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さかのぼるものもありけり雪の果

2024.09.08 05:41

https://www.youtube.com/watch?v=q3IcfTEuXpI

安全地帯(玉置浩二)『あの頃へ』弾き語りCover

1992年、月桂冠「花鳥風月」のCMソング。平成初期の名曲です。

雪が降る 遠いふるさと   なつかしい 涙になれ  春を待つ 想いは誰を  幸せに 

できるだろう  あの空は あの風は  いまも胸に 限りなく  あたたかい あの頃へ

君をいつか つれて行けたら

街の灯が 瞳に灯る  神様の 願いを見た  夢だけで 終わらないこと  あといくつ あるのだろう  あの星は あの雲は  いつも愛を 見つめてた  美しい あの頃へ

君をいつか つれて行けたら

やさしさも さみしさも  いつも愛を 知っていた  あたたかい あの頃へ

君をいつか つれて行きたい  あの頃へ

●「君」という存在。禅的まなこで見ると、「君」は自分自身であるようにも思えます。若い頃見た風景に思いを馳せ、望郷の念を抱く。万感胸に迫ります。


Facebook相田 公弘さん投稿記事

国民教育の師父といわれた森信三先生の「森信三先生語録」をご紹介させていただきます。

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【下座の経験】

人間下座の経験なきものは、未だ試験済みの人間とは言うを得ず。唯の三年でも下座の生活に堪え得し人ならば、ほぼ安心して事を委(まか)せうべし。

【生命の振幅】

人は生命の振幅広きがよし。坂上田村麻呂は怒れば鬼神も挫(くじ)き、笑えば三歳の童子もなつきしという。

【私と公】

私欲に基づく努力は、何時かは必ず行き詰るものなり、之に反し公の為にする場合は、真の行き詰りというものなし。

噴水は大いなる水源でありてこそ持続もすれ、自ら汲み上げるのでは、そのうち疲れを生じて中止になる他なきものなり。

【教室の空気】

水も洩らさぬていの学級経営をしている教室へは、一寸足の踏み込み難き感がするものなり。例えば机の端を揃えるだけでも、教室の空気は大いに引き締まるものなり。

【馬鹿になり切る】

人間真に打ちこめば、頭のよしあしは問題にならず。人間功を為す、必ずしも難からず。ただ馬鹿になってどこまでも続ければよし。ただ馬鹿になり切れる者世に少なきのみ。

【人生二度なし】

男一匹ズブリと頭まで水中に没して、馬鹿になって思い切り離れ業を演ずべし。人生は二度なきが故に。

【比較せずに】

すべて比較が迷いの根元なり。されば他人と自分を比較せぬがよし。比較するゆえ気がもめるなり。確固たる根を張るまでは、息のつづく限り水を潜って、他人の泳ぎ振りなど見ぬがよし。

【返事一つに】

返事の仕方一つにも、その人の人柄は現われるものなり。わずか一秒早くても、そそっかしやと言われ、これに反し一秒遅れても、不承々々の返事と思われるなり。

森信三語録 下学雑話 森信三 著 致知出版社

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森信三先生は、以下にある「人間の一生」という文章を精力的に広めることを推奨していたそうです。

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「人間の一生」(読み人知らず)

職業に上下もなければ貴賤もない。世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。それから十年本気でやる。すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。すると、五十までには群を抜く。

しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。

「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。

すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。

だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。

すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。しかし、それからまた、十年頑張る。

するとこのコースが一生で一番面白い。

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「人生二度なし」という言葉をよく語ったそうです。一度きりの人生です。

どう生きるか、どんなことをして、どんなものを後世に遺していくのか。すべては自分が選ぶ生き方次第。楽をして自分だけ得をしようと思えば、きっと苦労して何も遺さない人生になるでしょう。必死に頑張って周りの人や公のために生きる人こそ、70になっても80になっても面白く充実した人生を送ることができるのでしょうね♪

今日を、今を、もっともっと一生懸命生きていこうと思いました。※魂が震える話より


Facebook加藤隆行さん投稿記事【マジリスペクトしてる?】

「相手を尊重する」って言いますよね。「尊重する」を辞書で調べると(ありのままの相手を)価値あるもの、尊いものとして大切に扱うこと。と書いてあります。

でね、「あの人が私を尊重してくれない (ノД`)(# ゚Д゚)」っていうようなこと言う人います。

つまり「あの人が、 私を価値あるもの、尊いものとして大切に扱ってくれない (ノД`)(# ゚Д゚)」って言ってるワケですね。まあそれはそれでええんです。

実際そうやろうし、それはええんだけど、この「尊重する」っていうのは自分も ”相手を” 尊重していないと手に入らないのですわ。

この「尊重する」っていうのは「親切に大切にしてくれる」っていう意味(だけ)じゃない。

相手が自分に親切に大切にしてくれるような時はもちろんですが、相手が自分に冷たくしたり

嫌なこと言ってくる時も「尊重する」ということ。

え?はい、もっかい。「尊重」とは価値あるもの、尊いものとして大切に扱うこと。ですね。

で、これは「無条件」なのです。

「ありのままの相手」を尊い大切と思ったときが「尊重」なんです。

相手がどんな状態であろうとどんな態度であろうと価値あるもの尊いものとして大切に扱うこと。今相手から出てくる行動や言動は価値あるものとはとても思えないかもしれないけど

誰でもそんな態度や行動しちゃう時もあるよな。

何かイライラして人に優しくしたり思いやったりできない事情や理由が相手にはあるかもな。

私とは価値観が違うのかな。何かで拗ねちゃったり、捻くれちゃったり何かカンチガイしちゃったりしてるんかもしれんな。

(それとも私が拗ねて ひねくれて受け取ってるんかもな)そんな「あの人はあの人だから」

「それはしゃーない」と、その状態、その存在自体を「尊重」する。で、その上でその人と付き合うのかどうかは自分が決めればいい。

必要ならその場を去ればいい。そんで、あの人のココロに余裕ができて平穏が訪れて

あの人も本音の優しい部分で生きられますように。と祈ってあげたらいい。

さらに「あの人が 親切や大切にしてくれない(ノД`)」

「私はあの人に 親切に大切にしてあげてるのに(# ゚Д゚)」というのは「尊重」じゃなくて

「取引」です。

相手をそうやって取引なく尊重できたときにはじめてそんな相手の言動から影響を受けたり傷ついたりせず「相手は相手、私は私」と他人軸から抜け出せて相手との正常な境界線を引くことができて自分を「尊い人」として扱えるようになるのです。

取引でなく、相手を尊重したときに、自分を尊重することができる。まー、結構むずいけどな(笑)「あの人が 私を尊重してくれない (ノД`)(# ゚Д゚)」と思っているときは

「自分が相手も自分も尊重できていない時」です。アンタ、尊い人やで(^ω^)

ちなみに「尊敬」=他者より秀でる部分を敬う気持ちなので尊重とは違いまっせ。