火の震ふビルの瓦礫や雪の果
https://www.yomiuri.co.jp/national/20240129-OYT1T50096/ 【復興見据えたがれき処理、日本に学べ…ウクライナの視察団が東日本大震災の被災地など視察】より
ロシアの攻撃で街の破壊が続くウクライナの政府や自治体の職員が来日し、がれきの撤去・処理技術を学んでいる。2月9日までの滞在期間中、廃棄物処理の現場や東日本大震災の被災地を視察し、戦後復興に活用するという。
研修は、人道支援を担う国際協力機構(JICA)が企画し、ウクライナ政府や、ハルキウ、ヘルソンなど自治体の廃棄物処理担当者計8人が参加している。29日午前は千葉県柏市の建設廃材処理工場を訪れ、コンクリートやアスファルトの破片を粉砕し、鉄筋など金属類を抜き取る作業を見学した。
ウクライナ復興庁によると、ロシアの侵略開始以降、学校や病院、道路など約21万か所が破壊された。多くのがれきは放置され、復旧できたのは2割弱にとどまる。キーウなどではJICAから提供された重機約30台を使って、がれきの撤去作業が進んでおり、順次、全土に広げていく計画だという。
日本では2011年の東日本大震災の際、約3100万トンのがれきが発生したが、約8割は土木資材などにリサイクルのうえ、再利用された。
ロシアの攻撃を受けて発生した大量のがれきを重機で撤去する様子(ウクライナのキーウ州で、2023年撮影)=キーウ州提供
ウクライナはロシアの侵略以前から、がれきのほとんどを埋め立て処分しており、日本政府は今回の研修で、がれきの撤去からリサイクルまで一連の処理技術を伝え、復興を後押ししたい考えだ。
8人は30日以降、宮城県石巻市や仙台市を訪れ、東日本大震災の復興状況を視察するほか、福島県大熊町の廃棄物仮置き場を見学する。ウクライナ地方・国土・インフラ発展省のコストロフ・イリア主任専門官は「日本が災害を通じて蓄積した技術と経験は世界トップレベルだ。技術面だけでなく法律など制度面も参考にして母国の復興に生かしたい」と話した。
Facebook福田純子さん投稿記事 ー世界を照らす太陽にの巻ー
あの2011年3月11日 14時46分東日本大震災から10年!タイムラインに3年前記事が上がって
来て「不思議なことに2011年3/16日に届いたコピーが出てきたので読み人もわからないのですがきっと皆さんにお伝えするようにとの意味に受け止めここに添付します。長いですが心静かにお読み頂ければ幸いです」と書いて投稿した詩の作家は「ホメオパス♾りゅうさんです」
とFacebook仲間のアーティスト田中さんからお知らせ頂きました💕
3年目にして作者がわかったと言うご縁に感謝し震災から10年の祈りに再びこの詩をお捧げします
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日本よ 日本の民よ 日出ずる国の民たちよ 地震多き 原発多き 島国にて まるで龍神の背の上で暮らす かのごとき暮らしを選んだ 勇気ある民たちよ 見たこともないすざまじき
未曾有の試練を意識もしない 魂の底で実は受け入れていた あなた達よ!あなたたちの
誇り高さを讃えます 大変な犠牲もありましたが その者たちも瞬時に光となり
さらなる被害を食い止めようと 全力で働いています。
まだ肉体あるあなたたちがそんなことでどうするのです。恐怖の連鎖に飲み込まれては
なりません!恐れや不安や緊張やパニックに便乗してはなりません
あなたたちは何のために今まで長い時間をかけて自分のことを癒してきたのですか
たくさんの内なる浄化を続けてきたのですか何のために眠れる力を目覚めさせてきたのですか
たくさんの人に助けられてきたのですか 集団の祈りの力を信じれるようになってきていたのですか 今、今のためであった それを感じるでしょう 不吉な予言の奥を見なさい
そうならないようにするために 予言はある 今こそ祈りなさい 歌いなさい 手を取りなさい
力を合わせなさい 政治的な 大事な決断をする人の意識に 届くように....瓦礫の奥で助けを
求めている人を、誰かが偶然の ごとく見えない力に導かれて 見つけ出すように.....
原子炉が何とか持ちこたえるように 風向きが最も被害少なく 良い方向へ流れるように....
救助しやすき天気になるように.... 祈る事は山ほどあります 地震前のあなた達の族っぽい
悩み全てぶっとんだでしょう いつもと変わらぬ毎日 すべてくつがえったでしょう
政治批判をしてきたものよ 衣食住が今まであっただけでも なんとありがたき政策か
電気のありがたさガスのありがたさ 水のありがたさ屋根のある家の ありがたさ身に染みたでしょう 今体調が悪いものよ 誇りなさい あなたたちは自分の身体を使い 被害の何兆分の1かでも身をていして 引き受ける勇敢な者達なり!
たった1日で全員が真実を見たでしょう 本当に大事なのは生きること できれば大事な人たちとできれば 少しでも多くの人たちと生きて 笑えること 笑い合えること.....それだけです
連絡が滞っていた人に連絡をしたでしょう 大嫌いだった人の安否も気になったでしょう
そうあなたたちは愛のかたまり いつだって本当はそうでした 思い出して!
あなたたちは自殺したいときで あっても、誰かを殺したいときで あってもいつだって愛そのものであったことを!
ひいずる国の民よ あなたたちは 集団覚醒した。それそれが微力で あろうともそれが重なり合えば まばゆき光となりき 強大な熱を持ちエネルギーとなり 絶大なるパワーを放つ
届かせよ!できるだけ遠くまで 祈れよ 感じるままに 最大の窮地それぞれがそれぞれに
限界だと思うもうちょっとだけ 先までどうか持ちこたえよ!
今こそあなたたちが望んだ 世界が始まるのだ 見届けよ! 最後の1人となろうとも大和魂復活の時来たれり 1人でも多くの手を取れ サポート多きあることを信じなさい 我々も共にゆかん!
天の岩戸は開かれた 日本よ日本の民よ ひいずる国の民よ 世界を照らす太陽となれ
ホメオパス♾りゅう
Facebook加藤隆行さん投稿記事【面接官はなにを見ているか】
かなりの特技や能力がある人でもないかぎり多くの人は自分のことを「平凡」だと思っています。人に誇るほどのスキルもないし平均値な人だと思っている。
ボクは会社にいた時就活生や派遣社員さんの採用に長く関わっていました。
リクルーターや面接官として。あと学生時代のバイト先でもリーダー的立場として採用担当してました。そういえばその頃から「人を見る目がある」「フラットに判断できる」って言われてましたね。当時全然気づいてなかったけど。思わぬ自分の価値をまた発見w
でね、リクルーターや面接官としてその人の何を見ているか?スキル?経歴?その人の将来性?モチベーションの高さ?
まあもちろんそれも見るんですが、一番見ているのは「この人は周りの人と うまくやっていけそうか」です。
特に新卒生なんて即戦力なんか期待してないし 大学で学んだことなんてよっぽどのスペシャリティでもなければたいして役に立ちゃしない。みんな入ってから覚え学んでもらうんです。
バイトならなおのこと。で、総合的に一番よく見ているところはどこかというと
結局「この人は周りの人と うまくやっていけそうか」にたどり着く。つまり「人柄」です。
これって至極日本的な判断基準なのだと思います。海外だったらどれだけスキルを持っているかどれだけビジョンを持っているかそんなところが絶対大事。
でも「人柄」さえよければ人とぶつからず人と協調して人に教えてもらいながら
場を和ますこともできながらどこででもやっていけるのです。
逆に言うと会社としては本当に必要なスペシャリティ人材はそれなりのお金で買って来ます。
「人」ではなく「技術」を。で、通常の採用でスキルは高いけどこの人ちょっと面倒くさそう
という人を雇うと、必ずトラブります。そのトラブル対応に稼働を持っていかれるよりも
人柄がよくて、それなりに働いてくれる人のほうがあきらかに、ありがたい。
ノーベル賞受賞者のJames Heckman氏らの研究によると「成功はIQより人柄」という結果も出てたりします。
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あなたが平凡だと思っているのは今、狭い世界にいるからかもしれない。
IT業界にいた友人で「ボクにはたいしたスキルもない」「努力したが全然かなわない」
「だから技術者としては平凡」と言っていた友人がいました。でも彼には誰にでも好かれ、物腰優しい「人柄」があった。いま彼はパソコン教室で生き生き働いています。
彼の人柄でパソコン初心者の人たちに大人気なんです。お年寄りに楽しそうにスマホの使い方を教えたりしています。今度、本を出すって言ってました。
彼のなんとも言えないほがらかな顔が本の帯に入ったらめちゃ売れるんではないかな。
「平凡」ってなんでしょうね。その「フツーさ」があなたの魅力である可能性ってめちゃくちゃありますよ。しかもその「フツー」全然「フツー」じゃないです。
「私、周りの人と うまくやっていくことはできるよな」って思ったら、それって実はものすごいオールマイティなスペシャリティなんです。
そして、お金を稼ぐことよりも有名になることよりもすごい技術を持ってることよりも周りとうまくやれること、幸せな人間関係が作れる人が本当は幸せなんです。
想像してみたらわかるでしょ。
自分を「平凡だな」と思っている人、自分の価値を知れ。
平凡だと思っててうまく行ってない、幸せじゃないと思っている人は
そんな自分を否定しているだけだよ(^ω^)
Facebook竹元 久了さん投稿記事
🔵縄文人から脈々と受け継がれてきた自然への畏敬の念を東北人は色濃く残している💚
自然への畏敬の念は縄文時代から脈々と日本人に受け継がれてきました。
近代社会になるまでは、この自然への畏敬の念が、集団を構成する一人一人の心に浸透し、集団で作られる規範の背後に潜む統合観念となっていたと思います。
東北人にはその縄文魂は今でも息づいており、東日本大震災に見舞われた東北が世界に賞賛された理由がそこにあるのでしょう。
以下、東日本大震災後、復興構想会議における復興に向けた提言を紹介します。
東北は、常に体制から遅れ、体制を陰で支え、また時には体制から攻められるものとしてあった。ヤマトタケルや坂上田村麿の蝦夷征伐に象徴されるように、東北人はいつも主流を脅かす異端として存在してきた。同時に東北は、広く縄文文化の土壌であり、狩猟採集という、自然と共に生きる暮らしを脈々と受け継いできた。縄文時代には人間同士の殺し合いが一件も見つかっていないが、そのこともこの地方の文明の基本的性格を物語るものだろう。
今回、被災した人々の状況がさまざまに報道され、国内だけでなく国際的にも大いに称讃されたことを、我々は肝に銘じなくてはならない。世界が称讃したのは、東北人が農民や漁民として培い、今なお保ってきた忍従の徳、あるいは天災を従容と受けとめる謙虚だが力強い姿ではなかっただろうか。
この国の主流が、経済原理に基づく競争原理で都市を形成しているとすれば、東北にはまだ別な世界が色濃く残っている。「絆」とか「共生」などと敢えて呼ぶまでもなく、協働の思想が彼らのなかには当然のこととして今なお息づいているのである。
漁民が恵比寿神を祭るなら農民も稲荷神を祭る。特に漁村などでは正月14日までに葬儀をすると神さまの機嫌を損ない、船の安全が脅かされるとさえ考える。いわば彼らの独特の信心が、経済原理や効率主義に従わせないのである。
彼らの心根が、そのような信仰、つまり自然に対する畏敬の念によって形成されたのは明らかだろう。また農業の「結い」や漁業の引き網における協力を持ちだすまでもなく、彼らにおいて人との繋がりは当然のことなのである。
そこから導かれる復興構想の基本理念は、東北人に色濃く残っている「自然への畏敬」、および共同体の尊重だろうと思う。自然は、畏れ宥めるものであって、敵対し、戦って勝とうという相手ではない。
また人間は、同じ畏れの元で助け合い、和合しつつ暮らす存在である。むろんこれは、日本人すべてに本来は当て嵌まるはずなのだが、残念ながら無意識なほどに西欧化し、効率化した現代日本にはむしろ稀な考え方になってしまった。
地震にしても津波にしても、我々はそれと真っ向から戦うのではない。人事は尽くすにしても、あとは宥めて祭り、ご機嫌が悪くなれば逃げ隠れするしかない。その意味で、退路の確保、命だけは守るという基本姿勢こそが復興される市街地構想の核であろう。
今回の復興にとって最も大切なことは、我々の生きる同時代の仲間をかくも大勢喪ったこの震災を、彼らのためにも深く記憶して忘れないことである。
お金をかけ、これだけの備えをすればもう大丈夫、というやり方は、むしろ犠牲者のことを忘れさせると、鴨長明は『方丈記』に書いている。曰く「(新たに)家を作るとて、宝をつひやし、心を悩ます事は、すぐれてあじきなくぞ侍る」。(中略)「月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて云ひ出づる人だになし」。災害に遭うたびに家を小さくし、最後は「方丈」に住んだ鴨長明の真似はできないにしても、自然のなかに「仮住まい」する我々の作法として、自然への怯えと感謝を保つ復興こそを目指すべきだろう。