Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

クラブアトレティコ城東

file 6

2018.11.26 12:59

先日お世話になった清和台小学校には、大人の我々でもワクワクする遊具がたくさんあります。


みんなで中に入れる特大サイズのタイヤや、

後ろの方に見える思わずキックターゲットをしたくなるタイヤに、

なぜかついつい登りたくなる不思議なものも。

なかでも子どもたちが一番目を輝かせて食いついたのが、このアスレチックです。

この手のアスレチックは、昔は多くの小学校にあったようですが、もうほとんどの小学校では取り壊され残っていません。

しかし、ここでは地域の方と協力して、毎年修繕をしながら、子どもたちが安全に遊べる状態で保存しているそうです。

そして、このアスレチックで遊ぶための約束もキチンと看板で出ており、子どもたちもその約束を守りながら、試合の合間に遊ばせていただきました。(看板の写真は撮り忘れました!次回また撮影しておきます!)


一見すると高さもあり、現代の子どもの基礎体力では危険な遊具のようにも見えますが、看板の注意書きの中に、

・順番を守って遊びましょう。

・アスレチックの上では押したり引っ張ったりしない。

・アスレオニはしない。

・自分の体力に合った遊び方をしましょう。そして新しい動きに挑戦してください。

などなど、安全に遊ぶための約束がいくつか書いてあります。


ここで私が感じたことは、危険なものに対して、「危険だから取り除く」ではなく、「危険だからこそ、気をつけて安全に使う」という考えが大切なのではないかということです。

危険をなくすために、大人が先回りをして危険を取り除くことは、「安全」を手に入れるためには簡単です。

あれもダメ、これもダメ、危ないからダメ。ほら、使わないから安全でしょ?と。

しかしそれでは、正しく使えば便利で安全なものも、どんどん使えなくなっていってしまい、本当の意味での「安全」は手に入りません。


私はそうではなく、正しく安全に使う方法を子どもたちと一緒に考えることが、大人である私たちの役目ではないかと思っています。

実際に子どもたちがアスレチックで遊び始めた時に、少し危険な遊び方をしている人がいたので、一度全員を呼んで看板の約束をみんなで読み上げました。すると、そこからは危険な遊び方をする人はいなくなりました。

子どもたちが「これは危ない、これは危なくない」という線引きを自分で考え、行動したのです。

ここで私が、「この遊具は危ないから遊んではダメ」と言っていれば、子どもたちからこの最高にワクワクする遊びを奪うことになってしまいます。しかし、子どもたちは一度約束をしっかりと読むことで、この遊具で「安全」に遊ぶ方法を自分たちで手に入れることができました。


これに近いことはサッカーの中でもたくさん起こります。

「こうすると点が入るからこうしなさい」「こうすると点を入れられるからそのプレーはダメ」と、最初から上手くいく方法を教え込まれると、子どもたちは自分で考えることをやめ、そればかりをするようになってしまい、本当に困難な状況に陥ると思考が停止してしまいます。「コーチ!どうしたらいいの!?」と。

しかし、子どもたちが自分たち自身で失敗を繰り返す中で、「今のプレーはどうだったか?」「どうしたら上手くいくか?」と問いかけることで、それが自分たちなりの「正解」を考えるきっかけになります。そして、そこから自分たちなりの「正解」を探し、試すことで、さらなる困難があっても自分たちでそれに対する「正解」を手に入れるため考え行動するようになります。

そして、自分たちで「正解」を見つけた時こそサッカーの中で最高にワクワクする瞬間なのです。

私はこれこそがサッカーにとって大切なことだと考えています。


だからこそ私は試合中に選手へ「あれはダメ。こうしなさい。」と指示を送ることはありません。

私が試合中に選手たちへかける言葉は、「次はどうなるかな?」「次どうしたらいい?」「さっきのどうやった?」ぐらいです。

あとは試合が終わってから、その試合を振り返りながらみんなで一緒に、どうしたらいいかを考えます。


一般的に、大きな声で怒りながら指示をするコーチは厳しいコーチだと思われがちですが、実は子どもたちに答えを教えてくれている優しいコーチです。

反対に、大きな声では怒らないけど、簡単に答えを教えてくれないコーチは、実は子どもたちにとって厳しいコーチだったりします。

そういう意味では、私は子どもたちにとってかなり厳しいコーチだと自分では思っています。


子どもたちが自分たちで考え、行動できるようになるために、どんな言葉をかけてあげることができるのか。どんなことをしてあげて、どんなことをしてあげないのか。

これからの子どもたちのために、私たち大人の関わり方が試されています。