星辰
https://www.historist.jp/articles/entry/philosophy/006362/ 【心とは山河大地なり、日月星辰なり。】より
鎌倉時代 曹洞宗の開祖 道元『正法眼蔵』
ふだんは物と心は別だと考えている。もちろん心はたんなる物ではない。ではその心とは何か?と問われると、すぐに答えは出てこない。禅では心を無にせよ、無心に徹せよと説かれる。その無心の境地に、あたかも曇りなき鏡に万象が映し出されるように、はじめておのれを活かす仏の命の世界が映る。道元によれば、それは山川草木、日月星辰、この世界のすべてである。世界のすべてに自分が生かされていること、その世界の命をおのれの命として生きていることに目覚める時、新生の体験が訪れる。道元はそれを身心脱落と言う。おのれの身も心も、すべてを世界に解き放ってみよという教えである。広い海を前にして、青い空を仰いで、両手を広げてそれを抱え込んでみよう、そこに飛び込んでみよう、そして、その大きな世界に抱かれた命の感覚を取り戻してみよう。
https://ja.empatheme.org/emp-0718/ 【心とは山河大地なり、日月星辰なり】より
道元禅師『正法眼蔵』のことばから。
心は、山であり、河であり、大地である。心は、太陽であり、月であり、星である。
立考:存在しているものすべてが心。
大和和尚:そうです。心は身体の中にあるものではなく。
立:だからこの身も心だ、と。
大:はい。見えるもの、聞こえるもの、ふれあうもののすべてが心として共に在ります。
立:ものすごく大胆ですよね。
大:道元禅師独特の表現です。
立:分解して理解するな、という意味で捉えてよいですか。
大:わけへだてをしない、ということです。
立:元来、ことばは、わけへだてをするものですよね。
大:物事は区別することで捉えることができるのですから。
立:にもかかわらず、わけへだてをするな、と。
大:そうだからこそ、わけへだてをしないように、と言うのです。
立:あるがままに受け止めよ、と。どうしたらできますか?
大:ことばにとらわれないようにすることです。
立:それはどうやって?ことばは不可欠でありながら。
大:観念を操作しようとすると囚われます。
立:とはいえ、心ということばは抽象概念ですよね。
大:はい。だから、物事は抽象概念から始めないように。
立:なるほど。
大:具象的な、自然が目の前にあるのです。
立:それを、みる、きく、ふれることだ、というのですね。
大:そうです。
立:具象的な、山も河も星も抽象化されます。
大:それの働きも含めて心です。
立:そのようなプラクティスがいりますよね。
大:そうです。想像する姿勢をつくることです。
立:「考えて」できることではない、と。
大:姿勢です。フォームです。
立:フォームに組み込むわけですね。
大:身につけるとはフォームを身につけることです。
立:そうすることで、くりかえせる。
大:フォームはカタチです。プラクティスにはカタチがいります。
立:作法と言い換えるのがよいですか?
大:あまり形式ばらないで大丈夫です。
立:そういう想像をするということを、形にして定着させる。
大:はい。だから、シンプルでわかりやすいことが条件になります。
立:なるほど。心は、山であり、河であり、大地であると言い切るんですね。
大:分解して、あれこれ区別していくうちに、囚われてしまうからです。
立:放っておくと、どうしてもそうなってしまいそうです。
大:なので、はじめに助け舟を出してくれているんですね。
立:親切に!そういえば、山河の親切ということばもありました。
大:すべては一体化すること。そのものになりきることです。
立:そのものになれるはずはない、というところから考えてしまいますよね。
大:そのものになれるはずない、と考えること自体を消していけばよいのです。
立:なかなか大変そう?
大:本当はむずかしいことはひとつもありません。
立:ことばで区別することに慣れすぎているから。
大:そうです。だからバランスを取るだけです。
立:ニュートラルポジションにする、と。
大:はい。それだけで変わります。
出典・参照:道元『正法眼蔵』「即身是仏』の巻、「大和和尚との対話」
Facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事
おはようございます。人間の不思議、自然の不思議、宇宙の不思議。それは、尽きないけれど、全ては、繋がっています。DNA情報は、先祖から頂いたものだけでなく、アップロード、ダウンロードもされるとのこと。人のDNAは、まだ3%しか働いてなく、では残りの97%は?実に面白い!
『心とは山河大地なり 日月星辰なり』by 道元
心と物は、別だと考えがちだが、心は、山川草木、日月星辰、この世界全てである。
世界の全てに己が生かされていること。世界の命を己の命として生きることに
目醒める時、新生の体験が現れるという。広い海を前にし、青い空を仰いで、
両手を広げて抱え込んでみる。そんな命の感覚が大切だと感じます。
素敵な一日をお過ごしください。
Facebook池谷 啓さん投稿記事
「ブッダは釈尊だけではない。決して一人の人物を意味していなかった。」
これは、仏教学の大御所、中村元先生の論文である(「釈尊を拒む仏教」)。まさに「目から鱗」であった。かいつまんで、要約してみた。
①仏教とは「ブッダとなるための教え」「ブッダの説いた教え」である。
〈ブッダの説いた〉とは、〈釈尊の説いたもの〉と暗黙のうちに了解されている。ブッダとは、釈尊である。しかし、釈尊だけがブッダであろうか。
②そうではない。当時は、修行を完成した人は、みんな〈ブッダ〉とよばれていた。ブッダとなることを教えた人々は当時、幾人もいた、釈尊ひとりだけではなかった。
③ジャイナの修行者も、ウパニシャッドの哲人も叙事詩に登場する仙人もみな〈ブッダ〉とよばれている。
仏典においても、他の修行者たちもブッダと称していた。最古の仏典(例えば『スッタニパータ』)によると、すぐれた修行者たちもみな〈ブッダ〉とよばれている。
④ブッダとなるための教えは、釈尊が説いた教え以外にもあった。ただそれらは、後代のインドに「仏教」としては伝えられなかっただけである。
⑤異端者デーヴァダッタ(提婆達多)はこの視点から再評価さるべきである。
⑥かれはブッダとなることを教えていた。その意味でかれは仏教者である。当時〈ブッダ〉とよばれていた多くの思想家・宗教者の中では、かれが最も釈尊に近い人であった。それなのに、かれは仏典においては極悪人として扱われている。どうしてか?
⑦デーヴァダッタは立派な修行者と認められていたからこそ、多数の信徒を得ていた。けれども、デーヴァダッタは教団に封する忠誠心が無かったために、五逆罪を犯した最大の悪人とされてしまったのだ。仏典においてデーヴァダッタに対して向けられている嫌悪は異常であり、ほとんど病的でさえある。何故このような憎悪が成立したか?
⑧ナンダ王朝からマウリヤ王朝にかけてインド全体が統一されるにつれて仏教教団は大発展をとげた。アショーカ王は教団の分裂を恐れていた。大教団が一つにまとまるためには、シンボルがなければならない。ゆえに、釈尊のすがたは急速に神格化、巨大化される。仏教は〈釈尊教〉とでもよばるべき性格を強くしていった。
⑨〈釈尊教〉の性格が強まるとともに、他のブッダたちは抹殺されるか、地位を低められた。ブッダとは釈尊ただひとりと考えるようになった。釈尊を神格化するとなると、かれに対抗したデーヴァダッタはますます悪人とみなされるようになった。
⑩釈尊を拒む仏教徒、すなわちデーヴァダッタの徒衆は西暦四世紀頃まで存続していた。法顕は5世紀にネパール国境近くでデーヴァダッタ派の教団に遭遇したと『仏国記』に記している。
詳しくは中村先生の論文。
1968年12月25日に『印度學佛教學研究』17巻1号に掲載され、2010年3月9日に公開された。
https://www.jstage.jst.go.jp/.../1/17_1_7/_article/-char/ja/