Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

3月30日 濤踏ライブのこと

2024.04.07 04:28


「音がくるってるよー、音が出ないよー」板橋さんが叫ぶ、ステージに上がってピアノを見てみるが何もわからない。何人ものお客さんの視線がこちらを向いている。


夢はそこでさめた。部屋には昨夜「一緒に寝ようよー」と言ってくれた瀬尾家の子、楓子ちゃんがまだ寝ている。旅の疲れもあるのかここに来てから朝はゆっくり寝ている。


外は快晴。いよいよ涛踏ライブの日。昨年から準備してきた一日。


8時半、ピアノ調律師の木村さんが時間ちょうどに到着。

ピアノ運びと駐車場係を頼んでいた地区の神楽の先輩2人もきてくれた。

普段は多目的スペース(ただごちゃごちゃしている場所)が今日はステージになるので、そこへピアノを運び出す。

「また昼過ぎに来るからー」と先輩2人は帰っていく。心強い。



60年前に製造されたヤマハのスピネット型ピアノ、このライブを開催するにあたって一番の問題は板橋さんが弾くピアノで、借りてくるにしてもどこから?誰から?その状態はどうなのか?というかあてもない中、知り合いが「譲る」と言ってくれた。それをまず家まで見にいって、状態の確認、運び出し、部品交換、メンテナンスと何度も何度も我が家に足を運んでくれたのが調律師の木村さん。


ピアノを前に「いよいよですね」と言うと、いつものように「すぐ逃げられるように車は出しやすいところに置いとく」と返ってくる。

スピネットという型のピアノは珍しく、構造も複雑で触りたくないという調律師もいるようで、木村さんも触ったことがない型だ。うちに来るたびに「いきなりいなくなって連絡がつかなくなったらどこか壊したと思って、逃げる木村だから」が口癖。この日を特に不安に迎えたのは木村さんだろう。

 

「じゃあやろうかな」と言って調律をし始める。

その背中から「逃げないよ、大丈夫、最後までやるよ」というオーラがしっかりでていた。

わかってますよ。



レオナ(全身打楽器)板橋文夫(ピアノ)瀬尾高志(ベース)の涛踏メンバー3人はツアー5日目の都城のライブを前夜終えて泊まり、昼前に戻ってきた。疲れも見せずすぐステージの準備にとりかかる。

うちでは初めてのライブなので、マイクの位置、スピーカーの場所、音のバランスなどなどいろんなことを手探りでやる。

音響の機材は宮崎のジャズ屋草野さんからずっと借りているもので、機材チェックも事前に一緒にしてくれていた。


板橋さんが木村さんに「思ったより良く鳴るよー、このピアノ」と言っているのでホッとする。

でも「最後まで持つかなあ」とポツリ。やはり不安も残る。

会場は2時半、あっという間に時間がせまっていた。 




今回、高原町の人気カフェVOTEが週末のお店も忙しいはずなのに出店を引き受けてくれて、スコーンやタルト、コーヒーも出してくれた。これで場の雰囲気がいっそう華やかになる。


本番前に演奏してくれる、まり子さんとれい子さんがアコーディオンを持って到着。

まり子さんは僕たちが8年前に御池キャンプ場で結婚披露フェスというのをやった時にも駆けつけて演奏してくれた。

れいこさんは今回のピアノを譲ってくれた本人でもあり「ピアノ大丈夫かなあ」と今回不安を感じている1人でもある。


続々と車が集まってくるもすでにスタンバイしてくれている神楽先輩2人がなんなくさばいている。やはり心強い。2人のために夜の焼酎は十分用意してある。


聴きにくるお客さんは、多くは近所の人たちでいつも仲良くしている友人や、音楽好きの人、今回初めて連絡をくれた人たちもいる。

おそらく今回のような演奏を聴くのは初めての人が多いのではないだろうか。




受付は尊敬するかなえちゃん、金庫やお釣りを計算する道具などを持参してくれて、来た人たちと自然に会話しながら慣れた手つきでやってくれる。素晴らしい。


部屋の中で音合わせをしたアコーディオン2人が外に出てきたところでいよいよスタート。

「度胸試しと思ってやります」と蛇腹が動き出し2人の音色が合わさる、マイクを通してないのに優しい音が十分ひろがっていく。

まり子さんはアコーディオン熱が燃えていて、月一回自分のパン屋である自分のお店の2階で、アコーディオン教室を福岡から先生を招いて開いている。もう10年以上なるだろうか。

「度胸試し」と言いながら、場数はかなり踏んでいるので聴く方は最後まで落ち着いて聴いていられる。

次は自分たちが演奏するということも忘れていた。



2人の演奏も終わり、僕たちの演奏はサックスとめぐのアコーディオン、ある時期は一緒に練習してたけどお互い忙しく最近はほとんど練習していない。

練習してないので持ちネタが増えていることもなく、今まで何度もやってきた2曲。1曲目は「コンノートの靴みがき」という曲。2曲目は「ハバナギラ」というユダヤの民謡曲。


中盤からゆっくりと登場してきた瀬尾くんがベースを抱えて僕らの横で弦をはじき始める、レオナのタップも入ってきてリズムが良い、板橋さんも鳴り物で後押ししてくれる。

アドリブに入り「もっとデタラメに思いっきりやったらいいんだよー」と前日に一度合わせた時に言われた言葉がよぎる。「デタラメでいいって言われても・・・」とそもそもデタラメにしか吹けない。




東北の震災後、2年近く滞在していた時、たまたま出会った瀬尾くん(ということは付き合い13年くらいになるな)とは年に一回ぐらいしか会えてないけど、一緒に演奏するなんて思ってもなかった。

デタラメサックスの横で「イイゾーー!」という表情でこっちを見ている。激しく弦を弾いているのに音色は柔らかいし野外なのに響く。さすが。いや浸ってる場合じゃない、とにかくデタラメに吹くのだ。

「ジャジャジャジャジャッジャ!!」曲の最後決まった・・かな?「イエーーイ!!」の声が客席から飛んでくる。


無事に僕たちの演奏が終了、あとは踏の3人にお任せします!




3人の演奏の感想は言うまでもない。

とにかく心が揺さぶられる、なんならステージと化した多目的スペースもタップの勢いで揺さぶられる、いや、ピアノも少し跳ねているのか?ピアノ大丈夫か?木村さんの顔は見ることができない。

激しくも優しい音が山に跳ね返り、空間を包む。


ファーストステージは圧倒されあっという間に過ぎていった。



休憩中はいろんな人と話をして、BGMをかけるのも忘れていた。それでも違和感なく過ごせたのは、場所の力があったからだと思う。


高千穂峰が見え、鳥がさえずり、蛙の声もBGMになっている。



ファーストステージの勢いそのままにセカンドステージも圧倒的。

「板橋さんはピアノを鳴らすんじゃなくて空間ごと鳴らすんだよ」とレオナが言ったのがしっくりくる。


2曲目が終わって板橋さんが「次の曲入ってきてよー」 「えっ!」 「アリゲーターダンス入ってよーできるでしょー」 「え?」


本当に突然でできるのかどうかわからないけど、こんなチャンスない、やるしかない。



板橋さんのライブを最初に見たのは、たしか16年前くらいかな、福岡の東峰村というところにある廃校であったライブだった。


やはりその時も勢いに圧倒された。今思うと教室全体が響いていた。なんだこのピアニストは!

衝撃を受けそれからどこにいても近くで板橋さんライブがあれば聴きに出かけていた。行けば必ずエネルギーをもらう。俺もやれるぞ!というエネルギー。

板橋さんのCDもたくさん手に入れ聴き続けている。多分一番長く聴いているピアニストだ。


そのピアニストから「一緒にやろう」という誘いは突然過ぎても断る理由はない、ただどう演奏すればいいかわからない。

ほとんど人とやったっことがなく僕はいままで誰かのCDをかけては、適当にやっているだけなのである。それも合っているかどうかもわからず。



「高音をさ、ビャーっとやればイイんだよ、ビャーーっと」と板橋さんのアドバイス。わかるようなわからないような。

「やまちゃん音いいじゃん」と瀬尾くんから前日聞いた褒め言葉を真に受けてサックスを抱えて構える。曲が始まり板橋さんから合図が入る。

「アリゲーターダンス」あっ!この曲か!(やるしかない!ビャーッとやればいいビャーーッと!)


前日の瀬尾くんからもらったもう一つのアドバイス、「これ合ってるかなあ、どうですかねえという気持ちでなんかなくていいから、俺はこうなんだっ!てやればいいんだよ。」



ただひたすら無心に吹いた。

無心だけど後ろから板橋さんのピアノが、瀬尾くんのベースが、レオナのタップがど、いけ!いけーー!と背中をおしてくれる。心地いい、でも1分ぐらいしか続かなかったソロだったと思うけど、後ろを振り返ると瀬尾くんが目を開き「イイゾー!」という顔をしていた。

放心状態。

1分でも力を使い切ったのに、その後、3人の演奏は迫力を増し続ける。凄い!こんなの毎日のように毎晩のようにやっているのか!



後半に進むと板橋さんの演奏も、より一層力が入ってきて、ピアノの事が気になるもなと思いながらも、後ろに座っている木村さんの顔を見ることはできない。この場にいるのは確認出来るのでピアノがどうにかなってはいないだろう。



最後の曲は「満月の夕べ」を僕たちも入って楓子ちゃんが歌う。

能登地震のことも、終わらない紛争のことも昨年からのやりきれない思いが込み上げてくる。サックスを吹いたけど、どう吹いたかは今となっては覚えていない。


アンコールは板橋さんの名曲「渡良瀬」もちろん何回も聞いた曲で、板橋さんが「一緒にやろうよー」といってくれたけど、これは座って聴きたかった。じっくりと。




演奏は休憩はさんで3時間ほどだった。


圧倒される雰囲気の中、来てくれていた子どもたちが手作りのビニール凧で遊び出したり、木登りしたり、鬼ごっこしたり、この場所の正しい使い方を実践してくれていたことが嬉しかった。

3人の音楽のエネルギーを受けながらも、自分たちのエネルギーを出す子どもたちの感性を尊敬する。




帰っていく人たち一人一人に挨拶をすることができなかったので残念だけど、しょうがない。ステージの片付け、打ち上げの準備でその時はまだ余韻に浸る暇がなかった。


ピアノを部屋の中へ移動する時に、板橋さんが木村さんを呼んで記念撮影。「このピアノ凄いよー、調律もよくやったねー!なかなかこんなピアノないよー」と。よかった、最後まで耐えてくれた。

ある時木村さんが「鳴らないピアノはピアノが悪いんじゃなくて、それは調律師のせいだから」と言ったのを思い出した。「今日鳴りに鳴りまくったのは木村さんのおかげですね」と言おうとしたら「今日の功労者は木村さんだよ」という板橋さんの言葉。これは夢じゃない。よかったよかった。


木村さん、嫌かもしれないけどこのピアノをこれからもよろしくお願いします!




打ち上げは手伝ってくれた人たちと、北海道時代の瀬尾くんを知る、現在宮崎に移住してきいる友人家族たちでそれぞれの話があちこちで盛り上がっていた。

神楽先輩2人も焼酎とビールを持参で参加してくれた。焼酎はたっぷり用意していたのに・・・。

そしていつもの神楽の話で盛り上がり、いつかバンドとコラボをという話もでた。面白そうだ。




朝、気がつけば布団で寝ていた。夢は見なかった。

この日も快晴。みんなゆるりと起きてきて出発準備。遅い朝食の後、雨が降った場合に使わせてもらう予定だった神楽殿を見に行って新しい可能性を発見する。神楽殿でライブもいいなあ。


移動する部屋と化したハイエースに乗り込んで4人は次のステージが控える熊本へと出発した。


その後、熊本、北九州、広島での3人のライブ熱かったこと言うまでもない。

僕たちもまだあの日の熱が冷めないままでいる。

揺さぶられたステージも、叩き起こされたピアノも、そして僕たちも次の出番を待って熱い気持ちを燃やし続けるのである。




ライブ終了3日後に電話が鳴った。

僕たちが山梨で働いていた時からずっとお世話になっている方の娘さんからだった。

「27日に母が亡くなったの」と。

その方は横浜の施設に入っていて、ちょうど1年前くらいに会いに行ったところだった。

「最後に行きたいところは2人のところだってずっと言ってたよ」

山好きだった方なので一緒に高千穂峰に登りましょうと誘っていた。


あの日一緒にライブを聞いていて「いい音楽だね」と言いながら山を眺めていたのかもしれない。




写真提供:土田 凌