杉並区 09 (07/04/24) 旧井荻町 (井荻村) 旧上荻窪村 (1) 団子山 / 関根 / 出山
旧上荻窪村
小名 団子山 (だんごやま) [→小字丸山の一部→西荻窪2~3丁目の一部→現在の西荻北三丁目 (東半分)]
- 西荻窪駅
- 伏見神社、伏見通り
- 北銀座通り
小名 出山 (でやま) [→小字出山/小字丸山→上荻窪一丁目の一部/西荻窪2~3丁目の一部→西荻北1~3丁目]
- 城山 (しろやま)、七つ井戸
- 善福寺川、関根橋、丸山橋、城山橋、鍜治橋、出山橋、神明橋、置田橋、本村橋
- 関根前 (せきねまえ)、佛乗寺
小名 関根 (せきね) [→小字関根→関根町→上荻一丁目の一部]
- 関根橋
- 関根文化公園
- 団子山
旧上荻窪村
中世には上荻窪村と下荻窪村は一つの村だった。鎌倉室町時代は、北条氏、上杉氏、又はその家臣の領地、更に豊島氏領地となり、その後、江戸氏、小田原北条氏の家臣の支配を受けていた。
1664年 (寛文4年) に開墾された新田検地が行われ、上荻窪村石高の75%にあたる新田は幕府直轄の天領となっている。
小名 団子山 (だんごやま) [→小字丸山の一部→西荻窪2~3丁目の一部→現在の西荻北三丁目 (東半分)]
明治時代の小名団子山の集落は1ヶ所で小さな集落だった。多分、民家も数軒だけだっただろう。1922年 (大正11年) の西荻窪駅の開通1925年 (大正14年) から1935年 (昭和10年) までに行われた区画整理事業、1923年 (大正12年) の関東大震災後、東京市内より移住者が急増した事で、団子山の地域も駅の北側に民家が増えている。戦後にはほぼ全域が住宅地に変貌している。
西荻窪駅
江戸時代の小名 団子山の南端にはJR東日本中央本線 (明治時代は甲武鉄道) の西荻窪駅がある。1922年 (大正11年) に、当時の井荻村村長の内田秀五郎を中心に地元有志により新駅誘致運動が行われた結果、旧荻窪村ニッ塚の敷地が寄付され、鉄道省の新駅が設置された。開業当時は、畑の中に一軒家の西荻窪駅があるだけだった。1923年 (大正12年) の関東大震災後、東京市内より移住者が急増し、特にサラリーマン、軍人、教員、画家、小説家などの知識階級の人が多く、昭和初年には「西荻の文化村」の愛称で呼ばれた程だった。(写真上は北口、下は南口)
伏見神社、伏見通り
西荻窪駅の北には西荻伏見通りの商店街がある。
1951年 (昭和26年) に、商店街の十数店商が、「商売繁盛」「家内安全」を祈願して、京都の伏見稲荷大明神を勧請し、商店街の中心に「伏見稲荷神社」を創建している。現在でも、商店街の守護神的存在で、毎年2月に「初午祭」を行い厚く信仰されている。
北銀座通り
西荻窪駅から北に延びる大通りも商店街になっている。この商店街の歴も古く、大正10年に当時の井荻村村長内田秀五郎が地主の協力で、善福寺川との間に北銀座通りを整備している。その翌年に西荻窪駅が開業している。この西荻窪駅は内田秀五郎が中心となって誘致活動の結果設置されたのだが、この商店街の開発はその活動戦略の一部だったのだろう。
小名 出山 (でやま) [→小字出山/小字丸山→上荻窪一丁目の一部/西荻窪2~3丁目の一部→西荻北1~3丁目]
江戸時代から明治時代にかけての小名出山の集落は出山の南境界線だった街道沿いにと丸山地域に見られるが、何も小規模なものだった。1922年 (大正11年) の西荻窪駅の開通1925年 (大正14年) から1935年 (昭和10年) までに行われた区画整理事業、1923年 (大正12年) の関東大震災後、東京市内より移住者が急増した事で、出山の地域も西荻窪駅の北側、特に丸山地域に民家が増えている。戦後は旧小名出山の南半分は民家で覆われ、1960年代にはほぼ全域に住宅街が拡大している。
城山 (しろやま)、七つ井戸
西荻図書館の前に城山、七つ井戸の案内板が置かれている。西荻図書館から西、善福寺川に沿った西荻北二丁目 34~37番は戦前までは城山と呼ばれていた。城山と呼ばれた由来は諸説ある。荻窪八幡神社によれば、後冷泉天皇の時代、1051年 (永承6年) に、源頼義が奥州下向の際にこの付近に布陣、戦場から凱旋した1062年 (康平5年) に八幡神社で祈願成就のお礼の祭事を行い、部将をとどめて永く祀らせた場所だったとしている。別の説では、八幡神社を祀っていた人物の屋敷があった場所という。善福寺川から暗渠の水路が城山の下を通っていた。城山の南側にはその水路沿いに井戸が七つ一列に等間隔に並んでいた。耕作地の水車を動かすのに必要な落差を得るため、城山下にトンネルを掘った名残で、井戸はその掃除口と考えられている。明治後期頃には放置されて、杉や松等の密生する雑木林になっていたそうだ。この井戸は七ツ井戸と呼ばれ、土地の人々からは近付くことも恐れられていた。1922年 (大正11年) に西荻窪駅の開設され、昭和初期に区画整理が行われて、七ツ井戸は埋められ消滅している。現在では住宅地や公共施設のある地域となっている。
善福寺川、関根橋、丸山橋、城山橋、中田橋、鍜治橋、出山橋、神明橋、置田橋、本村橋
- 関根は善福寺川の北側の小名だった。荻窪八幡神社の神官だった小俣家の屋号が関根で、その一帯は小俣家の所有地だったことから小名の名となり、橋の名として残っている。(後述)
- 丸山は丸山橋の南側、城山は丸山を含み善福寺川の南側で東は西荻図書館辺りまでだった。一つの資料ではこの丸山は江戸時代のある時期は独立した小名だったとされている。(1889年 [明治22年] に分割されて小字出山と小名団子山を含めて井荻村大字上荻窪小字丸山となっている。) 別の資料では、明治22年に出山と団子山が一緒になり丸山になったとも書かれている。丸山の地名の由来は不詳だが、この地の台地を城山と呼んでいたので、城の本丸から丸山と呼ばれたのではないかともいう。ここでいう城とは江戸時代に上荻窪の一部を拝領した鵜飼政長の屋敷の事で、それが小名丸山の城山にあったとも推定されている。
- 鍜治橋はもともとは「かち橋」と呼ばれていた。上荻窪村は伊貿同心の領地で同心や足軽の徒侍 (かちざむらい) が住んでいた。この「かち」が何時しか鍜治と変化してこの橋の名になっている。
- 出山橋の出山は善福寺川の南側の小名で、現在訪れている場所
- 神明は神明橋の道を南に進んだ小名伊勢前にある神明天祖神社から神明橋と名付けられている。
- 置田は昔、線路の西側には水車小屋があり、そこに住んでい た上荻窪村の名主・平井家のお婆さんが、北側にある宇田川家 (後日訪問) のことを「お北さん」と呼んでいたことがいつしか橋名に転じて「おきたはし」となり、置田の字が当てられたといわれている。本村は下荻窪村の名主の宇田川家の屋号が本村 (ほむら) といったことから本村橋 (ほんむらばし) になっている。
関根前 (せきねまえ)、佛乗寺
丸山/城山の南側は昭和初期までは関根前と呼ばれた地域だった。城山を含めこの地一帯を所有していたのが、八幡神社の神官をつとめる小俣家で、その屋号が関根だった事からこのように呼ばれていた。この中に日蓮正宗の本尊 十界互具大曼荼羅板本尊とする向陽山佛乗寺が昭和38年に創建されている。一見民家と思われる寺院だった。
小名 関根 (せきね) [→小字関根→関根町→上荻一丁目の一部]
江戸時代から明治時代にかけての小名関根の集落は地域のほぼ中心地に一つあるだけだった。戦前は団子山や出山は西荻窪駅が開通した事によって民家が増えているのだが、この関根は明治時代と変わっていない。北の青梅街道沿いも民家が増えているのだが、この関根は取り残された地域だった。人口と民家が増えていくのは戦後になる。現在では地域全土が住宅で覆われている。
旧小名 関戸にも江戸時代/明治時代の寺社仏閣や民間信仰の塔など史跡は見当たらない。今まで巡った杉並区の地域でも史跡がかなり少ない。練馬区には各地域に鎮守社や石塔が必ずあった事と大きく異なる。江戸時代の杉並が特殊だったとは考えにくいので、何らかの背景が理由にあると思える。幾つかの推論は浮かぶのだが、それはこれ以降他の地域も巡り、どこかで専門家に確認しようと思う。
関根橋
出山の西の端、旧小名団子山との境は西荻窪駅から北銀座通りが北に伸びて善福寺川には関根橋が架かっている。1922年 (大正11年) に西荻窪駅が開業する前年の1923年 (大正10年) に北銀座通りができ、その時に関根橋もその時に架けられている。小名関根への橋という事でこう呼ばれたのだろう。
団子山
関根橋を北に渡り、道を進むとスーパーのライフがある。この辺りが昭和初期迄は団子山と呼ばれていた。その由来は不明だそうだが、小名団子山と関連があるのだろう。
関根文化公園
杉並区内の公園は半分以上が善福寺川沿いにある。現在の杉並区の公園面積は2.07m2/人では長期的目標は5m2/人だそうだ。先日訪れた沖縄県北谷町では14.4m2/人 (沖縄平均7.18m2/人) なので桁が違う。やはり東京は土地確保が大変なのだろう。
この様な中、この関根文化公園は、地域住民の悩みだった善福寺川氾濫水害対策計画が実行される事になった。この関根文化公園、原寺分橋付近、都立善福寺川緑地に取水施設や管理棟も建設し、善福寺川沿いに地下トンネルを通し、善福寺川増水時に水をトンネルを通し流す予定になっている。計画の一部は工事が進んでいる。この工事関根文化公園は無くなってしまう様だ。民家の立ち退きも計画にあり、住民は反対運動を行なっているが、どうなるのだろう?
団子山、出山、関根の訪問ログ
参考文献
- すぎなみの地域史 3 井荻 令和元年度企画展 (2019 杉並区立郷土博物館)
- すぎなみの散歩道 62年度版 (1988杉並区教育委員会)
- 井草のむかし (2019 井口昭英)
- 文化財シリーズ 19 杉並の地名(1978 杉並区教育委員会)
- 文化財シリーズ 36 杉並の石仏と石塔(1991 杉並区教育委員会)
- 文化財シリーズ 37 杉並の通称地名 (1992 杉並区教育委員会)
- 杉並区の歴史 東京ふる里文庫 12 (1978 杉並郷土史会)
- 杉並 まちの形成史 (1992 寺下浩二)
- 東京史跡ガイド 15 杉並区史跡散歩 (1992 大谷光男嗣永芳照)
- 杉並区石物シリーズ 1 杉並区の庚申塔
- 杉並区石物シリーズ 2 杉並区の地蔵菩薩
- 杉並区石物シリーズ 3 杉並区の如来・菩薩等
- 杉並郷土史叢書 1 杉並区史探訪 (1977 森 泰樹)
- 杉並郷土史叢書 2 杉並歴史探訪 (1977 森泰樹)
- 杉並郷土史叢書 3 杉並風土記 上巻 (1977 森泰樹)
- 杉並郷土史叢書 4 杉並の伝説と方言(1980 森泰樹)