春星へかよふ寝息となりにけり
https://kigosai.sub.jp/001/archives/4905 【春の星(はるのほし)三春】より
【子季語】
春星、星朧
【解説】
春の宵に、潤むように見える星。夏星の熱っぽさとも冬星の鋭さとも異なり、暖かさを感じさせる。
【例句】
春星や女性浅間は夜も寝ねず 前田普羅「春寒浅間山」
乗鞍のかなた春星かぎりなし 前田普羅「飛騨紬」
鵯去つて枝にほのめく春の星 原石鼎「原石鼎全集」
牧の牛濡れて春星満つるかな 加藤楸邨「雪後の天」
三田といへば慶応義塾春の星
深川正一郎
慶応の出身者なら、それも母校愛のある人にとっては、大満足の句だろう。とにかく、格好がよろしい。一読、おぼろにうるんだ春の星のまたたきの下で、愛する母校を誇らしく回想している句だと思えるからだ。が、作者は、実は慶応義塾とは何の関係もない人だった。最終学歴は、四国伊予は川之江二州学舎。大正十年にここを卒業し、兵役を経て菊池寛の文藝春秋社に入社すべく上京して、雑用をしながら小説を書いたりしていた。すなわち、この句は、そんなふうにして東京に生活していた若者の慶応義塾への「憧れ」を詠んだものだ。「野球といえばジャイアンツ」と言うに近い心持ちである。もう故人となってしまったが、松竹の助監督だった私の友人が、上海ロケに出かけたときのエピソードがある。夕刻、仕事も終わって近所の公園を散歩していたら、人品骨柄いやしからぬ中国人の紳士が近寄ってきて、話しかけてきたそうだ。「日本の方とお見受けしましたが、最近の『三田』はどうなっておりますでしょうか」。紳士は「三田といへば慶応義塾」の時代の学生だったという。古き良き時代、春の星もさぞや美しかったことだろう。『正一郎句集』(1958)所収。(清水哲男)
つくねんと木馬よ春の星ともり
木下夕爾
日が暮れて、公園には人影がなくなった。残されたのは、木馬などの遊具類である。もはや動くことを止めた木馬が、いつまでも「つくねんと」一定の方向に顔を向けてたたずんでいる。いつの間にか、空では潤んだような色の春の星が明滅している。「ああ、寂しい木馬よ」と、作者は呼びかけずにはいられなかった。一般的な解釈は、これで十分だろう。しかし、こう読むときに技法的に気になるのは「つくねんと」の用法だ。人気(ひとけ)のない場所での木馬は、いつだって「つくねん」としているに決まっているからである。わざわざ念を押すこともあるまいに。これだと、かえって作品の線が細くなってしまう。ところが、俳句もまた時代の子である。この句が敗戦直後に書かれたことを知れば、にわかに「つくねん」の必然が思われてくる。実は、この木馬に乗る子供など昼間でも一人もいなかったという状況を前提にすれば、おのずから「つくねん」に重い意味が出てくるのだ。敗戦直後に、木馬が稼働しているわけがない。人は、行楽どころじゃなかったから……。したがって彼は、長い間、ずうっとひとりぽっちで放置されていたわけだ。そして、この先も二度と動くことはないであろう。つまり「つくねん」はそんな木馬の諦観を言ったのであり、諦観はもちろん作者の心に重なっている。空だけは美しかった時代のやるせないポエジー。『遠雷』(1959)所収。(清水哲男)
春星へ電光ニュースのぼりゆく
浦川聡子
春の星は、やわらかい夜気に潤んだように見える。対するに、「電光ニュース」の光る文字はくっきりと鮮やかだ。それが上へ上へとのぼってゆき、次から次へと消えていってしまう。断ち消えると言うべきか。一方、上空の星はといえば、ぼおっとしているけれど、いつまでもしずかに灯っている。この対比への着目が面白い。と同時に、句の上へ上へとのぼってゆく意識は、ものみな上昇志向を帯びてくる春という季節にぴったりだと思った。春は、万物が上を向く季節なのである。そういえば、坂本九の歌に「上を向いて歩こう」があった。春の歌だ。この歌のように、ものみな上を向く季節であるがゆえに、逆に精神的には下を向くことにもなったりするのである。ひとり取り残されたような孤独感に襲われたりする。昔から春愁などと言い、人間はまことに複雑怪奇な生き物だ。したがって、句の情緒的な受け取りようは、さまざまに別れるだろう。ところで、電光ニュースの一文字は、200個ほどの白熱灯(20-30ワット)で表示されている。パソコンで言えば、素朴なドット文字や絵のそれと同じだ。最近のウエブデザイナーの世界では、このドット表示が見直されているらしい。光りを組みあわせて文字や絵を表示しようというとき、方法的にはともかく、原理的には誰もが思いつく方法だ。が、原点には原点にしかないパワーがあり情熱があり、しかるがゆえの魅力があるということ。『クロイツェル・ソナタ』(1995)所収。(清水哲男)
海暮れて春星魚の目のごとし
大嶽青児
大方の魚類にはまぶたがないが、かわりにやわらかな透明の膜で覆われているため、陸に釣り上げられてからも常にきらきらと潤んで見える。とっぷりと日が暮れ、海が深い藍色から漆黒へと変わるとき、春の星がことさらやわらかに輝いて見える。それをまるで海中にいる魚たちの目のようだと感じる作者は、夜空を見上げながら魚のしなやかな感触と流線型を描いている。そして、作者の視線の先にある夜空は、豊饒の海原へと変わっていく。芭蕉の『おくの細道』冒頭の〈行く春や鳥啼魚の目は泪〉にも魚の目が登場する。映画『アリゾナ・ドリーム』で、主人公の魚に憧れる青年が「魚はなにも考えない。それは、なんでも知っているからだ」とつぶやく印象的なシーンがある。大嶽の満天に泳ぐ魚も、芭蕉の涙をためる魚も、どちらもなんでも知っている魚の、閉じられることのない目だからこそ、どこかに胸騒ぎを覚えさせるのだろう。『遠嶺』(1982)所収。(土肥あき子)
春星や紙石鹼も詩もはるか
花谷和子
紙石鹸!懐かしい。私が小学校ぐらいまで紙石鹸ってあった。湿気があるとすぐベタベタになってしまい実用的に見えて実際の用途に耐えるものではなかった。時代はいろんなものを置き去りにしてゆく。紙石鹸、セルロイドの筆箱、薬包紙、昭和30年代に日常的にあって消えてしまったものは多い。青春期に渇望に近い気持ちで読んだ詩も、今はそうした心持ちで向かうことはなくなったのか。春星と詩の取り合わせは甘やかに思えるが、はるか春星への距離と同時に二度と戻れぬ過去への時間的隔たりを「紙石鹸」という具体物で表している。紙石鹸は懐かしいが今の自分とはかかわりのないもの。あれほど繰り返し読んだ詩も今の自分からは遠い。時代は変わり人の心も変わる。失ったからこそ、郷愁はかきたてられるのだろう。『歌時計』(2013)所収。(三宅やよい)
春星へ回転木馬輪をほどく
対馬康子
永遠に回り続ける回転木馬が、輪を解くことがあるとしたら。掲句はそんな想像から始まっている。春の夜にうっとりと灯る星空こそ、回転木馬たちの帰るところなのではないかと思う気持ちに強く共感する。先週、ピエロの句を鑑賞したが、回転木馬もまた楽しいような悲しいようなもののひとつである。日本最古の回転木馬は東京としまえんにある「カルーセルエルドラド」だという。1907年ドイツの名工によって作られ、ヨーロッパ各地を巡業したあと、アメリカのコニーアイランドの遊園地に渡り、1971年としまえんにやってきたという。100年の時を駆け続ける木馬の列に、うるんだ星のまたたきがやさしく手招いているように見えてくる。馬たちが春の空へと帰ってしまう前に、ひさしぶりに乗ってみたくなった。〈春の雲けもののかたちして笑う〉〈能面の目をすり抜けて蘖ゆる〉『竟鳴』(2014)所収。(土肥あき子)
春星のめぐる夜空を時計とす
末永朱胤
歳時記の上では晩春となりましたが、掲句は、冬の名残のある初春の句でしょう。凍てついた夜空には、春の星座がくっきりと見えていて、しばらく佇んでいると、星座はゆっくりと動いているような気がします。贅沢な時計です。地球上で、一番大きな時計です。そして、デザインも美しい。空は深い色あいで、数多の星々が幾何的に結びついて、春の夜空をデザインしています。春星がめぐる天体の運行が時の経過を告げ、「時計とす」に、作者の意志が表れています。それは、高級腕時計をはめ て社会的な時間に生きることよりも、ときに、宇宙的な時間に身を委ねて、則天去私の境地に遊ばんとする意志です。俳誌「ににん」(2015年春号)所載。(小笠原高志)