山岳信仰
https://book.asahi.com/jinbun/article/14458489 【日本固有の山岳信仰はどのようにして日本の諸宗教と習合して修験道になっていったか】より
山伏で知られる修験道は、近年、一般人も修行を体験できるようになり、注目度もあがっている。この修験道は、日本固有の山岳信仰を端とし、シャーマニズム・神道・仏教・道教・陰陽道・儒教などを習合してでき、これら諸宗教にも影響をもたらしたものである。その習合の歴史の一端を、宮家準・慶應義塾大学名誉教授の『修験道――日本の諸宗教との習合』から紹介したい。
日本人と山
日本では、関東平野などの一部は別として、見渡せば何かしらの山が見えるところが大半であろう。それほど日本の人々にとっては、山は身近な存在であるといえる。しかし、一部の山は私たちを温かく包み込むような「ふるさと」ではなく、精霊や神々が棲む聖地であり、死霊が浄化された祖神が棲む、異世界であった。そのため、古代の人々の山に対する接し方には二種類あった。一つは、麓の里からあがめる態度であり、もう一つが、あえて山に踏み入り、祖神や神々の力を得るという態度である。後者が修験道であり、「修験」とは、山に入り、験力をえて効験をあらわすことを意味する。
古代(奈良~平安)
葛城山の役小角(えんのおづぬ)は修験道の開祖に仮託されている。『続日本紀』には、鬼神を使役することや、伊豆に配流された話が残されている。葛城山は朝鮮半島から多くの帰化人を迎え入れた葛城氏の治めていた地であり、役小角の伝承には、不老不死となり神通力を得るために山岳で修行する道教や北方シャーマニズム、雑密などの影響が窺える。
奈良時代には、仏教は朝廷の管理下に置かれ、都では南都六宗と呼ばれる学問仏教が盛行した。一方で、山林修行を行う私度僧の活動も盛んであり、その流れは、平安仏教を代表する比叡山の最澄と高野山の空海へとつながっている。
平安時代には政争に敗れた人物の祟りを恐れ、その恨みを鎮める御霊会が流行した。特に恐れられた人物が北野天神として祀られた菅原道真である。他界で道真に会い、相次ぐ天変地異や疫病の原因が自身の怨念であることを直接聞いたのも、また道真の政敵である藤原時平の病気平癒の祈禱をしたのも、どちらも山岳修行で験力を得た人物であった。さらには陰陽道と関わりのある、牛頭天王を祀る祇園社の信仰の普及にも修験者の前身の験者が大きな役割を果たしている。
また院政期に弥勒信仰や浄土信仰が広まると、弥勒が将来救済に降りてくる地とされた吉野の金峰山への御岳詣や、阿弥陀の浄土とされる本宮のある熊野詣などが盛んになったが、これらも後に修験の霊山となっている。
中世(鎌倉~室町)
鎌倉時代には役小角の伝記が編まれて修験道が成立していく。金峰山と熊野も発展を続け、室町時代には教義や峰入作法も定まって、室町期に修験道が確立することになる。修験者が先達をつとめ、地方の人々を案内するネットワークもつくられていき、その動きは伊勢神宮など他の大社・大寺にも波及していった。
注目すべきことは、鎌倉新仏教の祖師たちも、このような修験道の影響を受けていたことである。
法然は美作の菩提寺、一遍は伊予の岩屋山、栄西は備中の安養寺や伯耆の大山寺、道元は白山の越前馬場近くの永平寺、日蓮は安房の清澄寺というように修験の影響が見られる霊山の寺で修行している。……その後の教団形成の過程においても、浄土真宗では蓮如が白山・石動山・熊野の阿弥陀信仰をとり入れ、時宗は熊野信仰や善光寺如来の信仰と関連づけて教線をのばしている。
本書、274頁
近世~近代
江戸時代には幕府の統制の下、山伏は天台宗の本山派と真言宗の当山派に所属することになり、教義書の刊行や儀軌の整理が行われた。中期には庶民の霊山登拝が盛んになり、御師や里修験が盛行し、古来の霊山なかんずく、富士山や木曽御嶽には多くの登拝者が訪れた。富士山の富士講、木曽御嶽の御嶽講は教派神道の母胎となり、幕末期の天理教、金光教などは里修験の影響を受けている。
明治時代には、修験宗が廃止され、天台・真言の仏教教団に属したが、中期には各霊山の講も復活し、戦後にはそれぞれ教団として独立し、現在も活動を続けている。
以上、歴史に沿って修験道と諸宗教の習合を簡略に見てみたが、私たちの想像以上に修験道が日本の文化・宗教と深く関わってきたことがわかると思う。このような修験道の習合の歴史を学ぶ意義について、最後に本書からの引用で締めくくりたいと思う。
本書を通じて読者各位が日本の典型的な民俗宗教である修験道が他の諸宗教とのかかわりをもち、その成立、展開に必要な要素を摂取して習合させてきた経緯や、逆に影響を与えたことについてお知りいただけたら幸せである。このことは日本人が自己の生活にとってもっとも必要とする宗教がどのようなものであるかを理解するよすがとなると考えられるからである。
本書「序」viii
この本を書いた人
宮家準(みやけ・ひとし)
1933年、東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。文学博士。慶應義塾大学教授を経て、現在、同大学名誉教授。元日本宗教学会会長、日本山岳修験学会名誉会長。主著に『修験道儀礼の研究』・『修験道思想の研究』・『修験道組織の研究』(いずれも春秋社)、『生活のなかの宗教』(日本放送出版協会)、『日本の民俗宗教』・『修験道――その歴史と修行』(講談社)、『宗教民俗学』(東京大学出版会)、『日本宗教の構造』(慶應通信)などがある。
https://moriwork.jp/column/1961/ 【山で生活する人の信仰や言い伝えについて】より
山で生活する人々には、言い伝えや地域の神社等の伝統を大切にしています。日本人が生活の中で培ってきた伝統に触れてみてください。
山岳信仰について
日本の山岳信仰は、古くから山々に宿る神様や霊験あらたかな霊地に対して、敬意を払い、信仰を寄せる信仰のひとつです。山々は、古来より日本人にとって神聖な場所であり、山岳信仰はその山々に宿る神様や霊を崇める信仰として、広く日本の文化に根付いています。
山岳信仰の代表的な神様には、日本各地に存在する「山の神様(やまのかみさま)」があります。山の神様は、山や自然を司る神様であり、山岳信仰の中心的な存在となっています。また、山や自然を象徴する「熊野信仰」や「お山の神様」、「十二様信仰」など、地域や時代によって様々な山岳信仰が存在しています。
山岳信仰は、山岳地帯において特に強く根付いています。日本には山々が多く、その山々には多くの神様が宿っているとされており、山を崇める信仰は、古来より日本人にとって大切な文化であったと言えます。また、山岳信仰は、自然環境と共生するという、日本人独自の考え方や価値観を表しているともいわれています。
山の神に関する言い伝え
山には神が宿ると信じられており、日本の各地には多くの山の神が祀られています。以下には、山の神に関する代表的な言い伝えをいくつか紹介します。
「山には神が宿る」 日本の古来からの信仰では、自然界には神が宿るとされています。特に、山は高くそびえる存在であり、その頂上には神が宿ると考えられてきました。このため、山は古くから信仰の対象となり、多くの神社が山中に建てられてきました。
「山の神は自然を司る」 山の神は、山の自然を司るとされています。山は自然が生み出した壮大な景観であり、自然災害や天候の変化など、多くの自然現象が起こりやすい場所でもあります。そのため、山の神は、自然を保護し、人々に平和な生活をもたらす役割を担っていると考えられています。
「山の神は厳格である」 山の神は、山そのものが厳しい環境であるため、厳格な性格を持つとされています。そのため、山に登る際には、山の神に対して敬意を払い、山の自然を大切にすることが求められます。また、自然に対して無神経な態度をとると、山の神からの厳しい試練が与えられるとも言われています。
「山の神は神秘的である」 山の神は、自然に囲まれた神秘的な場所に祀られているため、神秘的な力を持つとも言われています。また、山には霊気や気場など、人間の五感では感じられないものがあるとされており、山の神にはそのような力があると考えられています。
「山の神は人を守る」 山の神は、山に生きる動植物だけでなく、登山者や山で暮らす人々も守るとされています。山の神への信仰は、山に挑戦する人々にとって、自然災害や山岳事故から身を守るための一つの手段となってきました。
十二様信仰
十二様信仰は、日本の古い信仰のひとつで、特に日本の山岳地帯に伝承されている信仰です。この信仰は、山々に宿るとされる「十二柱の神様」に対しての信仰であり、これらの神々に敬意を払い、祈りを捧げることで山の神々に加護を受けることができるとされています。
具体的には、十二柱の神様にはそれぞれ名前があり、それぞれが山の特定の場所に宿っているとされています。たとえば、「菅原明神」は、京都市内にある菅原寺に祀られており、山伏たちによって祀られています。「熊野大明神」は、紀伊半島の熊野市にある熊野速玉大社に祀られており、多くの信仰を集めています。
十二様信仰は、山岳地帯に暮らす人々にとって、山を信仰する文化として、古くから根付いているものです。また、十二様信仰には、山々に暮らす動植物たちに感謝するという側面もあり、自然と共存する精神を表しているとされています。
杣人の言い伝え
日本の伝統文化において、木を切る職人や伐採作業を行う人々は「杣人(そまんと)」と呼ばれます。杣人たちは、以下のような言い伝えを守ってきました。
木を切る前に神に祈る 木を切る前には、その木が守ってきた神様にお詫びをするために、神に祈りを捧げることがあります。また、その木を切っていいかどうかを神に問いかけることもあります。
神社のお祓いを受ける 木を切る際には、神社のお祓いを受けることがあります。このお祓いにより、木から宿っていた魂を無事に送り届け、木を切ることによって生じる悪い影響を回避することができると信じられています。
毎年、新しい斧を作る 杣人たちは、木を切る際には斧を使用します。斧は鋭利な刃を持つため、使い続けると切れ味が悪くなってしまいます。そのため、毎年新しい斧を作り、常に最高の状態で仕事を行うことが求められます。
節目ごとに祝いの行事を行う 木を切る際には、特定の節目には祝いの行事を行うことがあります。たとえば、新しい鎌を手に入れた際や、木を切り終えた際には、神社にお参りして感謝の気持ちを表します。
木の精霊に感謝する 杣人たちは、木を切ることによって得られる木材に感謝すると同時に、木に宿る精霊にも感謝の気持ちを表します。このような姿勢は、自然との共存を尊重する精神を表しています。
斧をよきと呼ぶわけ
「斧をよきと呼ぶ」という言葉は、日本の伝統文化や風習に関する言葉の一つで、斧は木材を切り出すための道具であり、それをよく使いこなす職人や人々は重要な役割を担っていました。そのため、「斧をよき(善き)と呼ぶ」という言葉が生まれました。
この言葉には、木材を切り出すための道具である斧には、その大きさや形状、扱い方次第で、作業の効率や品質に大きな影響を与えるという意味が込められています。斧は、木材を切り出すための労働を行う人々にとって、欠かすことのできない重要な道具であったことから、その扱い方や使い方には非常に慎重な注意が払われていました。
また、「斧をよきと呼ぶ」という言葉には、職人や人々が、自分たちの仕事に真摯に向き合い、その道具に敬意を払っていたことを表しています。この言葉には、道具を大切に扱い、真剣に仕事に向き合うことが重要であるという、一種の職人魂を表す意味も込められています。
「ヨキ」には三本と四本の線が刻まれていて信仰的な意味があり、三本→「ミキ」といって「神酒」を表しています。
四本→「ヨキ」で「四気」または「四大」を表します。「四気」とは太陽・土・水・空気で木を育てる気のことです。「四大」とは地水火風のことです。
伐採する前に斧を木に立てかけて山の神様が与えた樹木を使わせて頂くことへの感謝と伐採許可や作業の安全を祈るそうです。
マタギの言い伝え
マタギとは、日本の山に住む動物を狩る狩猟民のことを指します。彼らには多くの言い伝えがありますが、代表的なものを以下に紹介します。
「山に入る前に神様に挨拶をする」 マタギは山に入る前に、山の神様に挨拶をします。彼らにとって山は生命力に満ちた神聖な場所であり、神様に感謝の気持ちを示すことが大切だとされています。
「狩りの時は動物に感謝する」 マタギは狩りをする際、必要な分だけの動物を狩るように心がけます。また、動物に感謝の気持ちを示し、生命力をもらっていることを忘れないようにしています。そのため、マタギたちは狩った動物を食べる前に必ず感謝の言葉を述べます。
「不用意な言動は禁物」 マタギは、山の動物たちとともに生きるために、自然との調和を大切にします。そのため、不用意な言動をすることは禁物であり、自然を敬い、謙虚であることが求められます。
「狩りの際は敵になる」 マタギは、山に生息する動物たちが自分たちの敵であると考えています。そのため、彼らは常に状況を見極め、自分たちの命を守るために最善を尽くします。
「山は大切な財産」 マタギたちは、山が自分たちの生活や文化に欠かせない財産であると考えています。そのため、山を守り、維持することが彼らの使命であるとされています。