第5章03
翌朝。
「……カルロスさん。カルロスさん」
誰かに肩を叩かれて目を覚ますと、目の前に護が立っている。
「ここ掃除するから部屋のベッドで寝てほしいんだけど」
「ん」
ふと見れば自分の身体の上に毛布が掛けてある。
「あのまま寝てしまったのか」と言いつつカルロスは上体を起こす。目をこすりながら「今、何時だ」
「何時でもいいやん。あっちの部屋で寝てろって」と右奥のドアを指差す。
カルロスは「ああ」と言うと毛布を持って立ち上がり、奥の部屋に入り、ドアを閉めようとして護に「本当に寝てていいのか」
「起きたいなら起きれば?」
「何か仕事があれば」
「ありません」
「そうか……」とドアを閉めるが再びドアが開く。
「なに?」
「トイレ行って来る」
護は家の掃除を終えると外に出て裏庭の野菜畑の手入れを始める。
カルロスは部屋でベッドに横になって寝ているが、苦悩の表情で溜息をつきながら何度も寝返りを打つ。
(だめだ、どうしても罪悪感に苛まれる。せっかく落ち着ける場所に来たというのに……いや、落ち着いたからこその、罪悪感か……)
毛布を頭まで被って、その中で深い溜息をつく。
(駿河は、どうなっただろう。私のせいで管理から処罰を……。黒船は大丈夫だろうか。上総も皆も、怒っているだろうな……)
横になったまま、頭を抱える。深い溜息を何度もついて「許してくれ……」と小さな声で呟く。
(お前だけ自由になるなと責められている気がする。……許してくれ、許してくれ……)
お昼になり、護はキッチンで自分の昼飯の準備を始める。
「今日の昼飯は何にするかな」
そう言って冷蔵庫の前に立つ。テーブルの上では既に妖精達が昼飯の鉱石をポリポリ食っている。
「パンがあるから野菜たっぷりのサンドイッチだ」
冷蔵庫を開けようとして、ふと気が付く。
「あ。カルロスさん、昼ご飯食べるかな」
そこでカルロスの眠る部屋の前へ行き、そっとドアを開ける。
「あの……」と言ってみるが、返事は無い。眠っているようだ。
その時、ドアの隙間から一匹の妖精がトコトコと部屋の中に入るが、護はそれに気付かず、静かにドアを閉める。
いつしか眠りに落ちたカルロスは、夢を見ていた。
周囲がよく見えない薄暗い部屋の中、背後から声がする。
『どうして行ってしまったんですか』
振り向くと、駿河が立っている。暗くて表情はよく見えない。
『何か不満があったなら言ってくれれば良かったのに』
声に刺々しさを感じて、カルロスは怖くなる。
『申し訳ない……』
『貴方に何かあれば俺が管理に責められるんですよ!人工種の使い方が悪いって。先代のティム船長みたいに、もっと厳しくしろって!』
カルロスは駿河をなだめようと『でも貴方は、あのティム船長よりも』と言いかけるが相手はその先を聞かず
『どうせ俺は立派じゃないし、皆に嫌われる事が恐くて厳しく出来ない。大体、船長経験の全く無い俺が、いきなり黒船の船長なんて、荷が重いし肩身が狭いんですよ。他船のベテラン船長に何て思われるんだろうかって。それでもティム船長に推薦されたから、その期待に応える為に頑張って黒船の船長やってるのに!』
更に怒らせてしまった事に、カルロスは壮絶な恐怖を感じて黙る。
『……』
俯くカルロスに、駿河は怒鳴る。
『貴方だけ逃亡するなんて、ずるいです!皆、苦しいのに、貴方だけ自由になるなんて!』
『申し訳ありません!』叫びながらカルロスはバッと土下座すると、必死に懇願する。
『許して下さい……!』
無言の駿河。その静寂に耐えられず、カルロスは頭を下げたまま叫ぶ。
『でも貴方が船長だったから、私は逃亡する事ができた。もしもティム船長だったなら、絶対に無理だった!』
『よかった』
思わず『えっ』と顔を上げて駿河を見る。
駿河が嬉しそうに微笑んでいるのがハッキリと見える。
カルロスの目から涙が零れる。
『よかっ……た……?』
自分の涙でふと目を覚ますと、カルロスの目の前にヘンなものがある。……あのゴツゴツした妖精の顔だ。
カルロスは手で涙を拭いつつ寝返りをうって妖精の反対側を向く。
(あれは夢。夢だけど……)
駿河の微笑みと『よかった』という言葉を思い出す。
(何が良いんだ、良い訳が無いだろう。私は責められて当然なのに。でも、なぜか、……あの微笑みが駿河の本心のような気がする。なぜ……)
深い溜息をつくと、毛布に顔を埋める。
(どうせもう、二度と会えない……)
涙が出そうになった瞬間、カルロスの後頭部に妖精がキックをぶちかます。それからカルロスの頭に乗ってポンポンとジャンプ。
(……こいつ、もしかして慰めているつもりなんだろうか……)
カルロスが渋い顔で毛布から顔を出すと、妖精はカルロスの顔の前に来て、額にゴンと頭突きをぶちかます。
「何なんだお前は……」
そう言って両手で妖精を掴もうとすると、妖精はジャンプして逃げてドアの前へ移動する。
「んん?ドアを開けて欲しいのか」
渋々起き上がったカルロスは、溜息をついて立ち上がるとドアを開け、妖精と共に部屋から出る。
リビングに入ると、護がキッチン前のテーブル横の椅子に座って本を読んでいる。
「何を読んでる」
護は本を見たまま「石図鑑」と言いつつ本をちょっと持ち上げてカルロスの方に表紙を見せる。
「俺の知らない石がいっぱい載ってて面白い。死然雲海でしか採れない石とか」
「ほぅ」
「俺、昔はこういう本を見るの好きだったんだ。でもいつの間にかイェソド鉱石しか眼中に無くなってて。採掘量、採掘量ってさぁ。ホントはもっと色んな石を採りたかった」
カルロスはテーブルを挟んで護の正面の椅子に腰掛けると
「ちなみに、向こうに戻りたいと思った事は?」
「ん?……今はもうこっちで採掘師して生きてるから戻りたいとは思わないけど、まぁ、気にはなるよね」
「そうか」
護はやっと本から顔を上げてカルロスを見る。
「ところで、何か食べる?」
「いや、水だけでいい」
「じゃあ石茶でも淹れるかな」
「石茶?」
「うん。イェソドのお茶で、有翼種がよく飲む」
立ち上がり、ヤカンに水を入れコンロにかけてお湯を沸かす。食器棚から小瓶と手のひらサイズの紅茶ポットのようなガラス容器を取り出して、小瓶の蓋を開けると中には細かい茶色の葉と小さめの石が一緒に入っている。
「この葉っぱは薬草で……名前は忘れた。石は元気石と言われるイェソド鉱石の変種だって」
ガラス容器の蓋を開けると、中に目の細かい金属製の茶こし網の篭がついている。護はスプーンで茶こし網の篭の中に茶葉と、いくつか石を入れる。
「お湯が沸いたらこれに注いで5分待って出来上がり」
「……それ人間は絶対に飲めない茶だな」
「うん。あと貴方クッキー食べる?俺が作った奴だけど」
「いや」
「実は失敗したのであまり美味くは無い」
そう言いながら護は食材が置かれた棚から小さな缶を持ってきて開ける。中にはキッチンペーパーに包まれたクッキーが数個。カルロスが若干意外そうに言う。
「お前、こういうの、よく作るのか」
「いや、前は作らなかった。何せウチの長兄が『男がスイーツ作りなんて恥だ』っていう人なので、俺もそうだった。んでも末子の透がスイーツ作りが好きで、長兄に屈する事無くスイーツ作ってさ」
護は棚からマグカップを二つ出してテーブルに置く。
「俺は透に『お前またこんなもの作って!』とか怒りながら、そのスイーツをガツガツ食っていたという」
するとカルロスが思わず「ふ」と吹き出してハハハと笑いだす。
「……そんな面白いかな」
カルロスは笑いつつ「うん。面白い兄弟だな」
「んー」護は渋い顔になると「なかなか大変だったけど」と言って、ヤカンの様子を見る。
コンロの火をちょっと強めて少しするとお湯が沸き、護はコンロの火を止めてヤカンの湯を石茶のポットに注ぐ。ポットに蓋をしヤカンをコンロの上に戻して「5分待つ」と言うとクッキーを一つ摘まんでボリボリ食べる。再び渋い顔をして「メッチャ甘い……。砂糖入れすぎた」
カルロスは護を見ながらテーブルに左肘をついて手に顎を乗せる。
「まぁ、十六夜の兄弟は一応知っているが。特に穣とかな」
「あー、なんかアンバーで一緒だったとか穣さんから聞いた」
「うん。あのハチマキ野郎なぁ。なかなか大変だった……」と辟易顔で溜息をつく。
「って、穣さんも言ってた。地獄だったって。とか言う俺も、穣さんと一緒の部屋で地獄だったんだけど」
「そうなのか?」カルロスが意外そうに護を見る。それから「……上手くやれそうだけどな」
「とんでもない」護は両手を振って全否定する。
「だって俺、長兄の腰巾着だったんだよ。穣さんとは敵対関係だよ。穣さんと透は仲良しだからこれも敵で、三男とは腰巾着ライバルだし」
「ほぉー」カルロスは唸ると「そうなのか。満と穣は知っているが、他の三人は良く知らなくて」
護は苦笑して「そうなんだよ。長兄と穣さんは凄い有名だけど、残りは空気っていう」そこでふと時計を見て「おっと、そろそろ5分だな」と言い石茶ポットを持ってマグカップに石茶を注ぎ始める。
「はい石茶」
カルロスの前に石茶を淹れたマグカップを置くと、カルロスはそれを手に取り石茶を少し口に含んで「お」と驚いた表情をする。
「これ、美味いな」
「そう?何なら俺の激甘クッキーもどうぞ」
「それは要らんが、これは美味い」
「それはってアンタ」
「いや、まぁ、じゃあちょっとだけ」
クッキーを一つ摘まんで割ろうとするが、なかなか割れない。
「貴方には割れませんよ。石のように頑固なクッキーですから」
その言葉にカルロスがまた笑い始める。
「俺が割りましょう!」
護はクッキー缶の蓋の上でクッキーをバキンと割ると「貴方に噛めるか分かりませんがどうぞ」とカルロスに差し出す。
カルロス爆笑。
護は「何でこんなに硬くなったんだろうなぁ。鉱石クッキーにするつもりは無かったのに」と言い、爆笑カルロスに「そんなに笑わなくても」
カルロスは涙目で「いや、凄い久々に、笑った!」
夕方。
木箱を吊り下げて飛んで来たターさんは、物置近くに木箱を置くと、中からパンパンに膨らんだ買い物袋をいくつか持って玄関に回り、何やら笑い声がする家の中へ。
「ただいま」
見ればキッチンで料理をしている護の隣でカルロスが爆笑している。護がターさんを見る。
「おかえりターさん」
ターさんはカルロスを指差して「何で笑ってんの?」
「知らん。勝手に笑ってる」
カルロスは爆笑しながら「野菜、切り過ぎだ!」
見れば丸いザルの中に切った野菜が山盛り。
「いいんだよ俺が食うから!」
ターさんは二人に近づきながら「なになに」
護はカルロスを指差して「この人と話しながら切ってたら、こんななった。今日は野菜炒めと野菜スープとサラダで行く」と言いカルロスに「アンタも食べろよ!」
「要らん!」
「ったく俺のクッキーも料理も食べないとは」
するとターさんが「あのクッキーはダメだよね」
「……」
渋い顔の護を見てまた笑うカルロス。
暫し後、テーブルには野菜尽くしの料理が並んでいる。
護は「いただきます!」と言ってパクパクと食べ始める。
「よし、普通に美味しいぞ!」
ターさんは野菜炒めを食べつつ「キャベツだらけだけどね」と言うと護に「今日さ、役所でカルロスさんの事を話して来たよ。そしたら実際に本人と会ってから街に入れるかどうか決めるって」
「じゃあ……あら」
カルロスに話をしようとソファの方を向くと、カルロスはソファの背もたれに寄り掛かったままスヤスヤと寝ている。
「笑い疲れたのかな」
「え」
護はカルロスを指差して「今日は何か知らんが爆笑しまくってた」