第1章06
深い森の中に、漆黒の闇が訪れようとしている。
護は地面に仰向けに横たわったまま、深い眠りの中に居た。
……どこかから声が聞こえる。
『大丈夫か?護』
白い部屋の片隅でうずくまっている護。ふと顔をあげると、穣が屈んで護の顔を見つめている。
穣は笑いながら『また満にイジメられたか』
『違うよ。ちょっと叱られた。……でも』と言うと若干涙目になる。
『俺と歩が同じ事をして、何で俺だけ叱られる。歩が三男で、俺が四男だから?』
穣は『まぁ、満の思考だとそうなるかもな』と笑い『でもそれを使ってるのは歩だぜ?』
『えっ』
『歩は狡猾だからな。満の扱い方が上手い』
護は唖然として穣を見る。……狡猾、と言われれば確かにそうだが、その単語はまるで年上の歩を悪者にするようで罪悪感を感じてしまう。だが確かに歩は狡猾だった。それは薄々気づいてはいた。
『それは、知ってるけど、でも……』
項垂れて、はぁっ、と溜息をつく。劣等感で重い気持ちになりながら
(俺には、そんな事、出来ない……。上手く立ち回るとか、根回しするとか、世渡り下手で……)
その心を見抜いたように穣が微笑んで呟く。
『お前は優しいもんな』
護は俯いたまま『優しくないです。貴方は長兄が恐くないんですか』
『恐ぇよ。でも俺はバリアラーなんで。理不尽な攻撃はバリアで遮る。意地でもアイツの侵入は許さん。心を侵略されたらバリアなんざ張れねぇよ』
それを聞いて少し黙り、それからややいじけた顔になる護。
『俺には、無理だ。どんなに嫌でも従わないと……』
『じゃあ満に心酔して服従しとけ』
護は目を伏せて『……でも』そこで黙り、諦めを含んだ長い溜息。
重苦しい沈黙が訪れる。
やがて穣が『なぁ、護』と声を掛ける。
『満に虐められる俺を傍観しながら、裏では満の不満を言うって卑怯じゃね?それならむしろ満の信者になって俺を軽蔑してくれた方が、よっぽど筋が通ってんだけど』
護は強張った表情で、恐る恐る視線を上げて穣を見る。
震える声で『……そん、な』
穣は護の目を真っ直ぐ見据えて問う。
『護。……お前は何を護りたいのさ?』
ハッ、と目を覚ます護。
(……あれ?)
若干ボーっとしながら、ふと気づく。
上半身裸でベッドに寝ている自分。
(あれっ?)と驚いて周囲を見回し(ここどこだ?)
そこは見知らぬ部屋の中。視界に、ベッド脇の椅子に座って居眠りしている男性の姿が目に入る。
誰だろうと思いつつ上半身を起こして我に返る。
(って俺、ハダカじゃん!……そういえば、誰かに服を脱がされたような)
突然、護の肩に何かがポンッと飛び乗る。あの耳の長い変な生き物が、嬉しそうに護に身体をすり寄せる。
「お前……」
その声に、居眠りしていた男性が「ん」と目を覚ましてふぁぁと欠伸をする。
「あー、起きた」と言い立ち上がってベッドの護に近づきつつ「大丈夫?」
護はその男性の姿に目を丸くする。
男性の背中には、透明な翼のようなものがついていた。
思わずどもりながら「あ、あの、せ、背中に」それを指差す。
「ああ俺は有翼種だから」
「ゆう、よく、しゅ?」
「うん。翼を持つ種族。知らない?」
「知りません。俺は、人工種っていう種族です」
「え、人工種なの?てっきり人間だと思ってた。人工種と人間って、どう違うの?」
「どう……」護はちょっと考えて
「組成が違うんです。遺伝子とか……あと人工種の首には必ずこのタグリングが付いていて、これで人間に管理されています」
男は驚いて「管理?」
「はい。ちなみにあの、ここはどこですか」そこで何かをハッと思い出すと「あっその前に!」
突然バッ!とベッドの上に正座する。
「助けて頂き、ありがとうございます!」手を付いて深々とお辞儀をする。
男はビックリして「う、うん。元気だね、良かった」と言い、それから何か思案しつつ「えっと、ここはね……。まぁそのうちわかるよ。それより君は何であんな所にいたの?」
「俺は、洞窟で採掘作業中に地下の川に落ちまして」
「採掘?……君、もしかして採掘師?」
「はい。イェソド鉱石を採る採掘師です」
「それでコイツに懐かれたのか」とベッドの上で寛いでいる耳の長い生き物をツンツンとつつく。
護は生き物を指差して「これ、何なんですか」
「石の妖精って呼ばれてる、石好きの変な生き物。……今日、仕事をしてたらこいつらが団体でやって来て、付いて来いって必死に言うから行ってみたら、君が倒れてた。だからお礼はこいつに言って」と妖精を指差す。
護は妖精を抱き上げると一応真面目な顔で「ありがとう、ございます」
男はタンスの方に歩いて行き引き出しから下着と服を出してベッドの上に置く。
「君の服は洗濯したから、とりあえずこれ着といてね。パジャマだけど」
「すみません、ご迷惑かけてホントに申し訳ありません!」必死に謝る。
「いいよ。気にしないで」
「何かお役に立てる事があれば何でもさせて頂きますので!」
「いや、まぁ。とりあえずゆっくり休んでよ」
男は戸口へ歩いて行くと、ドアを開けて部屋を出ながら
「俺の名前はターメリック・エン・セバス。君は?」
「ALF IZ ALAd454十六夜護と申します」
相手は思わず目を丸くして
「随分長い名前だね!君の事、何て呼べばいいの」
「あ、最初の部分は人工種ナンバーというもので、ALFが……」と説明しかけて諦めると「護でいいです、ただの護で」
「んじゃ俺の事はターさんって呼んで」そう言って部屋を出る。
ドアが閉まると護は緊張が解けたようにはぁっと溜息をついてクッタリ。
(どうしよう大変な事になった……。他者のお世話になるなんて……。とにかく服を着なければ)
下着までお借りしてしまうなんて恥にも程がある、相手も嫌だろうな……等と心の中で色々思いながら手早く黒いパジャマを着ると、再びベッドに腰掛けて、大きな溜息をつく。
(長兄が知ったら激怒する……怖い、どうしよう……)
うな垂れて両手に顔を埋める護の背中を、妖精がポンポンと叩く。
護は無視する。
だが妖精は更にしつこく護の背中を叩く。
ポンポン ボンボン ボコボコボコ
護は不機嫌そうに妖精を見て「なんだよ!」と怒ると「……ついて来い?またか」
妖精はドアの所に跳ねて行くと、長い耳でドアを指し示す。
仕方なく渋々立ち上がった護は妖精の指図通りにドアを開けて、周囲の様子を伺いつつ部屋から廊下に出る。
左を見ると靴箱と玄関があり、正面には広い部屋。その右側には広い部屋と廊下を区切る可動式らしいパーティション的な壁があって、部屋の右半分だけが廊下と区切られている。更に右を見ると、廊下の角。
広い部屋に進むと、右側にはカーペットが敷かれたソファのあるリビング的な場所、部屋の中央には大きめの長方形の木のテーブルとイス、その先にキッチン。
なかなか素敵な部屋だと思っていると、キッチンで料理をしていたターさんが護に気づく。
「どしたの?」
妖精はトコトコと玄関の方へ。
「妖精が、付いて来いと……」
ターさんは「あ。もしかして」と言い、火を止めて玄関の方に来ると「これどうぞ」とサンダルを護に勧める。それから妖精と共に外へ出る。外は、星明りだけの真っ暗な世界だった。
護は驚き「周りに家が無い……」
「うん」
ターさんは家の裏の小屋へ入り、中の明かりを付ける。
護も続いて小屋に入り、「うわ!」と驚く。小屋のあちこちに、様々な石が沢山置いてある。
「すごい!」パッと目を輝かせた護は食い入るように石を見ながら「なぜこんなに石が?もしかして」
「俺も採掘師だから」
嬉々とした顔で「やっぱり!」と言い透明な輝く鉱石柱に触れる。
「きれいだ……これ、なんて言う石ですか?」
「ケテル石」
護は驚き「えっ、ケテル?これが?」とターさんを見る。
「うん」
「ケテルって、細かい砂みたいなケテル鉱砂しか見た事ありません!」
「鉱砂は研磨に使うね」
「そう、それです!……こんな大きなケテル石、初めて見た。これが原石かぁ……」とうっとりした顔をする。
そんな護を見て、ターさんが「……君、石が好きなの?」
護は笑顔で「はい!」と返事してからハッとする。
(あっ、俺……やっぱりホントは石が好き……)
ターさんは「俺、主にケテル石を採ってるんだ」と言い、白い石で出来た斧を持ってきて護に見せつつ
「これ、俺のメインの仕事道具。ケテル石斧、通称白石(はくせき)斧(ふ)、これで石を切る」
「ええ」護は驚き「ケテル石の斧……!」
「ケテルはケテルじゃないと切れない。あとね」と言って壁際の棚の近くに行って黒い布に包まれた長い物体を手に取ると、黒い布を外す。護が持っていたあの黒い石が現れる。
「それは!」思わず指差す。
「稀に見る素晴らしい黒石(こくせき)剣(けん)。君が採ったの?」
「仲間と一緒に採りました。それは一体?」
「これはイェソド鉱石の変種。中の黒い石は、ごく稀にイェソド鉱石の中に出来る石で、剣のような形をしているから黒石剣と呼ばれる。これも採掘道具なんだよ」
「その黒い石が?」
「うん。しかし良い形の黒石剣だよねぇ。これは妖精も欲しがる訳だ」
すると妖精が黒石剣の上に乗り、護に向かって何かを訴える。
「これを俺にあげるって?横取りしたのはそっちだろ!」
途端に妖精がジャンプして護の顔面にキック。
アハハと笑うターさん。
護は渋い顔で「もー…」と言ってからターさんを見て「あ、助けてくれたお礼に、これを貴方に」
ターさんは笑いつつ「ダメだよ、君にあげるって言ってんだから。もらわなきゃ」
「はぁ」
「君、随分と妖精に好かれたね」
そう言いながらターさんは黒石剣を元の場所に置いて黒い布をかける。
「これはここに置いとくよ。さて、戻ってご飯にしよう」
護は慌てて「あ、いや、突然お邪魔したのにご飯まで頂いては」
「だってお腹すいただろ?」
「しかし」
「いいから、いこいこ」護を押し出すように小屋から出る。
家の中に戻ると、ターさんはキッチン脇の大型の冷凍庫から、切り分けてラップに包んだパンを取り出して
「パン、食べるよね?」
護はやや遠慮気味に「は、はい」
「冷凍しといた奴だけど、焼くと大丈夫なんだ」
ターさんはラップを取ってパンをオーブンの中へ。
それから隣の冷蔵庫からサラダが入ったボウルを取り出すと「サラダ、さっき作っといた」
「あ、あの、そんなに食べませんので」
困り顔の護に「俺が食べたいの」と言うと、ターさんはコンロの上の鍋のシチューをかき混ぜつつ
「このシチューね、今ちょっと肉が無いから野菜だけで」と言い「あ、食べられない野菜とかある?」
「いえ、俺は野菜が好きなので、問題ありません」
「それは良かった」
護は「でも、あの」と言うと、具合悪そうに「す、すみません、あまり、食欲が無くて……」
ターさんはそんな護の様子を見て「とりあえず座ってて」
「いえ、何かお手伝いを」
「なんか具合悪そうだから、座ってて下さい」
若干きつめの口調で言うと、護は「はい」と呟き渋々テーブル脇のイスに腰掛ける。
(どうしよう、相手の機嫌を損ねたかもしれない)
護の心に不安が募る。
ターさんは黙々と食事の用意を続ける。焼き上がったパンを木製の器に盛ってテーブルの真ん中に置き、シチューをスープ皿に盛り付けて、テーブルの上に置く。
その様子を見ながら、護は悲しくなる。
(せっかくこんなに用意して頂いたのに)
それから思い切って、緊張した面持ちで「……あの、すみません、俺、食べられません」
「どうして?」スプーンとフォークをテーブルに置きながらターさんが答える。
「早くアンバーに戻らないと……」
「アンバーって?」
「俺が乗ってる採掘船の名前です。早く戻って無事を知らせないと、船長や管理の方にご迷惑が。だって探していると思うんです。心配してると思うんです」
必死な顔で訴える護を、ターさんは黙ったまま見つめる。
「貴方は、採掘都市ジャスパーをご存知ですか?」
「そんな街があるの?」
「はい。採掘関連施設が集まった都市です。採掘船本部もそこにあります。でも、ご存じ無いなら……」と俯くと「何とかして、戻ります。というより、管理の方が、俺を見つけるかと」
「管理って何なの」
護は自分の首を指差し「このタグリングで人工種を管理している人間の事です」
「それ、外したら?」
「これは製造師にしか外せない。あ、製造師とは人間で言う親の事です。これがある限り、管理が俺を見つける」
そこで大きな溜息をつくと、再び息を吸って「俺は自分の下らないミスで、こんな大失態を犯してしまいました。早く戻って皆に謝罪しなければ」
「そんな大失態したの?」
護は大きく頷き「はい。勝手に妖精を追いかけて、誤って川に落ちてしまいました」
「それ不慮の事故だよね?」
「自分の判断ミスと不注意が原因です!」
「……で、戻ったら君はどんな処罰を受けるの?」
「えっ」
目を丸くしてターさんを見る護。小さく「処罰……」と呟くと、強張った表情になったまま、黙る。
護の様子を見ながら、ターさんが諭すような口調で言う。
「戻らない方が、いいんじゃない?」
「とんでもない、戻ります、絶対」
「そのジャスパーっていう都市の場所は知らないけどさ、貴方が戻りたいなら、戻る為の手助けをするよ。ただし」と言ってターさんは言葉を切ると「戻るには相当な覚悟が必要だ。何があっても戻るという固い決意が。逆に言うと採掘船とか管理も簡単にはここには来れない。貴方を絶対に連れ戻すという強い決意が無ければ、無理」
護は唖然としてターさんを見る。
「ここは、一体……どこ?」
ターさんは「そのうちわかる、かもね」と言いつつ席に座ってスプーンを手に取りシチューを一口食べる。
「食べようよ。冷めてきた」それからサラダを指差し「野菜が好きならコレ食って。俺が庭で適当に育ててる野菜なんだけど、沢山出来ちゃってさ」
護はふと「あれ、二人だけで食事ですか?ここに他の方は」
「今日は、いないよ」そう言ってサラダを一口食べると「ここは仕事の為に俺が一人で住んでる家なんだけど、たまに仕事仲間が遊びに来る」
「仕事仲間って、採掘師の?貴方はどんな採掘船に乗ってるんですか?」
ターさんは「んー」と唸ってから「その時によるなぁ。基本は一人で採掘だし」
「一人で?」
「うん。個人採掘師だから。船と契約しない時は一人で採掘」
護は首を傾げて「それは一体、どういう……」
「どうって、個人で採って売る」そこで護の怪訝そうな顔を見て、説明を付け足す。
「採掘師も色々で、採掘船の専属採掘師になる人も居れば、普段は個人でやっていて、たまに採掘船と契約してその時だけ船に乗る採掘師も居る訳だよ」
「へぇ……。一人で採掘できるなんて、有翼種は人間と同じなんですね。人工種はイェソド鉱石採掘の為に作られた存在だから、それ以外の選択肢が殆ど無いんです」
「そういえば、人間っていう種族はイェソドエネルギーに弱いとか聞いた事あるけど」
「はい。命に関わります。でもイェソドエネルギーが無いと生活できないので」
「それで人工種が人間の代わりにイェソド鉱石を採ってると。……だからそんな首輪付けられてんのかな」と護の首を指差して「ちゃんと給料頂いてる?」
「はい!」大きく頷き「それはもう十分に」
「もっと給料アップしないと鉱石採らないぞ、とか人間に交渉してる?」
護は驚いた顔で「いや、そんな事は」
ターさんは呆れて「何でだよ。だって鉱石が無いと人間は困るじゃん?」
「でも人間は、人工種を作ってくれた存在ですので」
思わずふぅと溜息をついたターさんは「実はさ」と言うと、護を見て「有翼種の間で『人工種は人間の手先、操り人形』って噂があるんだけど、それホントだった」
「えっ」目を丸くした護は「そんな事は……」と言うと「俺の製造師も育成師も人間ですが、ちなみに育成師とは人工種を育てる人の事ですが、……どちらも立派な方です」
「ふーん」若干投げやりな返事。
護は俯きつつ「……だから、頑張らなければ……」そこで言葉が続かなくなる。
(……ダメだ、こんな大失態した俺じゃ、どんなに頑張っても……)
完全に下を向き、黙り込む。
重苦しい雰囲気の中、ターさんは黙々とパンやシチューを食べている。
何か言わねば、しかし何を言えばいいのかと護が焦りながら悩んでいると、突然ターさんが口を開いた。
「あ、そうだ。明日、俺の仕事に付いて来る?」
「えっ」予想外な言葉にターさんを見る。
「俺、人工種に興味が湧いてきた」そう言ってターさんは護を指差し「同じ採掘師として一緒に仕事してみたい」
護は目を丸くする。ターさんは更に続けて
「もし、管理や人間が、本当に君の事を大切に思っているなら、何が何でもここに来る筈だよ。彼らが君を迎えに来るまで、ここで有翼種の採掘を体験するってのはどうかな。そしたら君の失敗も少しは価値があった事になるよね」
「……そう、なの、かなぁ?」
「さっき作業小屋でケテル石を見た時の君は、凄く生き生きしてた。一緒にケテルを採らない?」
護は不安げな顔で「……でも」と呟き「申し出は、ありがたいん……です、が……」
「じゃあ返事は明日の朝でいいよ。一晩悩んで」ターさんはそう言うと「少しは食べなよ、夜中にお腹すくぞ」と護にパンを勧める。
「はい」パンを取って少し齧りつつ、護は悩む。
(どうしよう……どうしたらいいんだ……)