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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

百年戦争10-ジャックリーの乱勃発

2018.11.27 02:27

王太子シャルルは金策のために三部会を招集した。しかしさすがに今回はきけるわけがない。平民代表のパリ商人筆頭エティエンヌ・マルセルがその急先鋒となった。彼は、聖職者4、貴族12、平民12人からなる顧問会議をつくり、王に建言を行い、課税も三部会が行う、という「大勅令」をつくった。

王太子は仕方なく署名、ここに革命が始まった。マルセルは、1358年2月22日、王宮に侵入し、王の側近2人と2人の元帥を殺害した。3月王太子はパリを脱出し、シャンパーニュで摂政を名乗って三部会を招集した。4月はプロヴァンス、5月にコンピエーニュで開催し、パリの権威を否定した。

国内が乱れ、フランス北東部ではギョーム・カルルに率いられた大規模な農民反乱「ジャックリーの乱」が起こった。カルルはパリのマルセルと共闘しようとしたが、マルセルは王によって幽閉されていたナバラ王カルロス1世を釈放し、国王気どりのナバラ王が農民を鎮圧してしまった。

しかしここで覚醒した王太子シャルルは、別の三部会で資金調達に成功してパリを包囲した。マルセルの人気は、ナバラ王やイングランドと結ぼうとしたことで急落し、パリの防衛を固め、ナバラ王をパリに迎えようとしているところを、守備隊長の1人に殺害された。

下はフロワザールの年代記挿絵「ジャックリーの乱」