ブルーオーシャンどころかそもそも海を見つけてないファクトリーブランド。
アパレルの製造関係各社は、既存の加工業が低迷すると「ファクトリーブランド」をやろうとする傾向がある。
まぁこれ自体は全然良い。と言うか、先細る市場を眺めるだけよりは新しい行動をしている時点で100万倍マシである。が、ほとんどがうまくいっていない。まぁ最近では新しい動きでもないが、それでも委託製造業だった工場からすると、非常に大きな一歩である。がしかし、ほとんどうまく言っていない。なぜうまく行かない事例が多いか。詳しくはネット上でたくさん検証されている人たちがいらっしゃるのでそちらを参照してもらいつつも、誤解を恐れずに言うと、ブランドとして無名なのに技術が詰まっているからと言う理由で商品上代が高いのにダサいし無策だからだ。
僕自身も前職でファクトリーブランドを運営させていただいて、様々な経験ができた。
個展で各ディーラーへDM送付しても展示会期中に来社してくれたのは10件程度で、ご商売させていただいたありがたい卸先様に至っては4口座で、1シーズンでの売り上げは小売上代でせいぜい400万円ほどだった。それでも直接小売の方とお話ししながら商品を買っていただくと言う経験はメリヤス生地製造業だけでは得られない経験だ。
そして手早くブランドを認知してもらう為に3シーズン目から代理店を立てた。
非常に効率よく口座数を伸ばしてくれるし、掛け率は押さえ込まれるがそれでもデリバリーや口座管理を委託できるメリットもあり、ブランドの売り上げも上代で1200万くらいにはなった。
代理店さんがバイヤーさんから集約する意見も聞くことができ、商品に対するディレクションも介入してくれるようになった。
しかし当時のバイヤーさんからの言葉で「販売の子たちが黙っててもレジに持ってきてくれるようなブランドを入れたい」と言うのは真意だろう。
知名度、商品の洗練度、価格、全てのバランスが取れていても服が売れるのが難しい時代に、果たして「工場発」の商品がすぐに売れることは非常に稀だ。
今僕はそんな実体験を経た上で、改めて色々な工場さんが「ファクトリーブランド」を立ち上げるにあたりプレゼンテーションを受けたりするのだが、これがなかなか、結構やばい。悪い意味で。
おそらくは前述のように、ブランドを始める前に色々と調べられていると思うのだが、いや思いたいのだが、商品も販路も極めて無策としか言えない実態がまだかなり存在している。
「独自の製法で作られた商品をECで販売します!」と一通りのプレゼンをまとめるとこれになるのだが、こと服に関して、その「独自の製法」で作られたストーリーが購入動機になる商品となると、よっぽどその「商品」や「EC」の完成度、そして然るべき市場へ向けた適切な宣伝が必須だ。
ところがその出口へ向けた道筋は「EC」と言われるだけで、特段何か秘策があるわけではなく、「知名度を上げる為にポップアップなどを考えています」という程度だった。ECっても自社サイトなのか、他のプラットフォームなのか、いや聞く限りはそんなチャンネル数まで考えている感じがしない。
知名度を上げるためのポップアップもかなり曖昧な気がするけど、それ以前に商品イケてんのかと言うとそう言うわけでもなく、普通だったりする。
そして競合他社との差別化は「製造過程が独自」で、そのストーリーに酔っている感じ。製造過程は独自で仕上がりも圧倒的に違うのなら導火線にはなり得るかもしれないけど、工場発信の怖いところはこの「製造過程が独自」が玄人目線すぎて、商品の代わり映えがしないのに技術に命をかけているから価値があると盲信している節が否めない。これはつらい。
「独自の製法をで作られた商品をECで販売してるやつ他におらへんやろ!」と、こう言うノリに近い。
いや、おるよ、調べようね。
とは言え先にも書いた通り、何もしないよりは行動している事自体、はるかに尊い。
怪我をしつつも改善を繰り返し、いつかは芽が出て花が咲くかもしれない。そうなればいいなと思う。
だけどここでまた工場発信の悪いところ、すぐ効果がないとすぐやめちゃう。
これは合同展示会とか出てもすぐに新規顧客取れないから出展をやめちゃう心理と全く同じ。
もしかしてかろうじて気になっているバイヤーさんが居たとしても、そのブランドが継続できないと入れても売りづらいから継続できるかどうかも見てたりする。
それなのに結果に繋がらないからすぐにブランド事業を撤退する工場が多い。確かに継続して運営するのは非常にコストのかかることだし、会社としては重荷になる。でもそれを売れる物にする為に月日を重ねて改善して行くしかないのだ。最初から売れるようにするにはそれ相当の準備がいるのだ。
やってみることは良いことだけど、調査も準備も甘いのに結構派手に立ち上げたりするから、やめちゃった時に会社の看板ごとなくならないように気をつけてもらいたいと思うのである。