「場」
その場、その場とか、場所と言った言い方を一般的にはします。
とても大切な言葉だと無意識のうちに、みんなが知っています。しかし、この意味をもう少しだけ深く考えると、ちょっと違うものが見えてくる気がします。
物理学のことは詳しくはわかりませんが、私の理解で「場」を説明しようとしたら、こういう説明をしたいなと思います。
例えば、益男さんという男性が部屋の中にいます。そこにサザエさんが入ってくると益男さんとサザエさんによって楽しい会話ができたとします。
これって場が変化してことですよね。
まぁあくまでも素人の考えであって、物理の「場」の概念とこれを同じにしてはいけないのかもわかりませんが、概ねそんなところかなと私は考えてます。(独断と偏見)
私が50人の前で講演会をやったとします。その中の50人の人は、何の目的の為に集まったかがわかっていなければ、ただ50人という人が集まっただけです。
そこで御薗治療院の勉強会をします!!
という場を作るために私が一人入って前で話しをしたとします。その中の雰囲気が変わってしまいますよね。
しかし、集まった50人が私の話なんか聞きたくないという人ばかりだったらどうでしょうか?
その場に変化があらわれないということですよね。
つまり空間にただ人(物質)がいるだけでは場に変化は起こらないということだと思います。そんな人の集まりであったとしても、私が話しはじめた時、誰かが興味をもってくれ、その興味が次々に伝搬していったとします。
そして、面白いと思った人が30人いたとします。完全に場を変えてしまう訳です。
空間は、部屋です。しかし、空間だけでは「場」とは言えませんし、それだけでは特定の「場」は空間としての「場」です。そこに存在する物質と物質の持つ影響力が場を作ると考えると「場」の意味が何となく理解できるような気がしませんか?
講演会を何度もやってきて思うことは、「場」をどこまで変化させることができるのかというのは、その人の持つ影響力なんだと思います。どれだけ高尚な理論を持っていても、「場」を変化させることができなければ、人を変えることはできません。
そう思うと治療行為で一番大事なことは、如何に「場」を変化させる影響力を持っているかが勝負なんじゃないかと最近は考えるようになりました。
技術は必要ですし、それを説明する言葉も必要です。しかし、もっとも大事なのは、「場」を変化させる得たいの知れない影響力なんじゃないかと思います。
一人の人の身体は、一つの空間です。その中に細胞が無数にある「場」と言える訳です。その細胞に変化を及ぼす影響力があるというのが、その治療家の持っている「場」の力なんだと思います。
「場」を変化させる方法は沢山あります。その中で一番大事なものは意識です。どのように意識するのかによって、細胞の一つ一つへの影響力が違ってきます。
だから「場」が変われば、それを許容する細胞の一つ一つの変化の度合が違います。経験のある医師や施術家は、そういう「場」の作り方が上手い人と言えるかもわかりません。
話術だけでもないし、技術だけでもない何かです。
そういう技術を、技術を超えた技術と、私は言っています。しかし、何十年と治療家をやっていても、「場」に影響力を与える力があるかというと、そうとは言えません。
「場」は経験や知識、時間とは無関係な気がします。
よく言われるカリスマ性というような言葉は、「場」を一般的にあらわした一つの言葉なのかもわかりません。
その「場」では常識が通用しない「場」が存在します。
この意味を治療家は絶対に体感していなくてはなりません。