冬籠りと雪の散歩道。
Naoyaです。
明日は二十四節気の21番目、大雪(たいせつ)です。大雪と言っても、東京では雪がたくさん降る時期ではありませんが、小雪から大雪へと節気が変わり、季節の移ろいというバトンが着々と受け渡されていく感じがします。
草や木は枯れて街並みは色を失い、生物たちは冬籠りで姿を隠す冬。日照時間は冬至に向けてどんどん短くなっていて、今くらいだと17時前にはすっかり暗くなってしまいます。まるで寒さや暗さに閉ざされていくような時間。どこか寂しくすら感じることもあります。
前回の投稿では、京都の鞍馬での雪景色の話をしましたが、実はマナカードを手にしてから始まった招かれるような旅のひとつで、宮城の松島へお邪魔したことがあります。
松島はこれまでに2回、冬と夏を体験しました。
招いていただいた宿は松島の岬のほとりにあって、そこの大きなパーティールームを貸切で、地元の地元の方や宿泊客の方に向けた個人セッションでした。
宿の脇には散歩道があり、岬の林をしばらく歩いていくと、壮大な海を一望できる場所に辿り着けます。
冬に訪れたときはちょうど雪の日でした。宿のレストランや客室からはまるで墨絵のような雪景色の凪いだ海。雪の松島は本当に美しい。極楽浄土のようにも思えました。ソーダのような鮮やかなブルーで、荒く波立っていた新島の海とはまったく違う海。
夜、雪がしんしんと降っている中、屋外にある湯船に浸かりながら降る雪を見上げていました。誰もいない静かなひととき。温かなお湯と極寒の外気のコントラストが心地いい。
京都だと冬でも夜はどこかに出歩くことが多いのですが、松島の宿の周りには何もないので、暖かな宿で静かに過ごしました。ボルドーカラーで統一されたシックなラウンジでひとり、おいしい日本酒を片手に大好きな本を。そのとき微かに聞こえてきたBGMは、マレーネ・ディートリッヒだったと思います。外は雪。それはまるで冬籠りをしているかのようでした。
新しい楽しさや刺激を外に見つけに行くのではなく、身の周りにある備えたものや蓄えたものの中から充実感を見つけ出して味わう時間。ラウンジにたくさん置かれた本の中から、興味深いものをパラパラと眺めてみたり。こういうのが冬の楽しみなんだと思いました。
翌朝は雪がやんで晴れたので、岬の林道を歩いて散歩をしました。朝食を済ませた後、セッション前の調整の時間です。
松島の雪質は東京と違って水分が少なくてさらっとしていて、雪道でもサクサクと歩きやすいのです。数分歩いて、海が一望できる場所へ。どんなに強くても柔らかな冬の太陽、頬を撫でる冷たい潮風、そして、雪に覆われた岬の風景。しばらく遠くを眺めた後、深呼吸で冷えた空気をゆっくり吸い込んで、そして吐き出しました。ひと呼吸ごとに浄化されていくような感じがしました。
部屋の中に籠って過ごした前の夜とは違い、とても開放的な気分を味わいました。気持ちのいい冬の朝。またいつか、雪の松島に訪れたいと思います。