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「4/28」から4年、トルコ各地で追悼式典

2024.05.01 05:41

2020年4月28日、乳癌により崩御されたメキシコのガブリエラ・ニコ連邦国家主席。彼女の4回目の命日である28日に、トルコ各地で追悼式典が行われた。各地の式典では、参加したトルコの錚々たる大物政治家が、生前のガブリエラ同志のご活躍を読み上げた上で、哀悼の意を示した。

トルコ海(東地中海)沿岸諸国との外交日程を終えてコジャエリ県イズミットに到着したハミト・アルトゥントップ大統領は、同県のイズミット湾統合海軍航空基地で、追悼式典に参加。「この厳粛な日に、同志が成し得なかった夢や目標を、皆さんと共に実現していくと誓い、気持ちを新たにします。私たちトルコ国民は決して忘れない。」と述べた。

トルコ政府は各地の式典に際し、前夜祭を開催した。前夜祭は祈りの世界中心であるイスタンブールのアヤソフィヤ・ジャーミイにて執り行われ、ガブリエラ主席のご冥福をお祈りするための共産聖火を採火し、アヤソフィヤの周囲を没後年数の分だけ走る"絆リレー"を開催した。参加者には本場メキシコの伝統料理であるタコスが振舞われ、市民団体による歌や踊りのショー、骨董品市や手芸品の展示会、同人誌の即売会、合同追悼式が開催された。式典のグランドフィナーレでは光と音に合わせて4000発余りの花火が打ち上げられ、参加した多くの国民がメキシコ国民の心に寄り添った。

アンカラの式典には、ガバアナ・ユルムズ副大統領が出席した。副大統領は開会の挨拶に「"現実を認めたくない"自分がいて、"現実を受け入れろ"という自分もいる。忘れないし、忘れられない。」と語った。ガバアナ・ユルムズ副大統領は大の北中米好きとして知られている。最終学歴であるスポーツビジネスの専門学校では、主に北中米のサッカー戦術について学んでいた。特にメキシコの可変システムを軸とした「組み立てるサッカー」に酔いしれたユルムズは、政治人生の手本としてメキシコサッカーを挙げるほど信奉していたのはトルコ政治を見ても明らかだ。

即ち、3-4-2-1が基本的なフォーメーションである青い監獄党政権において、閣僚による不祥事など政権バッシングが起きている「守り」の状況では、青年局員や地方議員らが最終ラインまで落ちて5-4-1の陣形をとり守備を固める。しかし、サッカー法案など変革を求めた「攻め」の状況では、政権を下支えする党3役(センターバックと言う)のうち左右の2人(タカ派・ハト派)が両サイドに開いてサイドバックとなり、4-1-5として前線5枚の超攻撃スタイルに可変する。この政治スタイルは、「ガバアナ式選挙」とも呼ばれる大胆な選挙戦略にも応用され、昨年の政権交代が起きた大統領選挙では大いに真価を発揮した。

ガズィアンテプ県ヌルダウの式典会場には、青春物語党のアン・ジョー氏が参加した。式典でのスピーチに登壇したアン・ジョー氏は「トルコとメキシコは地理的に離れた国だが、心はいつも傍にある。私たちはお互いに厄介な隣人に悩んでいるが、先進的な国境政策により多様な人材を近隣諸国に輩出している。料理やスポーツ、そして経済成長、共通点しかない」と演説した上で、ガブリエラ主席の冥福を祈った。

チャナッカレ大橋での式典では、エルドアン国家最高顧問とウマール・イノニュ元大統領が参加し、ガブリエラ主席を偲んだ。

式典でイノニュ元大統領は「4月25日、信じられない一報を耳にし、言葉が出ませんでした。それから何年も経ってしまいましたが、朝は来て、日は暮れていきます。当時やかましかった日本の地震、テロ、政変などの報道は鳴りを潜め、わたしたちに世界の今を知らせる報道塔には、至極まともな話題ばかりが並ぶようになりました。中華やトルコなど権威主義的な国家によるパワープレイ外交が罷り通っていた時代に、絶妙なバランス感覚で第三世界と絆を深めていたお方でした。天はなぜよりにもよってこのような悲劇を現実にし、命を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのでしょうか。あなたがいないのに、世界情勢は進んでいます。あなたと同じ時代に仕事ができたことを、わたしは生涯忘れることはありません。」と演説し、会場は拍手に包まれた。

逝去当時、連合機構事務総長を務めていたエルドアン国家顧問。加盟国から出た突然の訃報には、神に等しい存在だった事務総長でさえも素直に狼狽えていたと、関係者は述懐する。当時の連合機構総会で「彼女の死の教訓を無駄にしてはならない」と繰り返した国家顧問は、チャナッカレの式典での目玉でもあった"既存の映像や写真を活用したCGIでつくり出されたAIガブリエラ主席"のデジタル映像を、目を細めて御覧になっていた。

各式典を総合演出の立場で見守るのは、マルチクリエイターのエリ・ボールンデ・カルマク氏。カルマク氏は、ガブリエラ主席の死を依然より「中華による陰謀」と主張している。雑誌「陰謀」によると、危篤状態に陥ったガブリエラ主席は、中華医療団の治療を受けている。ニカラグア運河など一帯一路の重要課題を前に「中華指導部から何らかのアクションがあった」、と分析している。