い恋心を抱いたであろう。伊集院静は、小説「ノボさん」の中で、十年後のひと夏の回想について触れる。
『子規は、少しゆっくりさせてもらおうわい、と告げて桜餅を頼み、茶を飲んだ。
窓辺にもたれかかり川景色を眺めた。するとおろくと二人して浅草の縁日に出かけた折、二人で乗った渡し舟の情景がよみがえった。
浅草寺は縁日で賑わっていて、おろくは浅草寺の境内にあるちいさな祠まで丁寧に参拝した。……
それがつい昨日の出来事のようにも思えるし、遠い過去の出来事のようにも思える。……人の声がした。……
子規はつかの間、夢心地で眠っていたことに気付いた』。
子規はこのとき、すでに脊椎カリエスに蝕まれ、自身で歩くこともかなわず人力車で外出し、車夫に抱かれて店の座敷に上がったのだった。
伊集院氏は同作品の中で、この長命寺と桜餅の由来についても記している。
『長命寺はその創建は不詳だが、平安時代とも慶長年間とも言われ、もとは宝珠山常泉寺と号していたが、江戸幕府三代将軍家光の命によって長命寺と改められた。家光が鷹狩りに出た折、体調を崩してこの寺により、僧孝海(こうかい)が境内の般若水で薬をすすめたところ治癒した。家光は喜んで寺の水を長命水として、初代将軍家康の供養をここで毎年はじめたといわれる。
門前の桜餅は享保年間に菓子職人の山本新六が墨田堤の桜の葉を使って考案したと言われ、八代将軍吉宗が台命して堤に植えた桜が大勢の花見客を呼び、江戸の名所となったことと合わさり、江戸の桜餅としてしの名がひろがった』。
当時の記録をさらに紐解くと、文政七年(一八二四年)には、一年間の桜の漬け込みが三十一樽、葉の数にして約七十七万五千枚、桜の葉二枚で餅を包んだことからすると、三十八万五千個の桜餅が江戸および近隣で賞味されたことになるのだから、その賑わいのすさまじさが覗える。
芥川龍之介も幼少期の思い出について「本所両国」の中で触れる。
伯母と隅田川の蒸気船に乗った際、その伯母は長命寺の桜餅を一籠膝に抱いていた。同船の男女が、「何か匂いますね」と話しているのを、『長命寺の桜餅を…臭いとは、―僕は未だにこの二人を田舎者めと軽蔑したことを覚えている』と記している。
現在も同じ味を受け継ぐ「桜もち」。
桜葉三枚で包まれその香の充分に滲みた小麦粉の餅生地と、塩味の利いたこしあんのバランスは、江戸の風流かつ粋な味を伝えている。
*伊集院静「ノボさん」より