金峯山修験本宗 北海道別院
http://www.nouten3.com/s-3.html 【 金峯山修験本宗 北海道別院】より
首から上の守り神 脳天大神 noutenookami
蔵王寺・脳天大神 吉野山・脳天大神
昭和26年、当時の金峯山寺管長であった五條覚澄大僧正猊下 ( げいか )が、新しい行場を開くために、蔵王堂の裏の谷間を下っていったところ、子供たちにいたずらされ、頭を割られた蛇が死んでいました。
子供たちをたしなめ、その蛇を近くの洞窟に安置し、回向を手向けて帰りますと、その夜、「われは蔵王権現の変化神・脳天大神( のうてんおおかみ )なり、先ほどの蛇は人々の苦しみを、あのような姿に変えて見せたのである。多くの人々の、特に頭の病や、悩み苦しみを救う為に、われを脳天大神として祭られたし。」という霊示をうけ、この地に、脳天大神を祭祀することとなったのです。
それ以来たくさんの人達が脳天大神の不思議をいただかれ、その御霊徳によって、この吉野の深い谷に多くの参拝者が一年中絶えることなく訪れるようになり、首から上の病気だけではなく、色々な願いを持った方々、又は入試合格を願う人々の大祈祷所として『脳天大神-のうてんおおかみ』は『のうてんさん』または『脳天大神-のうてんだいじん』などと呼び親しまれて、日本国内はもとより遠く外国からも、たくさんの人達が参拝されております。
当山の脳天大神は北海道別院として、その御分霊をおまつりしております。
また、最近では小樽のパワースポットとしても人気を集めております。
大祐山 蔵 王 寺 daiyuzan zaouji
大祐山 蔵王寺 (だいゆうざん ざおうじ) 本堂 本堂内陣
蔵王寺本堂 本堂内陣
当山 蔵王寺は、眼下に石狩湾を一望し、手稲山の山すそに抱かれた、大自然を道場とする山岳宗教であり、金峯山修験本宗( きんぷさん しゅげん ほんしゅう )-修験道-の寺院であります。
修験道は、大自然の霊気の中に身をおいて、改めて自己を見つめ修行することによって、自然と一如の境地を目ざす、実修実験の宗教であります。
日本には、昔からお参りするだけで我々人間の罪、穢れ(けがれ)が浄められるといわれる九品浄土( くぼんじょうど )があって、本山( 奈良県吉野山 ) 金峯山寺( きんぷせんじ )は、その一つで金峯山浄土といわれ、はるか奈良、平安の昔から人々の信仰を集めてまいりました。
当山は、その金峯山寺の別院となっております。
総本山 金峯山寺 kinpusenji
蔵王堂 採灯大護摩供
蔵 王 堂 大護摩供
金峯山寺(きんぷせんじ)は、白鳳年間(七世紀後半)、修験道の開祖役行者(えんのぎょうじゃ)によって開創されました。
役行者は金峯山(きんぷさん)山上ヶ岳において、一千日の苦行をされ、衆生済度のために金剛蔵王大権現を感得し、そのお姿を桜の木に刻み、山上ヶ岳と、山下の吉野山におまつりされました。
これが蔵王堂のおこりであり、金峯山寺の草創であります。
奈良時代から平安時代にかけて、多くの宗教者や貴族が金峯山に入山しており、修験道の発達と共にその聖地となり、修験道の根本道場として尊崇されるようになりました。
また役行者が桜の木で、蔵王権現のお姿を刻んだことにより、桜の木が蔵王権現のご神木として、とても大切に愛護されてきました。又参詣する人達がお供えにと、桜の木を献木していったので、しだいに増え今日の桜の名所・吉野山となったのです。
本堂の蔵王堂は重層入母屋造り、木造建築物として東大寺大仏殿につぐ大きさで、国宝にも指定されています。
平成2004年には、この金峯山寺をふくむ『吉野・大峯』が、『熊野三山』『高野山』の三霊場とそれらの霊場への参詣道・『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産に登録されました。
http://www.nouten3.com/s-2.html 【脳天大神 蔵 王 寺金峯山修験本宗 北海道別院
kinpusan syugenhonsyuu】より
役 行 者ennogyoujya
富岡鉄斎書 ・ 役尊渡海の図
修験道の開祖・役行者は、飛鳥時代・舒明天皇6年(634)、現在の奈良県御所市茅原で「賀茂役君(かものえのきみ)」を父として誕生し、名は役小角(えんのおずぬ)、幼少より非凡な才能を発揮し、仏道に帰依していたと伝えられています。
成長するにつれ、葛城山や金剛山などの山々に魅せられ山中を出入りすることが多くなり、山中修行の始まりとなっていきます。
時はまさに大化の改新、壬申の乱など政権抗争の激しい時代で世の中は乱れきっており、人々も大変苦しんでいました。
役小角は、末法悪世に苦しむ人々を救うためにと、金峯山上で一千日の苦行を成し、衆生を救うための力強い神を求め一心に祈り続けました。
すると、弁財天や地蔵菩薩などが現れて来ましたが、あまりにも柔和なお姿なので、このような乱世にはふさわしくないと思い、さらに祈り続けていると、次には釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩、が現れましたが、「もっと強いお姿を」と念じていると、すさましいばかりの雷鳴と共に、青黒忿怒(しょうこく ふんぬ )の相の蔵王権現が火炎を背に出現したのです。
これこそまさに悪魔降伏にふさわしい神と感じ、そばにあった桜の木にお姿を刻み金峯山の山上と山下の蔵王堂におまつりしました。
蔵王権現を本尊にいただい役行者は、山によって修行する、実修実験の修験の道を整えながら、多くの人々を導き、国中を巡り、北は東北の羽黒山から、立山、富士、御嶽など、また山陰の大山、四国の石槌山、西は九州の英彦山、霧島にいたるまで、日本の主な山々を開き、修験道の道場としていったのです。
そして、大宝元年(701)6月7日天上ヶ岳にて、弟子に
本覚円融(ほんかくえんゆう)の月は 西域の雲に隠るるといえども
方便応化(ほうべんおうか)の影は なお東海の水にあり
と言い残し、母を鉄鉢に乗せて昇天されたと伝えられております。
役小角は、平安時代には行者の尊称を送られ、以来役行者と呼ばれるようになり、 さらに、千百年忌にあたる寛政十一年(1799)、光格天皇よりその功績を称えられ、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡号(しごう)を賜っております。
こんごうざおうだいごんげん 金剛蔵王大権現
kongouzaoudaigongen
しゃかにょらい せんじゅかんぜおんぼさつ みろくぼさつ
釈迦如来 千手観音 弥勒菩薩
金剛蔵王大権現 kongouzaoudaigongen
釈迦如来shakanyorai 過去世 蔵王大権現の本地仏。
我々の過去世・現在世・未来世の三世にわたって救済してくださる三尊。
この三尊が一体となって現れたのが金剛蔵王大権現。
千手観音 senjyukannon 現在世
弥勒菩薩 mirokubosatu 未来世
本地仏 ほんじぶつ - 仏・菩薩が衆生済度のために仮の姿をとってあらわれた垂迹身(すいじゃくしん)に対して、その本源となる仏・菩薩のことをいう。
http://www.nouten3.com/s-5.html 【山岳修行】 より
修験道は古来より実修・実験をむねとし、もっとも修行が重んじられてきました。
その中でも、大峰山の奥駈修行(おくがけしゅぎょう)は修験道の修行として、特に代表されるものであります。
大峯奥駈修行とは、吉野山の蔵王堂から、和歌山県の熊野本宮・那智大社までの山々を、およそ百八十キロを縦走する山林修行のことです。
峰入りともよばれ、峰々や滝場、岩場、窟、祠などを巡拝し、行じていきます。
特に有名なのは、西の覗き(新しく生まれ変わるための捨身行)で、ここでは新客(初入行者)は肩に命綱をかけて、断崖絶壁から逆さづりにされ覗きの行がおこなわれます。
「信心怠らないか」「親孝行するか」「奥さんを大事にするか」次々と出される問いに、ただ々「はい」と絶叫するのみ。
未だかって「ノー」といった人はいないそうです。
本宗では、5月に本山・金峯山寺の大峯奥駈修行、7月に別格本山・東南院の大峯奥駈修行が行われています。
びょうどういわ なちのたきをはいす平等岩 那智の滝を拝すbyoudouiwa natinotakiohaisu
http://www.nouten3.com/s-7.html 【修験道の歴史】より
古来日本人にとって山とは、神が降臨される場所 『神の磐座-かみのいわくら-神の鎮座する所』 と考えられていました。
又、農業にとって最も大切な水の源流のあるところで、水を支配する 『水分神-みくまりしん』 と見なされ、さらにその水が農業の豊かな実りをもたらすことから、豊穣の神、農業の神とも見なされてきました。又天に一番近い所から、死者の霊魂が帰っていくところ、浄土とも考えられていました。
こうした日本古来の山岳観と、神道、道教、仏教が融合されて、修験道が生まれ、そしてこの修験道は、平安時代以降に確立発展させていきました。
しかしながら、明治に入って政府は、「神仏分離令」を発し、それまで神仏習合の色合いが強い神社仏閣を、神社と寺院とにはっきりと分離させるようになり、そして修験道もその影響を多くうけるようになったのです。
戦後、宗教が自由になると、かっての修験道宗派は次々と、「金峯山修験本宗-金峯山寺」 「本山修験宗-聖護院」 「真言宗醍醐派-醍醐寺」として立宗。
現在では大小さまざまな修験道の宗派が存在して、再び活動を活発化させています。
山伏というのは、山 に入って修行をし、罪、汚れや煩悩といった悪を降伏 ( ごうぶく )させるというところから、そう呼ばれるともいわれています。
現代は、物質文明の行き詰まりにより、人々は精神性を求めるようになり、自然や宗教に眼を向けはじめています。
この修験道の、山に入って自然の霊気に触れ、心身を浄化させ、そして再び清浄な心になって生まれかわる「擬死再生」の思想が、現代の人々が自然に何かを求め、自然の中に入って、すがすがしい気持ちになり、新たなエネルギーを充実させようとするのに、通じるものがあるのだと思います。
そしてそれが今、修験道が活発化している所以ではないでしょうか。
神仏習合 ( しんぶつしゅうごう ) - 日本固有の神の信仰と、仏教信仰とを折衷して融合調和することで、奈良時代に始まり、神宮寺・本地垂迹(ほんじすいじゃく)説などはその現れです。 神仏混淆(こんこう)とも言います。
神宮寺とは、神社に付属して置かれた寺院の称。