フースタ繁盛ゼミ 11月・12月度
こんにちは!
デザイン営業部の酒井です。
11/26 に開催されたフースタ繁盛ゼミ。
今回は特に豪華ゲストをお迎えしての盛りだくさんの内容でした!
議事録的ですが、一部始終をお伝えします。
【11月度・12月度ゼミ(11月26日開催)】
《第一部》「美味しい」は国境を越える〜明石の1軒の焼き鳥屋から世界へ〜
株式会社トリドールホールディングス 代表取締役 粟田 貴也氏
《第二部》和食を世界に!世界に通じるジャパンクオリティとは
〜スペシャルパネルディスカッション〜
株式会社トリドールホールディングス 代表取締役 粟田 貴也氏
東京レストランツファクトリー株式会社 代表取締役 渡邉 仁氏
株式会社ファンファンクション代表取締役 合掌 智宏氏
【コーディネーター】 フードスタジアム関西編集長 今富信至氏
(11月20日(火)号外フードスタジアム(メール) より抜粋)
第1部 株式会社トリドールホールディングス 代表取締役 粟田 貴也氏
◯飲食に入るきっかけと、始まりの店
工場でのバイトは、嫌なことを我慢して、時間を切り売りすることと思っていた。
従属的環境。
その後喫茶店のバイトをした時の、接客の喜びで、評価やお金を得られるやりがいを感じた。
飽き性だったが、嬉しくてずっと働けた。楽しい。
これを自分の仕事にすべき、と、20代で感じたのが飲食業界に入るきっかけとなった。
そこで、退学して、佐川急便でお金を貯める。
資金を集めて23歳に起業。
加古川に、8坪の参番館という焼き鳥屋をひらく。
こんな店が3軒もてたらかっこいいな、そんな思いで手作り看板を作り、店名を書いた。
3年目で2店舗目を開く。2店舗目は近所の酒屋さんの2階部分離れ的な要素だった。
当時、焼き鳥屋にはサラダがない、オムレツがない。それらをメニューに取り入れると、
おしゃれな店!と女性が来て、流行りにものった。
自分は運が良かった。
居酒屋という言葉が一般化しない時代、お客さんが増えていったので救われた。
ファミレスの居抜き物件がいくつか出たとき、
これまでなかった業態の焼き鳥ダイニングを出す。
うまくいき、郊外に複数店舗出店していった。
◯上場に向けての動きと丸亀製麺
その当時、飲食は上場することがあまり一般的ではなかった。
2000年頃、上場はよくわからないが、上場すると決めた。コンサルなどに、5000万前後かかった。
父親が香川県出身。親戚もいる中で、香川に行ったときにふとめについた製麺所は、
一見何もしていないが行列している様に見えた。
この製麺所こそが、来店動機を鷲掴みにしている。
繁盛のコツを会得しよう!そう強く思った。
どうしてもやりたくなったので、焼き鳥ではなく製麺所を低投資で加古川に再現。
それが、丸亀製麺の1号店となった。
美味しさの旬を提供する店だ。
その頃に起こった事件・鳥インフルエンザの打撃を受ける。上場計画を白紙に戻す。
一方で丸亀製麺をフードコードに出店して、流行った。
その流れで、2店舗目に、札幌の話をいただく!
やる、という判断が当たった。
当初は断るつもりだったが、いざ打ち合わせに行くと、断る選択肢がなかった。
味を変えずにサッポロ店も軌道に乗ったので、
味を変えずに行ける!と熊本にも出店。
全国展開のプランを、ディベロッパーが育ててくれた。運をくれた。
全国展開する度胸をもらった。
ラーメン、パスタ、焼きそばなど、業態をたくさん作っていくが、上場当時は、うどんではなかった。
◯事業展開
海外出店はハワイがスタート。
そこからアジアをまわる。
中国では、2号店はこけるが、4号店うまくいく、現在約60店ほどある。
本部のスタッフは、現在多国籍。それぞれを生かすのかが、自分の仕事。
コントロールが大変?と聞かれることもしばしばあるが、みんな頑張ってやてくれる。
繁盛店を見て感動すると、オーナーと話をするようにしている。
繁盛を見ると、じっとしていられない!
夢は、25兆の外食産業で、海外で稼いでいくこと。
日本の誰かが先にやれば、流れができるのでは?と考えている。
日本食を世界に。
世界で通用する外食の企業になりたい、という夢と野望がある。
とにかくそこに向かって歩いていく。
直感でピンとくると、とにかくやってしまう!
粟田社長と、役員で確認しながら。
思いを強く持ち、行動していく。
やった以上は、徹底して遣り抜く!
大切な要素は、差別化が必要なこと。
ブルーオーシャンを行く。
海外を見たときに、スープヌードルより、焼きそば(フライヌードル)のが支持が高い。
WOK TO WALKは 親孝行な事業!
オンリーワンの要素を持っている。
ずんどうも、自分が持っていないノウハウを持ったブランド。
買収とは、持っていないノウハウを、一緒にやらせてもらう。
勝てない敵と戦うのではなく、一緒にやらせてもらう。
晩杯屋には、よく行っていた。
五反田、大井町店によく行っていた。
金子社長の独特の感性すごいな、ということもあり、
ご縁でつながったファンドからの話を受けた。
優秀な社員が動いてくれている。
トリドールは、30代の部長が多い。
丸亀製麺の社長も35歳。
競争優位点を持つ事が大事であり、
人手をかければ良い、というわけではない。
しかし、飲食はヒューマニズムが何より大切。
デフレが長すぎて、価格に敏感だが、人件費も高騰していることは課題の一つだ。
◯これからについて
2020年、6000店舗になっている!
底を目指して頑張りたいと思っている。
常に挑戦する気概で期待される会社になりたい。
株主様にも配慮しながら。
そういったことができる会社でありたい。
◯会場からの質問
Q。運を良くするために心がけていることは?
A.夢を絶やさないこと。念じる日々。
言葉、文章に置き換えて、自分の身近に置く様にしている。
結果として達成してこれた。
社長室やトイレに、ちゃんと手書きで書いて、貼っている。
第二部トークディスカッション
東京レストランツファクトリー 代表取締役 渡邉 仁氏
最初の店は、2003年、会員制のバーから始まる。
高級業態のマーケットインに答える。
和食の職人さんに答える。そんな事が根本にある。
株式会社funfunction 代表取締役 合掌 智宏氏
27の時に独立。
串焼き屋、居抜きで3店舗。
ご当地の、アンテナショップ型居酒屋を展開。27店舗!
◯創業動機について
● 渡邉氏
自己資金400万で何ができるか?とも作する中で、
運良く、今のスナックの居抜きを見つけた。
2003年、会員費10万円で、交流が取れる場となる会員制のBarを開いた。
人脈で、1000人会員を集めた。
おニャン子クラブの48番が嫁であるため、その人脈もある。
提供する料理は、オーダーを取ったらすぐに近所の店に買いに行く。
60パーセント以上の利益率!
それが1店舗目のみせになった。
●合掌氏
今、41歳。
30歳で独立!と決めていたが、
200万の貯金でできることを、と27歳で物件を探した。
店舗流通ネットさんとの出会いで、焼き豚屋を出店した。
創業前は、福井で飲食店。
その前は建築。設計や図面書きなどを経験した。
◯代表的な業態開発ストーリーについて
●渡邉氏
六本木の再開発で、高額で売れる場所もあった。
「展開型をやっていこう」と決めた。
焼肉はうまくいかない、八千代のイオンにうどん屋出店も失敗、など苦労もありながら、
博多道場が軌道に乗った。
2011年にスタートする鳥幸が流行った。
ヒルズ族500人にリサーチした希望である「客単8000円、個室」という願いを
そのまま表現した。
ぬる燗佐藤でも、教養を欲しがるというニーズに答えた。
コミュニケーション、コミュニティの場所として、カウンタービジネスが成り立つ。
銘柄に合わせて、美味しい温度、花開き温度をお伝えする。それをテーマにした。
ぬる燗佐藤のジャズも作った!お酒に合うジャズ。
鳥幸でも、鳥の銘柄、産地などをお伝えする。
インバウンドを意識して、
アメリカ、イギリス大使館の方々を、無料ご招待したパーティーをする!
それが、発信力にもつながる。
●合掌智宏氏
4店舗目から、ご当地酒場を展開していく。
北海道八雲町に友人が引っ越した時、食材を送ってくれる事になった。
どんな食材かワクワクしていると、届いた食材が安い!愉しい!
その感動から、まずは町役場にいきなり電話し、つないでもらい、
プレゼンしてお店がオープンすることになった。
ご当地には、主に、物流面で協力してもらう。
その中の一つの事例が、北海道厚岸町の牡蠣。
牡蠣は、誰でもできる、海鮮の店。
この店が、20坪で1700万ほどうる!
八雲町ってなんだろう?その地名を多くのお客さんは知らない。
だからこそ、なんだろう?と思ってもらえる。
海外の時には、”北海道”でやる。
最初の頃は、役所の方から怪しまれた。
今は、商業施設などの出店などは特に驚いてもらえる。
北海道出身のお客様方から、贔屓にしてもらうことも多い。
地域を見つけるのは、業態が先で、その食材のある場所・地域を探すようにする。
例:一番美味しいカモを探そう!!
その一番美味しいカモを探すべく、ネットで調べたり、
人脈のあるビール会社などに教えてもらう。
そして、地域へプレゼンに行き、物流で協力してもらう。
地元の役場でまとめて集荷していただくなど。
例えばm役場に発注すると、翌日役場に農家さんたちが持ってくる。
その日に集まったものを発送してもらう。そんな流れだ。
時にはちゃんと来ないこともある。
だからこそ、社員も成長する。
◯今後の展開について
●渡邉氏
金脈はなかなか見つからないので、苦労している。
焼き豚エイトは、社員の思いで、B級グルメ部としてスタートした。
基本は、業態と関わる社員を混ぜない。別で分ける。人材も分ける。
海外の出店は、予算が2−3倍かかる。
ニューヨーク出店の時には、パーティーなどのご招待で2500万かかった。
でも、まだお店がない。
出店には3年半かかり、結果的に3億ちょっとかかった。
●合掌氏
シンガポールの直営店は、ぼちぼち売れた、
近くのホテルに泊まっていた現オーナーが、店の様子を見て
声をかけていただき、フランチャイズにつながった。
(もともと30店舗の運営をしているオーナーだった。)
採用についての例として、東京農大の授業で、自分の特集のカンブリア宮殿の映像が取り上げられた。
それがきっかけで、入社が決まることもあった。
地域貢献したい!というその出口の一つが、飲食店だ。
●粟田氏
感性が大事な時代。
そこを磨き上げないと、差別化で勝てない。
ビジュアル力は、勉強していく必要がある。
◯一番失敗した話や壁を乗り越えた話
●渡邉氏
ロードサイド、4つ出して4つ畳んだ。
2009年、ピザ食べ放題の店、ハンバーグ食べ放題の店を作る。
すっごく並日繁盛するが、やればやるほど赤字。そのサイクルから脱却できなかった。
今までの計算間では、うまくいかなかった。
焼き豚エイトは、うまくやってくれている。
●合掌氏
いまのところ、立ち退き以外の撤退はない。
困る事例としては、ランチの海鮮丼の改善依頼の電話が、町の役場に行く。
役場からその旨をお店に連絡が入ることもある。
連携協定だからこその難しさがある。
だからこそ衛生面も徹底している。提携は難しい面もある。
◯今後のビジョンについて
●渡邉氏
上場に向かって、資金調達、関係性作り。
上場に向いていない企業だが、やっちゃえ!と。
新しいメスを入れたい。
効率化より、ストーリーや利益の追求をしていく。
ニューヨークの経営者は、
朝、美術館に行け、と言われる。
物事を作り上げるのは、クリエイティブ。
刺激を得るため、いろんなものを見に行っている。
差別化が難しいからこそ、どこに当てていくか。
●合掌氏
地方、生産者との氏つながりを元に、いろんな相談を受ける。
飲食店でPRしたいという話は、自治体に限られない。
いろんなことができるのでは?
ただの飲食店ではない、プラスαをしていきたい。
●粟田氏
若い世代に着いでいく。
外食を、若い世代に夢や楽しみを抱けるように持っていきたい。
海外での成功を夢見ている。
世界でも通用するようなものを!
60000店舗に挑戦する。
キラキラ光る中身も作っていきたい。