仏教と「山」
https://www.e-butsudan.com/guide/1778/ 【仏教と「山」~山岳信仰と仏壇の関係】より
山岳信仰と仏壇について
山岳信仰とは、山を神聖なものとして崇拝する信仰の形です。世界各地の山岳地帯で多く見られる山岳信仰ですが、日本では仏教や神道などと融合し、独特の発展を遂げました。仏教は教義の中で世界の中心に「須弥山(しゅみせん)」という聖山があるとしています。仏を祀る壇を山に見立て、出家して仏道を追求する場として山中に多く寺院を建てるなど、山という存在と濃いつながりを持ち続けてきました。
(略)
日本の山岳信仰と修験道
山は、古来より世界各地で最も原始的な信仰対象のひとつであり続けてきました。火山などの脅威、人の立ち入りを阻む険しさ、雄大な姿などが昔の人々に尊敬と共に畏怖を与えるものであったことは、現代の私たちにとっても想像に難くありません。特に内陸部に居住する人々にとって山は、太古から水や食料、そして住居の資材など、計り知れない恵みを与えてくれる存在でした。そのような理由から、感謝と崇敬、ひいては信仰の対象となったのです。
国土の約七割を山地が占める日本でも、古くより神道的宗教観の中において、山を霊的なものとして崇める信仰が存在してきました。仏教が伝来して以降は殊に、日本独自の山岳信仰の形が各地で発展を遂げることとなりました。その代表的なものが、日本古来の山岳信仰と仏教などが融合した「修験道」です。「山」という俗世から離れた場で修行をして、悟りの道を開くという修験道の教えは、今日でも日本各地にある霊山やその土地の神社や寺に受け継がれ、実践されています。
仏教における「山」~須弥山と須弥壇とは何か
山岳信仰と仏教、山岳信仰と仏壇の関係について見てみましょう。仏教の宇宙観の中で、世界の中心にあり神の領域に最も近い聖なる山を「須弥山(しゅみせん)」と言い、私たち人間の住む世界は、須弥山のふもとにある島のひとつとされています。仏教において「山」が一種特別な領域と考えられているのは、この須弥山の存在が大きいとも言えるでしょう。その須弥山を模し、寺院の本殿などで仏を祀るために作られた舞台のような壇が「須弥壇(しゅみだん)」です。
須弥壇は主に木製ですが、たいていの場合、極楽浄土を思わせる輝かしく精緻な装飾が施されています。形は円形、四角形、八角形などさまざまです。もともと「仏壇」とは、須弥壇そのものを指す言葉でした。しかし今日では、寺院で仏像を祀る大型のものを須弥壇、家庭の中で仏を祀るために置く小型のものを仏壇と、区別して呼ぶようになりました。
家庭用の仏壇の中はたいてい三段構造になっており、中でも仏を祀る一番高くなった部分のことは特に須弥壇と呼ばれます。
寺院の名に見られる山岳信仰の影響
日本の仏教寺院の中には「○○山□□寺」という名前を持つものが多くあります。この「○○山」の部分のことを山号と言います。平安時代以降、天台宗、真言宗が盛んになり、出家の場として、比叡山、高野山など人里離れた山中に寺院が建てられるようになりました。
古くから亡くなった人の魂がのぼってゆく場所、俗世から隔絶された清浄な場所と見なされ、信仰対象となっていた山々は、仏道の修行場としてもふさわしい場所とされたのです。その思想をさらに突き詰めて追求するようになったのが、前に述べた修験道です。鎌倉時代、禅宗が日本に伝えられてから、瑞竜山南禅寺、巨福山建長寺など、山号を使った寺院は数多く見られるようになってきました。次第に、山中だけでなく平地に建てられる寺院の名にも、そこが仏道の修行の場であるという意味をこめて山号が名付けられるようになりました。寺院の門を「山門」と呼称する習慣も、その寺が仏道を追求する山に等しい場であることを象徴しています。また、その宗派の中で指導的な役割にある寺院を「本山(総本山)」と称することなどからも、仏教の中で山というものがやはり特別な意味を持った領域であることがわかります。
修験道の聖地・出羽三山と山形仏壇
今なお日本国内で最も山岳信仰の盛んな地のひとつが「出羽三山」です。出羽三山とは、山形県のほぼ中央に位置する月山、羽黒山、湯殿山の三山を総じて呼ぶ名称です。古くから修験道の聖地として信仰を集めた三山は、明治政府による神仏分離がおこなわれる前までは神仏習合の山として、大勢の修験者が修行をおこなう場として栄えてきました。現在は神社の管轄下に置かれていますが、神道的な山岳信仰と仏教を混合した修験道の精神は受け継がれています。今でも寺社に所属する本格的な修験者から、修験道を一部でも体験してみたいと望む人まで、多くの人を受け入れる霊山となっています。
そんな出羽三山を擁する山形県では、古くから漆工業が盛んで良質な木材の生産地であったこと、紅花の取り引きを通じて京との文化交流があったことから、高い職人技術が培われてきました。そして江戸時代中期、星野吉兵衛という職人が江戸で学んだ木彫りの技術を山形へ持ち込み、欄間・仏具の製作をおこなったことで、山形における仏壇製作がはじまります。三山への篤い信仰のある山形で、仏壇産業は発展を遂げることになりました。
地元産の素材を用い独自の工程で製作される「山形仏壇」は、1980年には通商産業省(当時)から伝統的工芸品に指定されました。伝統だけに縛られることなく、現代人のライフスタイルに寄り添うさまざまなスタイルの仏壇を作り続けています。
中には出羽三山の山中から採られた木材を使用して作られた仏壇もあり、三山の恵みは人の心だけでなく地場産業にとっても大きな支えになっていると言えるでしょう。
まとめ
山岳信仰は古代より日本人の中に深く根付いた信仰です。同じく「山」というものを神聖なものとする仏教と共に、日本人の精神文化の発展に大きな影響を与えてきたと言えるでしょう。
仏壇の中に表現されている山について知ることで、先祖や先人の思い、また歴史・文化の広がりに思いを馳せるきっかけとなれば幸いです。
仏壇のことに関して疑問やお悩みのことがありましたら、ぜひ気軽にお問い合わせください。
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7335471?categoryIds=5808232 【田の神祭り】
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1201 【山の宗教を丁寧に読み解く 『日本人と山の宗教』】より
山の宗教が語られるとき、多くの人は、山林修行者たちが社会と隔絶した深山で厳しい修行を積み、時代が下がるにつれ、便宜上、麓に拠点を移してきたというイメージをもっているのではないだろうか。しかし、本書では、山と人々の集落の境目にある山麓こそが拠点であり、政治や社会と深くつながりながら活動していたという。
また、山の宗教の代表格といえる修験道は、これまで、日本固有の信仰に大陸から伝わった宗教を取り込んで成立したという意見が主流だった。しかし、本書では、仏教の戒律があってこそ成り立ったと独自の見解を説く。
こうした既存の論説に囚われない考察を可能にしているのが、古代、中世、近世と時代を追って仏教界内部や政治などの時代背景とさまざまな事例を丁寧に照らし合わせていることだ。そのため、とても説得力がある。
なかでも興味深かったのが、山の神々を恐れ奉ることしかなかった古代、修験道の開祖、役行者は、密教教典にある呪法を使って葛城の山神ヒトコトヌシを従わせるのだが、その呪法とは「経典にある何某という鬼神であろう」と名付けることだったという考察だ。
文字の発達や文字による仏教の伝承は、当時の思考変化を劇的に促し、世界をひっくり返したに違いない。名付けるということは、正体を見破ることであり、それまで受動的だった山の神々との関わり方が、能動に転じた大事件だったというのだ。
日本人と山、そしてそこで培われた宗教の歴史を総合解釈する本書を読み込めば、読者ひとりひとりが「何故、山にひかれるか」をも気づかせてくれるかもしれない。
Facebook持田 博行さん投稿記事
昨日、東本願寺でKYOTOGRAPHIEが新たに立ち上げた音楽フェス「KYOTOPHONIE」のプログラムとして、ブラジル・アマゾンの先住民族・ヤノマミ族のリーダー、ダヴィ・コペナワさんのお話があったのだけど、そのダヴィさんのメッセージが想像を遥かに超えるほどに本当に良かったです。
今も尚アマゾンの森の中で原始的な暮らしを続けているヤノマミ族。その酋長でありシャーマン(森の薬草などを使って医療的行為を行う人)でもある方が目の前にいるという奇跡にも近い状況がまずもってあって、その人の肉声を生で聞くという普通に考えたら有り得ないような状況が目の前で起きていて、彼らの暮らしを映し出す写真とダヴィさんの紡ぎ出す声とメッセージによって、時空を超えたような感覚になっていきました。
話を聞くまでは、写真を見てその暮らしぶりを容易に想像してみたり、きっとアマゾンではこんなことが起きているのだろうと、どこか話を先読みして勝手にイメージしている自分がいて、でも、彼の話を生で聞いていると、彼の細胞の中にある記憶とか、もしくは脳内にある思考の断片とか、はたまた魂に秘めたる思いとか、そういった細胞レベル、遺伝子レベルの何かが声の振動や空間の振動、思考の振動によってこちらに伝わってくる、そんな感覚に陥っていきました。
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【彼のメッセージを少し記したいと思います】
私たちは山の人であり森の人です。自然とともに生き、自然の一部です。自然が私たちを守ってくれ、そして私たちも自然を守っています。私たちは食べ物を買うことはありません。
水を買うこともありません。何かをお金で買うことがありません。すべて自然が与えてくれます。人間は「お金」というものを生み出したことによって、すべてを「お金」で考えて「お金」のために生きるようになりました。お金のために自然を破壊し、お金のために争うようになりました。私たちの森も例外ではありません。
森は切り開かれ、違法な金採掘者たちによって土地を荒らされ、彼らの使う水銀によって水も身体も汚されました。彼らはお金がなければ生きていけないような社会を生み出しました。
けれど本当にお金だけが必要でしょうか?
自然は偉大です。
すべてを与えてくれます。
非先住民(近代人)は常に新しいものを求め、常に変化を求め、常にないものを求めています。
私たち先住民は太古の昔から受け継ぐ森を守り、文化を守り、あるものに感謝をして暮らしています。
私は今日、私たちのこうした暮らしや本来の人間の暮らし、大切な思いを伝えるためにここにやってきました。
金銭的な援助がほしくてここに来たわけではありません。
私たちの森と私たちの暮らしのことを知り、一緒に守ってくれる仲間を求めています。
私の話を聞くことによって、みなさんが何かを感じとり、共に行動をしてくれるきっかけになれば非常に嬉しいです。
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今週末、4月20日(土)にはありがたいことに、アースデイ in 京都のオープニングイベントでもダヴィ・コペナワさんがお話をしてくれることになりました。
東本願寺では50分ほどのトークでしたが、4/20は90分のスペシャル版です。
会場はQUESTION、入場無料です。すべての人に聞いてほしいメッセージです。
またとないこの機会をお聞き逃しなく!