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「さよなら、インターフェース」を読んで。アプリのUIデザイナーが思うこと。

2016.02.12 09:44


年末に買ったきりのこの本を、この2日で一気に読み終わった。社内でも端々で話題になっていたし、なによりインターフェースを作ることが仕事の身としてはタイトルからして興味しか湧かなかった。


積ん読が増えるばかりで、ちょっと強制的でげんなりしてたインプット行為を忘れさせてくれるような痛快な本だった。まあどちらかと言うとチクチク弄られるような気分になったけれど、笑


さて、読んでみての感想を忘れないうちにメモっておこう。




No interface 、最高でしょ?


翻訳の仕方がずいぶんユーモアで特徴的だったから口調まで似てきてしまうのが恥ずかしい(笑)さて、この本が言いたいことはたくさんあるのだろうが。個人的に頭に残ったことを順番に。




そもそもそれ、アプリである必要ある?

冒頭から著者のツッコミは容赦がない。正直、アプリサービスを作る身としては耳が痛いことばかりだ。


何にでもスクリーンをくっ付けようとする社会に対し、それ本当にスクリーンにした意味あった?むしろ不便じゃん。って例を幾つも上げている。


例えば車のロックを解除する行為を代替わりしてくれるアプリ。ちらっとネットニュースでは見ていたが、著者の分析を見ていると笑ってしまうようなシステムを、本気で考え実装し販売している会社がゴマンといる。アナログの実態のキーであれば2ステップで終わるものが、アプリを介することであ15のステップに増えるとのこと。ワンダフォー!(こういう皮肉が端々に散りばめられていて個人的に凄く好き、笑)


別の本でも見かけたのだが、ここで出てきた最初のステップで意外とアプリデザインしてると忘れてしまうことだったのも面白い。「まずアプリを使う前に、ユーザーはスマホの電源を入れパスコードを入力し、既存の開いてるアプリを閉じて無数のアプリの中から私達が提供しているアプリを探して開くのだ」ということを。似たような話で、"アプリからの通知"だって何も私が作っているサービス以外も、当たり前に大量にユーザーに向けられて発せられているんだって目を伏せがちなバックグラウンドの事実を改めて突きつける。チームで話してるときに、自分のサービスの中ばかりに気して、そもそもアプリがデバイスの中のひとつって認識が分かっているようでわかってない。


大体、適材適所だよねって話になることが多いんだけど。この本はNoスクリーン!Noスクリーン!と潔く声を上げているのが気持ちいい。


ただ、不便でも使いたいことはあるんだよなあってちょっぴり私は思うこともあった。


例えば、ミニマリストの場合。私はミニマリストなんて言い張れるほど極めてはいないけど、俗に言う断捨離に努めている1人だ。部屋は常に物は少なくしておきたいのが癖になっている。だから私は家にティッシュも置いてないし、バスタオルもない。テレビも捨てたしシャンプーリンスすら捨てて石鹸で生活してみたこともあった(流石にシャンプーは買い直すことになったけれど、笑)


そんな人にとっては、鍵という実態がなくなることこそがメリットなのだ。アプリが増える云々ではなく、持ち物がスマホだけでいいのが気持ち良い。ただ、それがスマホである必要があるかと言われればそれはNoだ。生体認証でもなんでも良い、ベストなものが他にないか考えてみない?著者はそう言いたいのだ。



時間という対価を支払う私達

昨今のサービスはお金ではなく時間を費やすことをユーザーに求めている。

はて?と最初に首を傾げたものの、ページをめくる毎に内容は頭に突き刺さる。今時、課金を求めくるサービスはそんなに多くない。アプリ内課金はゲームやらプレミアムプランにあるものの、アプリ自体が有利なものはずいぶん減ったように思う。パソコンのChromeだってYahooだって、ネットサーフィンするなら金だせや!なんて言ってきたことは一度もない。


その代わりとして、私達は広告に注意を奪われる"時間"を支払っているそうだ。

最近のよく見るサイトの広告の例。



アプリに、ネットは無理で楽しく、意図的に中毒的にはまる代わり、記事の間にはこれでもかと広告が入り込み、よく言う馴染み広告が私たちの検索結果やリストに紛れ込んでくる。これ見よがしにポップアップが飛び出す。どれもこれも心当たりしかない。


著書の中のお気に入りの部分。実際に活字で広告がどんなものかを表している。太字でハイライトされ、不用意に重要なところに無関係なものが混じりこんでくる。強烈な体験だ。


これだけたくさんのサービスが出回る中、世界の先端を走っている大手企業すら主な利益の収入源は今でも"広告"なのだ。うちの会社もそう、私は否定する権利もない。現に、私は広告から給料を貰ってるに等しい。


ちょっと無理矢理な感じもしたが、広告に時間を取られ、複雑なインターフェースを弄る時間が増えた結果、ボランティアや人と生で接する時間が減ってしまったという統計もあるそうだ。


親がスマホばっかり見ていて子供が"スマホじゃなくて僕を見て!"と作文をかいたとのニュースがあったのも記憶に新しい。こじつけ、とは言えない現実が実際にあると思う。


これからは人から"時間"と"機会"を奪うサービスではなく"人の暮らしに織り込まれる"ようなサービスが生まれて欲しい、と著者は願う。


言い訳のような話だが、最後に著者は「わたしはNo interfaceが唯一無二の方法だとは言わない」とも言った。彼自身もパソコンを開き、インターフェースを通じて原稿を書いたのだ。スクリーンやUIが悪いのではなく、特に相性が良いワケでもないのにひとまずスクリーンやアプリにこじ付けて解決しようとする社会に、ビジネスに、ちょっと待てと。そのもう一歩先に目線を伸ばしてから、そんな遠回りなんかしないでまっすぐ世界を豊かにしてみないかと。そんな言葉でこの本は締めくくられた。



これからも、私はいちデザイナーとしてアプリのUIデザインをしていくだろう。休みが明ければ、私は当たり前のように会社に出社して、Macを起動し、パスコードを入力してからソフトウェアを起動してUIのデザインを始める。広告だらけのネットを開き、スマホのアラートを確認する。それが、わたしのやっていることが無用なものだとはまだ到底認められないし、まだまだこのフィールドでもがいてみたい。


でも頭の片隅で、いま自分の作るモノが何のためのモノなのか?そのハウツーは適切なのか?それだけは忘れないで、わたしはこれからもサービスを作りたい。