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『ミち』

高橋慎太郎

2018.11.25 01:46

秋の花火大会は、始まるのも早ければ、終わるのも早い。もちろん夏に比べてだけれど。


寝ぼけながら見ていた夢は、終点を折り返して自宅の最寄り駅に近づく前に電車から滑り落ちていた。足元にコーラの跡はなく、きっと私が寝ている間に駅員さんが拭き取ってくれたんだろう。

今日は花火大会。だけれど家のベランダからは見れなかったなー。

コーラのボトルを寝たまま器用に握っていたサラリーマンも、いつしか姿を消している。きっとだいぶ時間が経ったんだろうと思って携帯を覗くと、まだ一時間余りしか経っていなかった。

すごく深いうたた寝の割には、案外短い時間しか経っていなかったりする。そういう時は、気分が最高に晴れやかになっていることが大半だけれど、今はそうじゃないな。


やっぱりまだ心の何処かに引っかかっている。母の文字と、知らない恋人。


花火大会は盛況に終わったらしく、帰宅を待つ人々の群れが駅のホームに押し寄せていた。名前も知らないこんなにたくさんの人が花火を見にいって、そして帰ってくる。ただそれだけのことなのに、なんでこんなにもうっとうしいんだろう。人の姿はスピードに乗っている電車の中から見るとまるで質量のない光の束だ。しかし、徐々に速度を落として到着する間に、みんなの体ははっきりと輪郭を宿して喧噪の中で乗車口を気にしている。まだドアは開かないけれど、汗と火薬の匂いがツンと鼻の奥に感じらたような気がした。


結局私はスネているだけなんだ。


整列の協力を頼む警備員の張り上げる声が、窓ガラスを通して後頭部に響いた。後ろを見やると、夏ではないけれど、やっぱり浴衣姿の若いカップルが多い。安っぽい花柄のカラフルな模様を身に纏って、予定通りの1日を過ごして、何が楽しいんだろう。

電車が止まりかけるなか、まだ最寄りの駅からは少し遠いけれど、私はドアの前に立った。私以外にこの駅で降りようとする人なんかいないみたい。こんな人混みの中に飛び込んで行く人は、きっと私か、ちょっとやけくそになっている、私みたいな人だけだ。外で乗車を待つ大勢の人に、私を気にする人なんて誰もいない。


猛烈な人混みの中、押し殺さんばかりに電車の中に詰め寄ってくる人混みに逆らって、私は改札へと向かった。

触れ合う袖に、多少の縁なんかないんだ。


「最後の花火、綺麗だったよねー」


「あー、お腹減った」


人混みに逆らってずんずん歩く私のことは知らないふりして、人は平気で肩をぶつける。人は打ち上がった花火の美しさに感動していて、余韻に浸って上の空。こういう時、案外人って残酷になりやすいんだ。


「やべ、ビールこぼしちゃった」


ちょっと、私の足首にかかったんだけど。


「また来年も行こうねー」


いろんな会話が耳に入ってくる。この異物感、どうにかしたいけど、このフラストレーションがないと、私は心が折れてしまいそうなんだ。


改札口へ降りる階段が雑踏に隠れてよく見えない。どこだったっけ…。





人混みに散々揉まれた後に、ようやく改札を出ることができた。まだまだ人の群れは駅に続いていて、道路を帯状に並んでいる。私はコンビニで缶ビールを買って、川沿いに出た。多摩川は好きだ。風が凪いでいて、センチメンタルな心を優しく撫でてくれる。

もうすっかり暮れた川辺には彼岸花が咲いていて、暗闇の中にひっそりと佇んでいる。多摩川は実に空気が澄んでいて、空がとても広い。夜空には星は少ししか見えないけれど、飛行機がチカチカと点灯しながら一機、二機と静かに飛んでいる。秋虫のしっとりとした鳴き声が辺りに響いているのに、遠くに並ぶ高層ビルが扇状に光をばらまいている。

この、都会の隅っこにあって、自然と科学が人知れず不思議に交差している多摩川が、私は好きだ。


大きな橋が近くに一本、遠くにも一本というふうに連なっていて、そこをさっき私が乗っていた電車が超満員になってノロノロと渡っている。私は疲れた表情でそれをはははと笑った。

プシュっと缶ビールの栓を開けて、一気に半分近く喉に流し込んだ。少しひんやりする階段に腰掛けて、静かに揺れる川面を眺めた。


なーんだ、ちっぽけじゃんか。母が死んで、不倫の恋人からのこのこと手紙なんかが届いて、それでどうしたというのさ。なんでもないよそんなの。わけもない。よくあることだよ。ちょっとテレビドラマみたいで安っぽいシナリオさ。ねえそうでしょー多摩川さーん。・・・って、私はあほだね。あははは。



私は思っていたよりも強くショックを受けていたらしい。せっかく景色のいいところに引っ越してきたのに、肉親の記憶を引きずって新しい生活に集中することができないなんて、辛い。

花火大会を自宅で楽しむこともなく、私の人生は宙ぶらりんになったまんまで、絡まっている。


故郷は枯れていた。商店街には人は集まらないし、通っていた学校なんかも閉校されていった。

東京に来ればさびれた町から解放されて、気分も変わって何もかもうまく軌道に乗るだろうと考えていたけれど、甘かった。私はまだまだ新天地のことなんて感じられていなくて、頭の中は目の前にない母の残した言葉と、知らない恋人。


なんだか無性に腹が立ってきた。なんで私の人生の節目に呪いをかけるようなことを今さらしてくるの。よりによってこんなに自由な生活に挑んでいるというのに。


腰を浮かしかけて、また座る。よかった、缶ビール二本買っておいて。

なんだか、ずっと心の奥に押さえつけていた感情が、花火大会を見逃すということで弾けるなんて、ばかみたいだなー。私らしいですかー。



川向こうの信号が赤になったらしく、川面には赤い波が噓っぽくなびいている。すると風がレジ袋をスルッとさらって、川岸までまるで糸で引いてるみたいに引っ張った。

私はしばらくその様子をただ眺めて、川岸からぴちゃと小さな音が聞こえてくるのを待った。

川の水が入ったレジ袋を拾い上げて、中の水を捨てると、なんだか良いことをしたような気になって、お酒の入って火照った頰でふふふと笑った。

空いた缶ビールを包んで、さっき自分が座っていた場所に目を向ける。


「今日は歩いて帰ろう」


足元の石を川に放り投げて、歌うように呟いた。秋の虫は相変わらずしっとりと鳴いている。




何をするべきかは最初からわかってるんだ。

尊敬する父と母。だけど時代に負けてきた。それでもやっぱり大好きな父や母の隠していた事実に対して嫉妬して、スネて、ひねて、背中を向けてるだけなんだ。

頭に中に住み着いたスーツの人。手紙の住所、馴染みのない土地。

やっぱり、行ってみなくちゃいけないよねー。なんて。ああ、また弱気になってる。

風が少し冷たくなってきた。帰ろう、体が冷え切ってしまう前に。

砂利を爪先で持ち上げながら、上を見上げた。

夜空には飛行機が静かに飛んでいて、その上にはどこか懐かしいような三日月が影を描いている。