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壊されしものあらはなり涅槃雪

2024.09.08 05:43

http://www.jtvan.co.jp/howa/Sato/houwa065.html 【第65話 涅槃雪(ねはんゆき)】より

 寒い東北では2月13、4日になると、きまったようにうす汚れた雪の上に美しい真っ白な雪が舞い降りてくる。

 これを「涅槃雪というのだ」と、私に教えてくれたのは、いまは亡き隣りの老僧だが、その老僧が、「ああ、涅槃雪だ」と、さも感慨深気に窓の外を眺めていた半世紀も前のことがついせんだってのことのように思い出す。

 お釈迦さまは2500年前の2月15日の夜半、80歳で涅槃に入られた。

 そのお釈迦さまのご命日を偲ぶがごとく舞い降りる雪なので誰いうともなく「涅槃雪」と呼ぶようになったものであろう。

 東北からこちらに移ってきて涅槃雪を見られないのはいささか物足りない感じだが、それにしても暑い国インドにお生まれのお釈迦さまのご命日が新雪の供養を受けられるとは、さすが聖者にふさわしいスケールの大きな話である。

 応(まさ)に度すべき所の者は、皆すでに度し訖(おわ)って、沙羅双樹(さらそうじゅ)の間に於いて将(まさ)に涅槃に入りたまわんとす。是(こ)の時中夜寂然として声(おと)無し、諸(もろもろ)の弟子の為に略して、法要を説きたもう。

 キリストは、十字架上にその短い生涯を閉じているがお釈迦さまの場合はまったく逆で、大勢の弟子たちははじめて鳥や獣物にまで嘆き悲しまれ、最後の法要を垂れてこの世を去られた。

 私たちはお釈迦さまの涅槃にあやかって、そのみ教えに導かれ尊い生命を全うしたいものである。


https://jodo.or.jp/event/nehane/ 【涅槃会】より

お釈迦さまが入滅された2月15日に勤める追悼報恩のための法要です。お釈迦さまのお誕生を祝う花まつり(灌仏会、4月8日)や、さとりを開かれたことを記念して行う成道会(12月8日)と並んで、お釈迦さま三大法要の一つに数えられます。

「涅槃」とはさとりの境地、苦しみが消滅した状態を意味します。

お釈迦さまがこの世での命を終えたこと(入滅)により、身体的な苦からも脱して完全な「涅槃」に至ったとすることから、お釈迦さまの入滅を「涅槃」と称しています。

紀元前5世紀ごろルンビニで生まれ、やがて人生の無常を憂い出家したお釈迦さまは、35歳でさとりを得ます。以後、修行の旅に各地を巡り、煩悩が引きおこす苦しみから逃れ、安らぎを得るという教えを人々に授けました。伝道の旅は、80歳で亡くなられる寸前まで続き、その入滅の様子は経典に詳しく伝えられています。

ここでは、お釈迦さま最後の旅とその教えをたどります。

この法要では、入滅された時の様相を描いた涅槃図を掲げ、ありし日のお釈迦さまを偲び 法要を営む寺院が多くあります。

涅槃図には、中心に横たわるお釈迦さまが、周囲には弟子たちをはじめ、菩薩、天界の神々、さらには動物や昆虫までもが集まってお釈迦さまの死を悼んでいる様子が、詳細に描かれています。


https://caffe.main.jp/001/?p=5375 【今月の季語(2月) 二月の寒い季語】

〈松過ぎの又も光陰矢の如く 虚子〉をくり返し呟いてしまう毎日です。二月は逃げると申しますから、更に加速するのでしょうか。

今年の立春は二月四日。ですが、春は名のみの日々となることでしょう。夏の暑さより立秋後の残暑がしんどいように、立春後の寒さはこたえます。今月は〈春の寒さ〉についてみていきましょう。

なにしろ立春の前が、寒さの底とも言える大寒ですから、当然寒いのです。

冴えかへるもののひとつに夜の鼻  加藤楸邨

寒戻る寒にとどめをさすごとく   鷹羽狩行

鎌倉を驚かしたる余寒あり 高浜虚子

冬の季語である〈寒〉や〈冴ゆ〉が入っているだけに冷え冷えした季語です。同じ意味合いでも〈春寒(はるさむ/しゅんかん)〉には「春」の文字の効果が、或いはあるかもしれません。

春寒の日ざしに濤はあひうてり         清崎敏郎

料峭のこぼれ松葉を焚きくれし 西村和子

寒さがたやすく戻る二月いっぱいくらいを〈早春〉〈浅春/春浅し〉と呼びます。

早春の森にあつまり泥の径  鈴木六林男

春あさきまま川浪と笛の音と           中田 剛

〈如月〉は旧暦二月の異称です。名の由来は一通りではありませんが、着物を更に重ねる感覚で受け止めると、これも寒さの季語と言えそうです。

如月の水にひとひら金閣寺 川崎展宏

当然春になっても雪が降り、霜がおります。関東圏はむしろ春になってからの雪に混乱することが多いです。天地が冷え切っている早春の雪には侮り難いものがあります。〈春の雪〉は必ずしも〈淡雪・沫雪〉とは言えないでしょう。また、雪片が大ぶりで華やかに降るときには〈牡丹雪〉と呼びます。

春の雪波の如くに塀を越ゆ  高野素十   淡雪のつもるつもりや砂の上  久保田万太郎

ぼたん雪地に近づきて迅く落つ  鈴木六林男  限りなく何か喪ふ春みぞれ  山田みづえ

道のべに春霜解けてにじむほど  皆吉爽雨

ちなみに霜は「八十八夜の別れ霜」といわれるほどですから、夏の近づくころまで油断はできません。

三日月の色の全き別れ霜 飯田龍太〈晩春〉

〈薄氷〉は「うすらひ」と読むか「うすごほり」と読むかによって音数だけでなく、印象が変わります。春の寒さに張る氷のことです。

薄氷の吹かれて端の重なれる 深見けん二  薄氷そつくり持つて行く子かな 千葉皓史

〈流氷〉や〈雪崩〉も春の季語です。凍りきっていたら流れず、崩れないと考えれば納得できますが、寒い季語ではあります。

青天に音を消したる雪崩かな  京極杞陽    流氷や宗谷の門波荒れやまず 山口誓子

侮りがたきものに〈春の風邪〉もあります。こじらせないようにご注意ください。(正子)


Facebook加藤隆行さん投稿記事

人類がただ”生存に有利”として進化の過程で手に入れたものが「自我(私)(エゴ)」。これは自己防衛システムなので悪いものじゃない。でも今はそのシステムが限界まで来たことで、自らを滅ぼす寸前まで来ている。だからといって人類が核戦争やら人口削減の失敗やらで滅びようが、それもただの進化の過程における自然淘汰の結果であって、地球や宇宙から観たら瞬きの一瞬のことで偶然でしかない。生き残るチカラがなかっただけ。そのあとはまた深海の微生物から新しい進化をたどり、人類らしきものへと進化する。そうやって人類は何度も滅び復活している。

で、いまは我々が淘汰されるか、次のステージへと進化できるかの瀬戸際。そのカギは「自我(私)」などただの幻想システムであることに気づき、「無我」と「自我」を調和させて、自も他もない本当のコンパッションを発動し生きられるようになること。

まあ自我の請け負ってきた部分はこれからはAIが担ってくれるから、大丈夫っしょ😂ぐらい安心の気持ちでいないと、「自我」が強権発動するので、深刻にならずに、でも真剣に向き合うことが大事。ま滅びるときは滅びるべ😂