英霊が迎待つ硫黄島へ(③帰還後の想い)
硫黄島に来て早くも15日間がたち、帰還の日となる。帰りたくない気持ちを抑えつつ、自衛隊の遺骨見送式を受けながら自衛隊輸送機に乗り込み、入間航空自衛隊を目指して飛び立つ。英霊の帰還を待っていたのが凄い数の自衛隊員、捧げ銃の合図で、胸に抱いている遺骨と共に本土に帰還、感激で涙が出そうになる。でも、一番感激しているのは本土帰還を果たした英霊ではないだろうか。自衛隊の敷地内では、隊員さんがバスに気がつくと英霊に対して敬礼をしてくれる、硫黄島と繋がる入間航空自衛隊はさすがに礼儀正しい。航空自衛隊を後に宿泊先であるKKRホテルに移動、ホテル内の仮安置所に遺骨を納めて本日の業務終了。最終日、遺骨を抱いて千鳥ヶ淵戦没者墓苑に向け出発、途中靖国神社の横を通る、ここでは遺骨をそっと上げ靖国神社がよく見えるように。英霊は久しぶりの戦友と抱き合っているのかな。いよいよ千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて、厚生労働副大臣、外務大臣政務官、防衛副大臣、国会議員、遺族の方、など多くの方々が英霊の帰還を待つ中、海上自衛隊東京音楽隊の演奏で、硫黄島戦没者遺骨引渡式が行われた。厚生労働職員に、遺骨を手渡した瞬間、力が抜けたような気がした毎日遺骨と向き合い、やっと遺骨が納まる所に納まってくれた安堵なのか。ちょっと独り言、副大臣を始め、いろんな人が長々ときれいな言葉を並べて挨拶をしていたが、硫黄島から帰って来た私の心には何も届かない、日米の攻防戦から79年ともなれば遺骨の劣化も激しく崩れ始めていた。この現状を見るために硫黄島に行ってから言葉を選んで欲しい。スピード間を持った対応をしないと、英霊が永遠に帰還出来なくなる。日本を守る為に硫黄島で玉砕されたのなら、日本が責任を持って一刻も早く英霊を帰還させるべきで自衛隊、消防隊、警察官、各公務員を導入する対策を。硫黄島が日本に返還されて56年。56年間日本は何をしていたのだろうか。残るは1万人の兵士の遺骨。苦しんだ硫黄島の土と同化しないように、日本の国会議員の皆さんに早急の対策をしてもらいたい。最後に解団式、佐藤団長の温かいお礼の言葉を頂き感動。でも、団長が一番大変でしたねと心の中でお礼返し。解団式も終わり、17日間同じ釜の飯を食べた仲間と別れを惜しみ全国に散らばる。この後大西統括と歩いて靖国神社に27柱の帰還の報告、桜のつぼみが出始めるころ、無事に遺骨収集了した。
自衛隊の皆様、民間企業の皆様、各団体の皆様の活動により、祖国防衛の為に硫黄島で玉砕された多くの方々の中から、わずかですが27柱を本土に帰還させることが出来たのは皆様の努力の賜物と感謝しております。帰還された英霊の方々、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で安らかにお眠りください。
最後に、58年間の人生の中でこれだけ長い時間遺骨と向き合ったことはなかった。遺骨は、人と違って何も話してはくれない。だから遺骨の気持ちも自分で考え、自分の気持ちも自分で考えるので自然と素直な気持ちが出て来るようになる。今回、硫黄島で貴重な経験をさせて頂き誠にありがとうございました。
これからも、硫黄島での遺骨収集が出来る様に、日々の生活を頑張ってまいります。