インクルーシブ教育への招待
*本稿は教職課程テキスト『共に創り出す公教育へ』(八千代出版、2022年)に掲載した拙文である。
(1) 画期的なサラマンカ宣言・同行動枠組み
今から約27年前の1994年6月、障害のある子どもの教育にとって非常に画期的な国際文書が採択された。それは「特別ニーズ教育世界会議」(同年6月7日~10日開催)においてである。スペインの古く、美しい町であるサラマンカでユネスコとスペイン政府が共同して同会義を開催したことにちなんで「サラマンカ宣言(Salamanca Statement)」と命名されている。同宣言自体の分量は多くないが、長い「行動枠組み」が付されている。
https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000098427Salamanca Statement Inclusive 1994
同宣言の中核になっている部分は以下の通りである(下線、引用者)。
2.我々は以下のことを信じ、宣言する。
・すべての子どもが教育への権利を有しており、満足のいく水準の学習を達成し、維持する機会を
与えられなければならない。
・すべての子どもが独自(unique)の性格、関心、能力および学習ニーズを有している。
・こうした幅広い性格やニーズを考慮して、教育制度が作られ、教育計画が実施されるべきであ
る。
・特別な教育ニーズを持つ子どもたちは、そのニーズに対応できる子ども中心の教育実践(childcentred pedagogy)を行う通常学校(regular schools)にアクセスしなければならない。
・インクルーシブな方向性を持つ通常学校こそが差別的な態度と闘い、喜んで受けれる地域を創り、インクルーシブ社会を建設し、万人のための木を達成するためのもっとも効果的は手段である。さらにこうした学校は大多数の子どもたちに対して効果的な教育を提供し、効率性をあげ、結局は教育制度全体の経費節約をもたらすものである。
これを受けて各国政府に対し「別の方法で行わざるを得ないという止むにやまれぬ理由がない限り、法律又は政策においては、通常学校にすべての子どもを就学させるインクルーシブ教育の原則を採用する」ことを求めている。 この下線を引いた部分がもっとも重要な点である。この点を確認できるのが次の行動枠組みにおいて確認できる。
・「インクルーシブな学校の基本原則は、すべての子どもたちがそれぞれに持っている困難さや違いにもかかわらず、出来る限り、一緒に学ぶべき(all child should learn together)とする点にある。」
・「インクルーシブな学校では特別な教育ニーズを持つ子どもは、かれらに効果的な教育を保障するために必要なあらゆる特別な支援も受けるべきである。」
つまり、特別なニーズを持つ子どもたちはそうでない子どもたちから離れた場で教育を受けるのではなく、通常の学校で共に学ぶようにすべきだというのがインクルーシブ教育であるということである。
ここにいう「特別なニーズを持つ子ども」というのは障害のある子だけにとどまらず、英才児、遊牧民の子ども、言語・エスニシティ・文化面での少数者などこれまでの教育では十分にそのニーズを満たされてこなかった子どもたちを含んでいる。
多くの国がこの宣言を採択して以降、各国ではインクルーシブ教育に向けた取り組みが加速する。ただし、宣言採択に賛成をしたものの日本では、この「インクルーシブ教育」という言葉の受け入れ自体、なかなか進まなかった。
筆者がこの宣言の存在を知ったのは2年後のことであった。原文を手にした時、心が打ち震え、すぐに翻訳すべきと考え、実際に翻訳した。なぜか。
実は日本においては1970年前後から、障害があっても特別な場である「特殊教育諸学校(盲学校・聾学校・養護学校)」ではなく、地域の通常学校に通いたい、兄弟で一緒に学校に行きたい、近所のこと同じ場で過ごしたいという願いを前面に打ち出し、通常学校への就学を求める運動が広がってきた。その願いの裏には、通常学校から分離された特殊教育諸学校での教育は障害者差別につながる、といった告発を多くの障害当事者が行うようになっていた。その象徴ともいうべきものが1979年度から実施の「養護学校義務化反対闘争」であった。この運動が求めていた考えとサラマンカ宣言の理念は同じだ、この考え方は国際的にも支持されるものだという思いが筆者を翻訳へと突き動かしたのである。
筆者は1992年4月から一年間、イタリアのミラノ大学で在外研究を行った。その目的の一つは、当時、世界で一番進んでいたイタリアの「統合教育」(イタリア語ではintegrazione scolastica、英語ではintegration in education) を調べることにあった。イタリアは1975年法以降、「特別学級」を廃止し、障害のある子どもの就学先は通常学校とするという取り組みを進めており、当時としては世界から注目され、統合教育の先進国と評価されていた。
ただ、統合教育はインクルーシブ教育の前段階的な位置にあり、障害のない子どもたちが学んでいる構造や内容を前提とし、そこに障害のある子どもを受け入れるというもの。これに対し、インクルーシブ教育はすべての子どもの共に学べるように構造や内容を変革し、調整するものである。
イタリアで長いこと「支援教員」として働いた後研究者への道を歩んだシモーナ・ダレッシオ(Simona D’Allessio)は、それまでの統合教育の試みを高く評価しながらもインクルーシブ教育としてはまだ不十分としている。その理由は、通常学級での教育そものの変革が徹底していない、点にある。確かにイタリアでは特別学校が依然として存続している。
*イタリア・ファエンツァの中学校での統合教育の様子
ここで、ユネスコと同じ国連に属する機関であるユニセフの明確なインクルーシブ教育定義を取り上げて置く。それは「インクルーシブな教育では、正規の学校制度で、すべ ての生徒に有意義な学習機会を提供することが求められる。子どもの障がいの有無に関係なく、地元の学校で年 齢に応じたクラスに参加しながら、必要に応じて個人に 合わせたサポートを補完的に受けられるのが理想である」という定義である。
(2) 障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)とインクルーシブ教育
こうしたインクルーシブ教育の取り組みがより徹底した形で結実したのが障害者権利条約である。同条約は2006年12月13日に国際連合総会で採択され、2008年8月3日に発効した。日本は署名はしたものの、関連する国内法の整備に時間がかかり、批准したのは2014(平成26)年1月22日である。
同条約は第24条で教育について規定している。外務省訳の最初の部分を引用しておく。
1 締約国は、教育についての障害者の権利を認める。締約国は、この権利を差別なしに、かつ、
機会の均等を基礎として実現するため、障害者を包容するあらゆる段階の教育制度及び生涯学習
(an inclusive education system at all levels and lifelong learning)を確保する。当該教育制度
及び生涯学習は、次のことを目的とする。
(a)~(c)略
2 締約国は、1の権利の実現に当たり、次のことを確保する。
(a) 障害者が障害に基づいて一般的な教育制度(the general education system)から排除さ
れないこと及び障害のある児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教
育から排除されないこと。
(b) 障害者が、他の者との平等を基礎として、自己の生活する地域社会において、障害者を包
容し(inclusive)、質が高く、かつ、無償の初等教育を享受することができること及び中等教
育を享受することができること。
(c) 個人に必要とされる合理的配慮(reasonable accommodation)が提供されること。 (d)障害者が、その効果的な教育を容易にするために必要な支援を一般的な教育制度の下で受け
ること。
(e)学問的及び社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容(full inclusion)という
目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられること。
ここで留意しておきたい点がある。それはinclusiveやinclusion の日本語訳である。このように外務省(政府)はinclusive education を「包容する教育」、fullinclusionを「完全な包容」と訳している。この訳には何か「包容」する側が一段高いに位置にあるようなニュアンスがある。そこで「包摂」とか「包摂共生」また「誰も排除しない」という訳をつける場合もあるが、本論ではカタカナ表記にしておく。
いずれにしても、本条約第24条で規定しているのは、障害のある子どもを「一般的な教育制度」からは排除しないで、受け入れていくべきだし、そのために合理的配慮が必要であるというインクルーシブ教育の原則である。この点を明確に抑えた説明を行ったいるのが大谷恭子弁護士であり、それは障害者権利条約「言葉」考-「完全に包容された教育」 (dinf.ne.jp)で確認できる。
「インクルーシブ教育制度とは、人間の多様性や尊厳と自尊感情を育て、能力を最大限に発達さ
せ、社会に効果的に参加することを目的とした教育制度である。そして、一人ひとりの障害者
は、障害のない人に用意された一般的な教育制度から排除されず、自分の生活する地域で、小
中の義務教育だけではなく、高校での教育の機会を与えられ、これを実現するために各人に必
要な合理的配慮が保障されなければならない(権利条約第24条1項・2項abc)。権利条
約は、明確に、障害者に特別な学校や教育形態を設けて、障害者を地域の普通学校から排除す
ることを否定し、一人ひとりに必要な合理的配慮を普通学校の中で保障すると規定したのであ
る。
合理的配慮とは、社会が障害のある人に合わせて変化調整することであり、それがなければ
実質的に権利を保障したことにならず、差別になるとされている。教育は、この合理的配慮だ
けではなく、教育を効果的に実現するための「支援」が必要になることもある。 わが国の障害
児教育は、永く分離別学教育でなされ、2007年からようやく特殊教育から特別支援教育へ
の転換がなされた。この特別支援教育制度の中で各障害児になされていた支援は、あくまで個
別支援であり、インクルーシブ教育における合理的配慮とは異なる。」
大谷弁護士は2010年1月に内閣に設置された「障がい者制度改革会議」のメンバーであり、障害者基本法の改正や障害者差別解消法制定に大きく貢献した。
この条約が採択以降、国連に置かれ、権利条約の実施状況を点検し、必要応じ勧告を行ったいる「障害者権利委員会」が条約の各規定の解釈に関する一般的意見をまとめている。その中でインクルーシブ教育について重要なのが2016年の「第24条のインクルーシブ教育を受ける権利に関する一般的意見第4号」(2016年)と「第5条にかかわる平等及び無差別に関する一般的意見第 6 号」(2018 年)である。
「インクルーシブ教育を受ける権利に関する一般的意見第4号」
・パラグラフ18 「通常教育制度から障害のある生徒を排除することは禁止されなければなら
ない。個人の能力の程度をインクルージョンの条件とすること、合理的配慮の提供の義務から免
れるために過度の負担を主張することなど、機能障害またはその機能障害の程度に基づきインク
ルージョンを制限する何らかの法的または規制的条項による排除も含めて、禁止されるべきであ
る。一般的な教育とは、すべての通常の学習環境と教育部門を意味する。直接的な排除は、特定
の生徒を「教育不可能」であり、それゆえ、教育を受ける資格がないとして分類することだと言
える。間接的な排除は、合理的配慮や支援なしに、入学条件として共通試験への合格という要件
を課すことだと言える。」
「平等及び無差別に関する一般的意見第6号」
・パラグラフ63 「一部の締約国が、障害のある生徒にたいして、インクルーシブで質の高い教育
を行っている普通学校(mainstream school)の平等な利用の提供を怠っていることは差別的で
あり、本条約の目的に反し、5条及び24条に直接的に違反している。」
・パラグラフ64 「障害に基づき障害のある生徒を普通でインクルーシブな教育(mainstream and
inclusive education)から阻害する教育の分離モデルは、本条約の5条及び24条1(a)に違反
している。5条3は、締約国に対し、合理的配慮が提供されるようあらゆる適当な措置を講じる
ことを要求している。その権利は24条2(b)によって強化されており、そこでは障害者が生活する地域社会において障害者に対するインクルーシブ教育を確保することを要求している。」
以上から明らかなように、権利条約第24条が規定するインクルーシブ教育というのは、障害のある生徒を障害のない子どもが学ぶ場から分離せずに、普通の教育環境に受け入れて、その中で個別のニーズにあった教育を行うというものである。
最後に強調しておきたいのは、障害者権利条約の基本にあるのは「障害の社会モデル」であるということ。これは個々人の「障害」が問題だとし、社会に受け入れられるようにそれを克服すべきだとする「医学・個人モデル」ではない。障害のある人々が社会に受け入れられないのは社会の方にバリアーがあるからであり、したがってその社会的バリアーを解消すべきだとする考え方である。
(3) インクルーシブ教育と特別支援教育
前述したように日本政府が障害者権利条約を批准したのは2014年1月であった。いずれ批准するという約束を意味する「署名」したのは2007年9月のだから、批准まで6年4ケ月を要している。その間、国内法の整備に時間をかけていたのであるが、教育分野においもこれに応ずる動きがあった。しかし、同条約が規定したインクルーシブ教育への根本的転換を図るものでなく、2006年6月の学校教育法の一部改正による翌年の4月1日からの特別支援教育制度を前提とするものであった。
なお、2007年4月から始まった特別支援教育とは、それまでの障害のある子どものを「特殊の場」(盲学校、聾学校、養護学校という特殊教育諸学校や津城学校のなかの特殊学級)で行われる特殊教育ではなく、障害のある子どもの特別ニーズに応じた教育を行う教育を意味する。つまり通常学級においても特別支援教育は行われるのである。
したがって、批准に際しての法制上の措置は2013年8月の学校教育法施行令の一部改正にとどまり、障害のある子どもの就学先を決定する過程において、市町村教育委員会は保護者の意見を聞くという条文(第十八条の二)を新設しただけである。
そのため文部科学省は権利条約第24条のインクルーシブ教育と特別支援教育とのつじつま合わせをすることになり、次のように説明(下線は引用者)し、現在に至っている。
「障害のある子供の学びの場については、障害者権利条約の理念を踏まえ、障害のある子供と障
害のない子供が可能な限り共に教育を受けられるように条件整備を行うとともに、障害のある
子供の自立と社会参加を見据え、一人一人の教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供でき
るよう、通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある
多様な学びの場の整備を行ってきました。」(1.特別支援教育をめぐる制度改正:文部科学省
(mext.go.jp)
この説明では最初の下線を引いた「可能限り共に教育を受けられるように条件整備を行う」がインクルーシブ教育を意識したものであり、次の下線部は特別支援教育を前提とした記述である。
では「可能な限り共に教育を受けられる」というのは何か。下図のように通常 学級において特別支援教育支援員などの支援を受けながら他の子どもと学ぶだけ でなく、以下のようなことも「共に教育を受けられる」ことに入ると文部科学省 は位置付けている。
「障害のある子供と障害のない子供が共に学ぶ取 組を,年間を通じて計画的に実施することが必
要である。小中学校等内において,特別支援学級と通常の学級との間の日常的な交流及び共同
学習を推進することはもち ろんのこと,特別支援学校と小中学校等との間の交流及び共同学習
を積極的に推進 することが必要である」(『障害のある子供の教育支援の手引 ~子供たち一人
一人の教育的ニーズを踏まえた 学びの充実に向けて~』令和3年6月)
【資料3-1-1】日本の特別支援教育の状況について (mext.go.jp)より
【資料3-1-1】日本の特別支援教育の状況について (mext.go.jp)
いうまでも、これをインクルーシブ教育だというのは無理がある。EU特別ニ ーズ・インクルーシブ教育機構が行っている調査をみると、「インクルーシブ教 育を受けているという意味は学校生活の80%以上の時間を通常学級で過ごして いること」と定義づけられている。
したがって、わが国においてはインクルーシブ教育を規定した障害者権利条約 の批准以降も、図のように、子ども数は減少しているのに特別支援学校・学級で 学ぶ子どもたちが増え続けるという何とも理解しがたい状況が生れている。
2020年6月に「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」(いわゆるバリアフリー法)の改正に伴い、文部科学省が調査強雨力者会議の「学校施設におけるバリアフリー化の加速に向けて~誰もが安心して学び、育つことができる教育環境の構築を目指して~」報告を受け、「学校施設バリアフリー化推進指針」を同年12月に改訂した。そこでは「『障害者基本法』や『障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律』などの関連法の整備が進められるとともに、『障害者の権利に関する条約』が批准されたこ とに伴い、国・地方公共団体等や事業者による合理的配慮を提供することや、インクルー シブ教育システムの理念を構築し、障害のある児童生徒等の教育環境を充実させることが 求められている」(下線、引用者)ことを強調している。
「障害の社会モデル」に即したこの改訂指針により、学校施設にバリアーがあることを理由に障害のある子どもの通常学校・学級への就学を認めてこないという事態の改善にはつながるが、これまでの特別支援教育体制そのものを変えていくとの観点はない。引用文にあるように言葉・理念としては「インクルーシブ教育システム」が語られるが、現実のシステムはインクルーシブ教育とはますますかけ離れているのが日本の現実である。
しかし、国際的にみてインクルーシブ教育確立の動きを戻すことはできない。予定が先送りになったが2022年には障害者権利条約実施に対する権利委員会による日本の初審査が実施される。他国への審査・勧告状況からみて、おそらく日本の特別支援教育体制への懸念と是正勧告が出ると思われる。